晴耕雨読    趣味と生活の覚書

  1953年秋田県生まれ。趣味は、山、本、音楽、PC、その他。硬化しつつある頭を柔軟にすべく、思いつくことをなんでも書いています。あわせて、江戸時代後期の紀行家菅江真澄の原文テキストを載せていきます。

くめじのはし① 菅江真澄テキスト

(序文)
天明四とせ(二七八四)の甲辰の夏、六月三十日旧洗馬村をたちて、越のうしろ洲に行とて、清水の里、桐原のまき、つかまのみゆ、などを見めぐりて、水内の郡に到りて曲橋(この橋を久米路の橋といへり伊那の郡にも同名聞こえたり)を渡りて、この冊子の名を来目路濃橋(クメチノハシ)といふ。
 
ふるきところ/\゛のかんみやしろに、ぬさむけたいまつらまく、はた、名だたるくま/\゛も分見ばやと、このも、かのもにはせめぐり、
去年の夏五月雨のはれなん頃ほひ、此科埜の国なる束間の郡に来て、むかしかたらひし友がきをとへば、世をはやうさりてなきが多かりければ、ありつるひとりふたりにこととひかはし、
いざ、ことかたにとおもふ折しも、可児永通てふくすしの、あがやどに、たびごろもうらぶれやすめよなど、夏野の草のねもごろにいへれば、いざ、ひと日ふつかもありなんと思ふほどに、木襲の麻ぎぬ浅からず、
須羽の海のふかきなさけに、なにくれと、ひくあみのめやすうなりむつび、こゝらの友どちの円居に、かたらひなづさひて、たびの空のくもらはしきこゝろもなう、月日のうつるもしらぬに、ふる里のかたしきりに偲ばれて、
まだ見ぬかたにとこゝろひけど、この里の余波はさらにもいはず、をさなきわらはべ、砌にあさるくだかけ、門にはふ狗すらも、朝夕めなりがほに、もりとがめざりければ、
しかすがに、わかれんことのいとど心ぐるしう、むねつとふたがるに、老たるどちは、又逢事は片山里の太山木、やがてくちなん身は、いふかひなけんなど、せちに聞えたるいらへさへ、
夏引の糸のいとこゝろぼそくも、水無月のつごもりの日、蒙騰西播の郷を出なんとほりするに、いましはと止めて此里の人々、うまのはなむけして、とり/\゛に歌ながめてわれに贈ける。
屋戸のぬしかにながみち。
 
   行旅をめぐりも帰れこの里の馴しわがやを栖家とはして
 
となんありける歌の返し。
 
   たび衣たち別てや行ほどもなれにし宿にとく帰りこん
 
今井の村よりふみにこめて来るを見れば、あが国の道の友とかたらひしほどもなう、けふの別は夢うつつともおもほえぬなどありて、梶原景富。
 
   いかがせんみち尋ね来てかたりあふ友にわかるゝけさの余波を
 
   十かへりの例もあれなかはらずよ又逢ふことを松に契らん
 
かくなん、ふたくさのありける返し。
 
   別てもあしたにききしみち芝の露もわすれし君が情は
 
   尋ねこん心の色もかはらじとつゝむにあまる松のことの葉
 
青松山長興寺僧洞月。
 
   一とせは夢てふものをけふしはや別にそそぐ袖のむら雨
 
   ひとり行旅路の空はうかりともながめにあかじちまつ島やま
 
   初秋のおく露わけてみやぎのゝ名だたる萩の花や見るらん
 
みちのおくに、かねていなんとこゝろざせば、かくなん三くさの歌もて贈り給ふ也けり。此返し。
 
   一とせは夢うつつともなくばかりおそぶる袖に村雨ぞふる
 
   わかれ行空こそうけれながめあれと人やしのばんちまつ島山
 
   分まよふ袖や朽なん露なみだ君をしのびてみやぎのゝ原
 
くまがへなをかたが、  
 
   あすよりは誰と語てなぐさまんわが友がきはけふに別て
 
とある返し。
 
   こよひより草の枕の夢ならでなり見し人といかでかたらなん
 
備勝の翁が、
 
   なれ/\て別はつらし来ぬ秋の時雨ぬ生も袖ぞしぐるゝ
 
かくなんありける返し。
 
   人にけふ別おもへばこぬ秋の袖の時雨はなみだ也けり
 
琵琶橋(木曾路にあらねど、源の岐岨山なればにや、又の名は犀河といへり。
それにわたすはしなり)の辺に在るくすし義親。
 
   涼風頻到琶橋辺 
   唱送離歌楊柳篇 
   願是鮫人為一涙
   一珠日夜照岨川
 
といふ、しゐんをくれける。
 
このくしの用てふ文字を歌の末において、返しのこゝろを、
 
   わすれずよびはてふ橋のかけて人音信てまし木曾の山川
 
ふたゝび、よしちか。
 
   青柳の糸ぞみだるゝ別路のたび行人にいかヾ手折らん
 
となんありけるに、返し。
 
   折わぶる柳の糸のいとど猶みだれてものをおもふわかれぢ
 
葦の田にすめるほふり吉重。
 
   円居せし花や紅葉を別ては見るにしのばん春秋の空
 
とありけるに返し。
 
   花紅葉ながめむたびに春と秋わきて別し人や偲ばん
 
まづ高志の洲にいなんといふを聞て、このよしあつ、けふの別猶せちにおもふのあまり、ふたゝび。
 
   おもはずよ君がこしぢの浦波の見送る袖にかゝるべしとは
 
   君が行こしの浦浪へだつともわきて尋ん八重の隈路を
 
かゝる二くさの歌つくりける、返し。
 
   いとつらき別に越の浦波のかゝらぬ袖もけふ沾にけり
 
   高志の波よし隔つとも君がかたに立帰りこん八重のくまぢを
 
あさゆふ、こととひむつびたる政員。
 
   別ては雲路はるかにへだつとも雁の往来のたよりをぞまつ
 
政員がやにとへば、あるじの母なん、みづわざしたる姿して出たちけるに、ふたたびとひ侍らんといへば又とのたまへれど、わが身すでに老たり。
かく、ぼけ/\゛しうなりては、ゆふべの露ともたのむべき命なれば、けふをかぎりの別にこそあらめと涙をさきだてて、長き旅路をはやめぐりて、父ははにまみえてあれ、われだに、ひとりうき旅にと思へば、さぞやおぼしてんと涙にしはぶきまぜて、わが子をおもふがごとにいひけるに、
 
「わがははの袖もち撫て我からに哭しこゝろをわすれえぬかも」
 
とずして、いよよおやます国の恋しう、いかなるすぐせにや、かく人のおやの心の、やみにおもひたまへらんと、なみだをとどめて、
 
   いかなれば老のなみだのわが袖にかゝるなさけをえやはわすれん
 
まさかず、とりあへず母にかはりて此歌の返しをす。
 
   老の波いや高砂の松のごとかはらず見せよいくちとせまで
 
可児ながみちがやに、かい残しおくふたくさ。
 
   ふる郷にいそぐならひもたび衣きなれし宿はたちうかりけり
 
   それとえもいはで心のやま/\をへだても行か雲のちさとに
 
やをら首途せるに、政員も旅よそひして、追ついて来けり。こは、いづこにといふに、近きさかひまでは、ひと日ふつかも、かたらひ送りしてんといざなへるもうれしく、いざなひ、桔硬が原に出て、
 
   秋ちかうなるもしられて旅衣ひもとく花を分てきにけり