私が、少年から青年になっていった頃の、世の中がどんな感じだったか考えてみる。
若者は、長髪でジーパンが当たり前のようになっていた。
ジーパンという言葉は今は使わないか、ジーンズになってるかな。
男性でもかなり長い髪だったし、ジーンズもベルボトムというのが流行ってた。
ビートルズのデビュー当時の写真だと、長髪だけど、マッシュルームカットとかいう、おかっぱ頭だ。
その頃の、日本のフォークシンガーは、モジャモジャの長髪が多かったかな。
この4人で、フォーライフレコードって会社作っている。
日本では、長髪やジーンズは、流行のひとつだったのかもしれない。
でも、アメリカでは単なる流行ではなかったらしい。
既成の社会体制や価値観から離れようとするカウンターカルチャーという運動があって、その運動や担う人のことを、ヒッピーといったらしい。
日本でも、ヒッピーという言葉は使われ、そう呼ばれる人もいたと思う。
「フーテン」という言葉も、同じように使われたのかもしれない。
「フーテンの寅さん」は、既成になじもうとしなかったのだろうか。
アメリカでは、人種問題やベトナム戦争という重い現実があって、それを否定したり、逃避しようとする動きがあった。
自由な生活や平和主義を象徴するものとして、フラワー・ムーブメントとかフラワー・チャイルドというものがあって、それが音楽などに反映されていた。
男性は髭をのばし、長髪にし、ジーンズをはく、女性も長い髪にミニスカートをはき、ペンダントやサンダルを好んだ。
ママス・アンド・パパス 夢のカリフォルニア
この曲は、1965年に発表された、1966年にヒットした。
ママス・アンド・パパスは、女性2人男性2人のフォーク・コーラス・グループである。
この曲は、さまざまなアーティストによって、カバーされている。
私のお気に入りの歌手であるホセ・フェリシァーノも、歌っていた。
この曲の次に発表した「マンディ・マンディ」が、グループ最大のヒット曲になった。
The Mamas & The Papas "California Dreamin'" (December 11, 1966) on The Ed Sullivan Show - YouTube
スコット・マッケンジー 花のサンフランシスコ
If you're going to San Frannsisco
Be sure to wear some flower in your hair
もし君がサンフランシスコへ行くなら
頭に花を飾っていくといいよ
という歌詞で始まる、先に書いたフラワームーブメントそのままの歌である。
日本のラジオでもよく聴いた曲だった。
ママス・アンド・パパスのジョン・フィリップスが書いた曲だそうだ。
NEW ° Scott McKenzie — San Francisco ᴴᴰ (Stereo) - YouTube
アソシエーション ネバー・マイ・ラブ
アソシエーションは、カリフォルニア州で結成されたソフト・ロック・バンドである。
ロックバンドではあるけれど、ソフトなコーラスを主体としていて、他にも「ウインディ」や「チェリッシュ」というチャート1位の曲がある。
この曲は、日本の「ジャニーズ」(たぶんジャニーズ事務所最初のグループ)が渡米した時(1966年)に、ジャニーズに提供されたものでレコーディングもされたが、都合で発売されなかった。
それを、アソシエーションが、カバーしたということらしい。
Association - Never My Love (1967) - YouTube
「カリフォルニアの青い空」というように彼の曲は、邦訳のタイトルで記憶に残っている。
それだけ、日本でもヒットしたのだと思う。
原題をそのまま日本語に訳すと、「南カリフォルニアでは雨が降らない。」である。
日本でのヒット曲が、もう一曲あってそれは、「落葉のコンチェルト」である。
原題の“For The Peace of All Mankind"であるが、この歌詞は私の記憶にしっかりと残っているので、かなりヒットしたのだと思う。
Albert Hammond - It Never Rains In Southern California (1973) HD 0815007 - YouTube