晴耕雨読    趣味と生活の覚書

  1953年秋田県生まれ。趣味は、山、本、音楽、PC、その他。硬化しつつある頭を柔軟にすべく、思いつくことをなんでも書いています。あわせて、江戸時代後期の紀行家菅江真澄の原文テキストを載せていきます。

登頂するか、撤退するか

20代の頃に、山登りの友人と南アルプスの山を登っていた。

登り始めて、登山道脇に腰をおろして、休憩していた。

少ししたら、下の方から若者の声が聞こえてきた。

掛け声をかけながら、若者の集団が登山道を駆け上がっていった。

私たち二人は、あっけに取られてそれを見ていた。

どこかの大学の山岳部の集団らしかった。

登山道を走るのか。

新入部の一年生歓迎山行だったのだろう。

今でも、こんなことをやってるんだなと、ため息が出た。

 

私は、山に登ることに、中学生くらいで興味を持っていた。

でも、高校でも大学でも、登山部に入ろうとは思わなかった。

私のような人間には、あまりに恐くて近寄れなかった。

詳しくは知らなかったが、過酷なところらしいと思っていたのは、間違いではなかった。

たまたま、勤め始めたら、山好きな同期がいて、一緒に登るようになった。

いちおう、グループの名前はあったが規約も何もないゆるいサークルだった。

私たちは、山は歩くところだと思っていたので、のんびり歩いていた。

そして、下山したら温泉でも入れたら最高だった。

 

住んでいた千葉県は、ほとんど山がない。

千葉県南部に房総丘陵というのはあるが、最高峰である愛宕山でも408.2mである。

しかも、はるばる出かけるには遠すぎるし、低すぎる。

だから、山へ行こうとすると、東京を越えていくことが多かった。

たとえば、南アルプスに行こうとすると、新宿から夜行列車でへ出かけたりした。

ところが、山梨県あたりだと近すぎて、夜中に駅に着いてしまい、始発のバスまでずいぶん時間がある。

持って行った寝袋に入って、始発の時間まで待っていた。

 

登山では、登りより下りが難しいと言われる。

たしかに、下りではかなり大きな重量が脚にかかるので膝を傷める人が多い。

それだけではなく、登山道を失っての遭難は下りの時が多い。

私にも覚えがあるが、下りの場合は、登山道だけではなく、仕事道などの選択肢が増えるので、道に迷う可能性が高くなる。

登りは、上に向かうだけなので、その心配は少ない。

登山では、多くの場合頂上を目指すことになる。

しかし、天候や体調やその他の状況によって、頂上を目指すことが困難な場合がある。

登頂を諦めて、撤退するという選択が、人間にとっては難しいものだったりする。

日程の都合をつけて、遠くから出かけて来たりしていると、なかなか思い切れなかったりする。

 

もしも、その場合に、冷静に判断できなければ、無理な選択をすることになる。

登山において、退去や撤退という選択肢があるのは、登頂よりも重要な安全とか生命というものがあるからだと思う。

いくら、長い年月と多額の資金をかけて準備した計画でも、それ以上に重要なものはない。

それは、すべての者が認識していることだろう。

 

昨年来、世界は「コロナ戦争」とでもいえる状況の中にある。

そして、この数ヶ月はオリンピックというものに振りまわされている。

そこで思うのは、最も重要な選択肢を、はたして用意していたのだろうかということだ。

何が、最も重要だったのか。

それに、しっかりと向き合ったのだろうか。

そのような認識を、みんなで共有していたのだろうか。

こんなことは、これからもありそうだな。

 

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