晴耕雨読    趣味と生活の覚書

  1953年秋田県生まれ。趣味は、山、本、音楽、PC、その他。硬化しつつある頭を柔軟にすべく、思いつくことをなんでも書いています。あわせて、江戸時代後期の紀行家菅江真澄の原文テキストを載せていきます。

キャンプに行ってきた

久しぶりに、キャンプに行った。

だいぶ前に、長男に誘われていた。

我が家の分は、キャンプ場付属のケビンを予約してくれた。

長男家族は、昨年から、家族でキャンプを始めた。

こんな時勢だから、どんなもんだろと迷ったが、孫娘を除いて2度目のワクチン接種は全員終わってるし、気をつけて行けばいいかなと、行くことにした。

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我が家が、最後にキャンプに行ったのはいつのことになるだろうか。

長男が中学生だった頃だと思うが、もう記憶は曖昧である。

その頃は、テントや寝袋も家族分あったし、ひと通りのキャンプ用品はそろっていた。

ずっと押し入れの奥にしまい込んであったのを、だいぶ前に処分した。

オートキャンプ場が各地にでき始めた頃で、我が家は千葉県南部のキャンプ場に出かけていた。

道具は揃えていたが、それほどの回数は出かけてないかもしれない。

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フォレストピア 七里の森

今回出かけたのは、茨城県北部の栃木県との県境にあるキャンプ場だった。

長男夫婦と孫娘が、持ち込みテントサイトに、テントを張って泊まる。

我が家は、私たち夫婦と次男、三男の4人は、ケビンに泊まることになった。

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このキャンプ場は、元は城里町の町営の総合野外活動センターだったらしい。

それが、昨年あたりに現在の名称に変わったようだ。

フォレストピアという名称のキャンプ場は、日本全国にありそうなので、民間のキャンプ場運営組織に移譲したのかもしれない。

施設の案内図を見ると、テニスコート、水遊び場、スペースキャビンというのが、使用禁止になっている。

今回のコロナ禍によるものだろう。

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とりあえず、みんなでテントを設営した。

テントサイトは、うっそうとした森林の中と、明るい斜面があったが、見通しの良い斜面にした。

朝柏を出発して、守谷SAで待ち合わせ、高速を1時間くらい走り、友部ICで一般道へ出て、キャンプ場に着いたのは、11時前である。

むかし私が使っていたような、寝袋を並べるためだけのテントではない。

今のテントは、寝室、居間、キッチンなどの役割をできるような作りになっている。

設営しやすいようになってるとはいえ、やはりそれなりに時間を要する。

今回は、人数が多かったから良かったが、2人ぐらいでやるのは大変だろう。

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私たちの宿であるケビンは、テントサイトの上の斜面にある。

建物の前まで、車が入れるようになっている。

高床式で、8畳間に、押し入れを改造したような2段ベッド、台所、シャワー、トイレ、という作りで、けっこうきれいだった。

ただ、寝具は無しで、寝袋を借りるか持ち込みである。

ケビンは、大きいタイプもあって、そちらは10畳二間らしい。

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むかしと違って、今はキャンプ場で焚き火ができる。

もちろん、地面に直で焚き火はできない。

焚き火用のシートやブロックを敷くか、焚き火台が必要である。

やっぱり、焚き火は楽しい。

私は、田舎育ちなので、焚き火は得意である。

落ち葉や小枝や木の皮に火をつけ、だんだんと太めの木にうつしていく。

持ち込んでいた木炭や薪木も混ぜて燃やしていくが、燃えているのを見てるのはおもしろい。

他に、カセットコンロもあるので、ご飯はそっちで炊いた。

 

孫娘は、さくらの枯葉を拾ってきて、燃やしていた。

キャンプ場内の車道沿いに、桜並木があって、落ち葉が拾いきれないほどに積もっていた。

枯葉を火に入れると、大きな炎が立ち上がるので、喜んで拾っていた。

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キャンプ場は、かなりの広さがあるので、散歩してみた。

キャンプサイトの脇の車道を歩いて行くと、ペット同伴者用のエリアがあった。

そこで道は、左に降って行く。

現在は使われてない水遊び場だった。

小さい子どものいるファミリーが多かったので、ここが使えないのは残念だな。

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道は行き止まりなので、戻ることにする。

キャンプファイヤーができる広場があったが、その周りにもいくつかテントが設営されていた。

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さらにその上は、ケビン棟がある斜面である。

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地図には、キャンプ場まえに車道があって、その向かい側に放牧場という表示があった。

そちらに歩いてみたが、牧場らしいものは見えず、キノコの栽培施設と販売所があった。

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もしかすると、放牧場はこの裏にあるのだろうか、それともなくなってしまったのだろうか。

農家の敷地の端に、家畜小屋のようなものが、使われていないらしく放置されて、朽ちていた。

子どもの頃、見かけたような建物だったので、なつかしくなってしまった。

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暗くなってくると、焚火の炎が闇の中に映える。

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薪は、はじめは煙を出し、それから炎をあげて燃えるが、そのうちに炎は出ずに真っ赤になった。

いや、赤くはない、何色と言ったら良いのだろう。

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我々は、ケビンに引き上げる。

畳の上に、寝袋用のシートを引き、その上に寝袋を敷く。

かつての寝袋はサナギ型だったが、最近のものは長方形である。

身動きが少しはできるが、やっぱり寝苦しい。

睡眠の浅いままに、朝を迎えてしまった。

荷物の片付けをして、テントに向かう。

 

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山の斜面の下の方に、朝霧がかかっていた。

長男が自家焙煎したコーヒーをいれてくれた。

出発の前日に、焙煎したばかりと言ってた。

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テントは設営も大変だったが、撤収も大変だった。

夜露に濡れていたので、広げて乾かしながら、畳んでいかなければならない。

 

孫娘が言うには、キャンプは2番目に好きなのだそうだ。

キャンプは、今回で5回目くらいらしいのだが、夏の初めに親子で行ったキャンプ場の近くの渓流で遊んだのがとても楽しかったらしく、気に入ったらしい。

何が1番目に好きなのと聞いたら、「1番はホテルと温泉」なのだそうだ。

そこで、近くにある「ホロルの湯」という地域の温泉にみんなで行った。

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そういえば、孫娘のパパである長男も赤ちゃんの頃から温泉が大好きで、おじいちゃんに抱っこされて入っていた。

親子は、似るものだ。

そのあとは、水戸でお昼を食べて、帰ったらもう夕方だった。

寝不足だったらしく、ぐっすり眠れた。

 

私の子ども時代、家族旅行などしたことがなかった。

まわりを見ても、みんな同じようなものだったろう。

そんな時代だったし、旅行などという余裕はなかった。

東京育ちの妻は、ささやかながら家族旅行をしてたようなので、地域の違いもあるだろう。

結婚して長男が生まれて、妻の家族たちとの旅行が、私にとって初めてだったと思う。

まだ一歳くらいの長男を囲んで、妻の両親と妻の弟2人と私たちの夫婦だった。

なんか、今回の顔ぶれと同じ組み合わせだな。

 

 

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