20代の頃に、山登りの友人と南アルプスの山を登っていた。
登り始めて、登山道脇に腰をおろして、休憩していた。
少ししたら、下の方から若者の声が聞こえてきた。
掛け声をかけながら、若者の集団が登山道を駆け上がっていった。
私たち二人は、あっけに取られてそれを見ていた。
どこかの大学の山岳部の集団らしかった。
登山道を走るのか。
新入部の一年生歓迎山行だったのだろう。
今でも、こんなことをやってるんだなと、ため息が出た。
私は、山に登ることに、中学生くらいで興味を持っていた。
でも、高校でも大学でも、登山部に入ろうとは思わなかった。
私のような人間には、あまりに恐くて近寄れなかった。
詳しくは知らなかったが、過酷なところらしいと思っていたのは、間違いではなかった。
たまたま、勤め始めたら、山好きな同期がいて、一緒に登るようになった。
いちおう、グループの名前はあったが規約も何もないゆるいサークルだった。
私たちは、山は歩くところだと思っていたので、のんびり歩いていた。
そして、下山したら温泉でも入れたら最高だった。
住んでいた千葉県は、ほとんど山がない。
千葉県南部に房総丘陵というのはあるが、最高峰である愛宕山でも408.2mである。
しかも、はるばる出かけるには遠すぎるし、低すぎる。
だから、山へ行こうとすると、東京を越えていくことが多かった。
たとえば、南アルプスに行こうとすると、新宿から夜行列車でへ出かけたりした。
ところが、山梨県あたりだと近すぎて、夜中に駅に着いてしまい、始発のバスまでずいぶん時間がある。
持って行った寝袋に入って、始発の時間まで待っていた。
登山では、登りより下りが難しいと言われる。
たしかに、下りではかなり大きな重量が脚にかかるので膝を傷める人が多い。
それだけではなく、登山道を失っての遭難は下りの時が多い。
私にも覚えがあるが、下りの場合は、登山道だけではなく、仕事道などの選択肢が増えるので、道に迷う可能性が高くなる。
登りは、上に向かうだけなので、その心配は少ない。
登山では、多くの場合頂上を目指すことになる。
しかし、天候や体調やその他の状況によって、頂上を目指すことが困難な場合がある。
登頂を諦めて、撤退するという選択が、人間にとっては難しいものだったりする。
日程の都合をつけて、遠くから出かけて来たりしていると、なかなか思い切れなかったりする。
もしも、その場合に、冷静に判断できなければ、無理な選択をすることになる。
登山において、退去や撤退という選択肢があるのは、登頂よりも重要な安全とか生命というものがあるからだと思う。
いくら、長い年月と多額の資金をかけて準備した計画でも、それ以上に重要なものはない。
それは、すべての者が認識していることだろう。
昨年来、世界は「コロナ戦争」とでもいえる状況の中にある。
そして、この数ヶ月はオリンピックというものに振りまわされている。
そこで思うのは、最も重要な選択肢を、はたして用意していたのだろうかということだ。
何が、最も重要だったのか。
それに、しっかりと向き合ったのだろうか。
そのような認識を、みんなで共有していたのだろうか。
こんなことは、これからもありそうだな。