「吾輩は猫である」を読んだのは、小学6年生の時だった。
旺文社文庫版で、薄緑色の表紙だった。
今は無くなってしまった旺文社文庫のことは、このブログに何回か書いている。
思いがけず、お年玉をいっぱいもらったので、旺文社文庫を5、6冊買った。
その頃は、日本の文学といったら、森鴎外、夏目漱石、芥川龍之介といった名前がまず出た時代である。
今は、どうなんだろうか。
明治は、あまりにも遠いかも知れない。
夏目漱石の作品で、最初に読んだのが「吾輩は猫である」だったのは、私にとって意味のあることだったと思う。
もしも、最初に読んだのが「吾輩は猫である」ではなかったら、たぶん次の作品は読まなかったと思う。
その後、「坊ちゃん」、「三四郎」、「それから」など、代表作と言われるような作品を読んだ。
しかし、それらの作品はあまり記憶に残っていない。
私は、いろんな人が登場する人間関係や心理というものが描かれるような小説が苦手なのだと思う。
夏目漱石というと、やっぱり彼の処女作であったという「吾輩は猫である」が思い浮かぶ。
「吾輩は猫である」は、中学校の英語教師である珍野苦沙弥先生の飼い猫である「吾輩」の視点から、苦沙弥先生と珍野一家、そしてそこに集う友人たちや門下の書生たちの様子が、描かれている。
苦沙弥先生が、中学校の英語教師であることから、自身も英語教師だった漱石を投影したのは確かだろう。
明治の後期の時代に、飼い猫の目を通して自分とそのまわりの人々を描いているのである。
猫は、自由だし、冷静だから、まわりを観察するには、おあつらえ向きだと思う。
犬だと、そうゆう訳にはいかないかも知れない。
漱石自身が、猫になり代わって、自分と取り巻くものを観察するという、不思議なことをやっていたことになる。
こんなことを、やってた人は他にいるだろうか。
風刺的・戯作的な「吾輩は猫である」は、かなり毛色の変わった作品である。
そして、こういう作風の作品は、この時代に他にあるのだろうか。
夏目漱石は、慶応3年に武蔵国江戸牛込馬場に生まれ、本名は夏目金之助である。
夏目漱石という人は、面白い人だなと思う。
帝国大学の英文科を卒業し、英語教師として高等師範学校、松山の尋常中学校、熊本の第五高等学校と転々とする。
明治33年(1900年 )、文部省より英語教育法研究のため英国留学を命ぜられる。
帰国後、東京帝国大学と第一高等学校の講師になっている。
書きはじめた小説が好評だったため、職業作家となるために、すべての教職を辞し、朝日新聞社に入社する。
学生時代から、精神病を患っていた彼に、神経衰弱の治療の一環として、高浜虚子が創作を勧め、それが「吾輩は猫である」だという。
名前はまだ無い。
どこで生まれたかとんと見当がつかぬ。
こんな書き出しで、長い吾輩の語りは始まる。
そして、 衝撃的な結末で終わるのだが、まだ読んでない人もいると思うので、これ以上触れることはやめよう。