しばらくぶりで、市立図書館の本館に行った。
平日ではなかったので、いつも、より人出も多かった。
とは言っても、混み合ってるというほどではないが、夏休みにもなっているので、子どもの姿もあった。
いつものように、入り口で入館票を書いてポストに入れた。
その真ん前に、企画の図書展示があった。
「1964と2020」のいうようなもので、東京オリンピックにちなんだものである。
それをテーマにした本が出版されていて、10冊ほど展示されていた。
私の目をひいたのは、表紙に日本地図のあるものだった。
なかをぱらぱらめくると、日本や各都道府県がどのように変わったかがわかるようになっていた。
おもしろそうだったので、あとで借りようと思う。
この両方の時代をリアルタイムで体験したのは、私くらいの年齢か、もっと年上の世代である。
1964と2020は、それぞれまったく違う時代である。
1960年代が、私の小学校中学校時代なのだが、まわりは景気の良さや豊かさを感じるものはなかった気がする。
それでも、5歳年上の姉の頃は、集団就職とか言われて夜行列車で郷里を離れていった。
都会では、若い労働力が必要とされていたのだろう。
ということは、都会では高度経済成長が始まっていたのいたのだ。
1972年に 、私が首都圏に出てきた時は、確かに世の中は景気が良かったと思う。
学生向けのアルバイトが、いくらでもあった。
学生援護会という組織が発行する「日刊アルバイトニュース」というのがあった。
夏休みと冬休みには、それでアルバイトを探していた。
その頃に、マスコミが「一億総中流化時代」という言葉を使っていた。
この言葉は、それなりに根拠のあるものだったらしい。
1970年代には、内閣府の調査でも、日本国民のうち9割は、「自分は中流である。」と答えた。
1975年の日本社会学会の調査では、75%が「中流に属している。」と答えたという。
「上」「中の上」「中の中」「中の下」「下」「わからない」の項目から選択させたらしい。
その頃の私なら、なんと答えたのだろう。
「中の下」か「下」か?
1960年代の頃の私なら、間違いなく「下」である。
父が事業に失敗したこともあって、日々の、食料や少ない金額のお金にもこまっていた。
たぶん、日本全体でも、「自分が中流だ。」と思ってる人は少なかっただろう。
なぜ、日本人が「自分は中流だ。」と思うようになったのだろう。
戦中戦後の長い苦しい時代を経験して、生活に求める基準がかなり低かったのかもしれない。
それにしても、高度経済成長の時代に衣食住についての不安がなくなっていったことがあると思う。
そして、生涯雇用という日本の会社風土が将来に対する不安をなくしていた。
ボーナスという一時金のある給与制度もある。
何十年という住宅ローンを組むことで、住宅を所有することが可能になっていた。
そういうことが、中流意識を支えていたような気がする。
もちろん、中流も上と中と下がある。
1990年代の「バブル崩壊」によって、日本経済が成長を続けることが出来なくなる。
「労働者派遣法」によって、生涯雇用が怪しくなる。
「総中流」などということばは、聞くことがなくなる。
1970年から1980年代のわずか20年間くらいの短い時代だったわけだ。
私たちの世代やもっと上の世代は、高度経済成長の上り坂を知ってるけれど、上り坂が始まる前も知っている。
いいことは、いつまでも続くわけではないと思ってしまう。
いつか、もとにもどってしまうかもしれない。
我が家の息子たちは、バブル崩壊後の経済停滞の時代に育っている。
上昇することのないままに、長い年数が経っている。
今回のオリンピックを誘致したのも、このような経済に対するてこ入れという思惑だったと思う。
思惑通りにはいかないのは、世の常である。
思惑のプラスどころか、マイナスになりかねない。
転んでもただでは起きない、と行きたいものだ。