サスペンスドラマで、こんな展開がある。
複数のまったく関係のない人物のドラマが、同時に進行して行く。
それが、一つの事件にかかわることになる。
それぞれに存在していた点が、つながってしまう。
森村誠一さんの小説など、こんな感じが多かった気がする。
なにも、サスペンスだけではないかも知れない。
自分のことを、考えてみる。
私は、秋田の山奥に育ち、首都圏に出てきて、就職する。
妻は、東京の下町で育ち、都内で働くようになる。
その二人が、あるきっかけで家庭を持つようになっている。
点と点が、つながってしまっている。
自分だけではない、人はみんなそんなものかもしれない。
これとは、かなり違っているが、思いがけなくつながってしまってこともある。
そこで、やはり結婚してその公団住宅に住んでいた幼なじみと再会した。
私は、秋田の山間の農村で育った。
小さな学校だったので、小学校中学校と全く同じ顔ぶれで9年間を過ごした。
正確には、小学校入学前の保育園の1年間があるので、合計10年間である。
数人の出入りはあったが、最終的には男女36人だった。
卒業後は、ほとんど会う機会もなく、ばらばらになった。
数回のクラス会はあったが、会えば男女とも、名前は呼び捨てである。
同級生の彼女は、高校卒業後、東京方面に出てきたらしいが詳しくは知らない。
私は、たまたま千葉県で就職したが、結婚を機に両親と暮らしていた実家を出て、公団住宅に住んでいた。
卒業後、15年くらい経っていた。
首都圏に出てくるといっても、東京だけでなく、神奈川、埼玉、千葉とある。
公団住宅だって、松戸や柏の近辺だけでも、何ヵ所もある。
それが、こんなにピンポイントで会ったので、驚いた。
さらに、偶然はあるもので、妻の実家と同級生の配偶者の実家が、かなり近所だった。
新京成電鉄の沿線の駅から、徒歩で15分くらいのところに妻の実家はあったが、駅から歩いて行く途中に、同級生の嫁ぎ先はあった。
その後、私は現在住んでいる住居に転居したので、公団住宅に住んでたのは2年半ほどだった。
ありえないような偶然が、重なっている。
確率の問題かもしれないし、こんな偶然は稀だろうが、あり得るのだ。
先日、郷里の大館市の銘菓を紹介したときに、島内製菓の「大文字」というお菓子のことを書いた。
「大文字」は、大館市で毎年夏に行われている「大文字焼き」にちなんでいる。
「大文字焼き」は、京都の「五山送り火」にならって、大館市の「大」の字のつながりから始めたらしい。
「大文字」の包装紙には、「大文字」の上に「鳳凰山」と描かれている。
鳳凰山は、大館のシンボルである標高520メートルの山で、「大文字焼き」はこの山腹で行われている。
この鳳凰山という山名は、かつて山嶺にあった鳳凰山玉林寺に由来しているらしい。
この寺は、今は移転しているが、室町時代にこの地を治めていた豪族の浅利氏が建立したものだった。
浅利氏は、もともと甲斐国八代郡浅利郷を本拠としていたが、浅利義遠が、壇ノ浦の戦いの勲功により、比内郡を拝領されたとされており、比内の浅利氏は義遠の子孫といわれる。
甲斐国には、鳳凰三山と呼ばれる地蔵岳、観音岳、薬師岳からなる名山があり、玉林寺の山名の「鳳凰山」もこれに由来するのではないかといわれる。
また、「鳳凰山」や「鳳凰」という言葉は、大館ではいろいろなところで使われている。
いろんな名称や、校歌などにも登場していると思う。
山梨県は、友人の郷里でもあり、南アルプスの山々は自分にとって身近な存在であった。
大館の領主だった浅利氏が、甲斐国から来たということも知ってはいたが、「鳳凰山」という名称でつながるとは思ったことがなかった。
南部氏もまた、もともとは甲斐国巨摩郡南部郷を本拠にしていた豪族であった。
頼朝の平泉攻撃の際に、従軍し功により南部光行は陸奥国糠部五郡を給されたとあり、それが奥州の南部氏のはじまりとされている。
たぶん、このようなことは日本全国にいろいろとあるのだろう。
そうして、点と点がつながってきてるのかもしれない。