晴耕雨読    趣味と生活の覚書

  1953年秋田県生まれ。趣味は、山、本、音楽、PC、その他。硬化しつつある頭を柔軟にすべく、思いつくことをなんでも書いています。あわせて、江戸時代後期の紀行家菅江真澄の原文テキストを載せていきます。

すわのうみ⑤ 菅江真澄テキスト

長殿よりは四人めのしもとやらん、山吹の袂なるが、ゆだすきかけて待居給へば、上下きたる男、藤刀といふもの、ちいさき御錦の?より取出して、ぬきはなちてそお長殿にわたす。

長殿とりて、山吹色なるそうぞくしたる祝にわたす。

そのかたなを、柱のうへにおきてのち、又、長き繩とりもてわたす。

ゆだすきしたる祝、刀にひとしく柱のかしらよりあてゝ、きだみつけて、さわらの枝、柳の枝、きさのさえだ、かのはなもてゆふ。

又、矢一もとゆふ。

又、三の枝をゆふ。

はかた矢一もとゆふ。

又、かたなにひとしくくらひて、きだみめつけて、二ところゆふ。

前に同じ。

かく左右ゆひわかちて、なはのこれば、藤刀に合てきりはなちてけり。

又、柏のかれ葉に糀もりて、折箸にてぬひとをして、ふたつ糀もちてふたつかく。

四ツをその御柱にさして、やの中ほどの処に立て、はらへよみ給ふに、北なるやにて、御神楽の声きこへぬ。

かしは手三ツ聞えて、後はかぐらやみぬ。

かの御神の童を、桑の木の膜を繩によりていましめて、其なはかくるとき、たヾまづ/\とよぶ。

ともしやしてとらす。

祝らん箱なるふみよみ行ひてのち、大紋きたる男わらはをおひてまかり出る。

長殿藤かづら茂りたる木のもとにむかひて、やつくりたりしとき、やねさせるひなのときものを、八ツなげ給ふやつがりにやありけん。

又すはのくにのつかさよりまいらせ給ふ、馬のかしらをねんじて、なげ給ふ。

此馬いととくはしらせて、小供らあまた追めぐる。

そがあとより御贄柱かたげて、御神のわらはおひたる男、はたおほん宝といひて、ながき鈴のごとやうなるものを五ツ、錦の?に入て、木の枝にかけて、そろ/\とはしりて、はしりめぐること七たびにしてみなかへりぬ。

長殿の庭に御社あるなる、そが御前にて、あらはのなはときてはなし給ふとなん。

御祝のつかさは明神の御末のながれにて、御くに司もおなじ。

長殿も守屋のをとゞの御末にてわたらせ給ふとかや。

其かへるさ、ふげん堂の花を見つゝ行ば、はや酉のときちかし。

御社を拝みてかへる。

常世のぬしは、道にてふとまみへし人ながら、ものねもごろにかたらひて、こよひはあがもとにといひて、同じみちをかへる。

夕月夜のかげ、海つらにうつるなどおかし。

この海を鵝湖といひけることは、もろこしに信州といふところに、水うみあれば、それにたぐらて、からうたの家より名づけつ。

小坂といふ処にいとよき桜ありけるが、月のかげにあらはれたるもおもしろくて、

 

   月かげのさやかならねどいもかすむをさかの花やこへがてにみん

 

かくて其処にとまりて、よもすがらものかたらひて、朝とくあらやしきてふ処を出てかへりぬ。

此あたりの山に、風越のみかねといひけるありと、人のいへり。

 

   風越のみねよりくだるしづのおが木曾の麻衣まくりでにして

 

かくなん聞えたるは、伊奈郡いゐだなる山を風越といふ。

しら山をまつり奉る。

かゝるを、もはら里人は、それといへど、いづらをいづらとわきがたがりけらし。

木曾のあさ衣といへば、いゐだののがかひへならん。

高遠の里なる青山大人、このとし六十になり給ふけるとて、から歌やまとうたをかきあつめ給ふこそ、たけきものゝふのこゝろも安らかに、せきのふづ河のなみしづかに、わたらひたてまつらしめたまへと、御うた/\の花の言の葉のなかに、柴になふ山賤らが、にげなきことばもて、ならひたらぬもはづかしけれど、去年の老松わかくりそしほの色をふくみて、ちよ万代の春の栄をよろこびて、そのこゝろをのべ侍るのみ。

松為殿といふ事を、

 

   すえ遠き千代もかわらじ高砂のまつをむかしの友とちぎりて

 

 

 

 

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