晴耕雨読    趣味と生活の覚書

  1953年秋田県生まれ。趣味は、山、本、音楽、PC、その他。硬化しつつある頭を柔軟にすべく、思いつくことをなんでも書いています。あわせて、江戸時代後期の紀行家菅江真澄の原文テキストを載せていきます。

いろは歌をいつ知ったのだろう

「いろはにほへと」が、意味のある歌であるということを知った時は、ほんとに驚いた。

しかも、「かな」が重複してなくて、すべてを使ってあるという。

ただの記号みたいなものだと、思っていたから、ビックリである。

歌といっても短歌ではなく、七五調の歌謡である今様という形式らしい。

しかし、私は小学校や中学校でこれを習った記憶はない。

教科書のどこにも、「いろは」のことは書かれていなかった。

だから、知ったのはずいぶん後のことで、いつ頃だっただろう。

 

いろはにほへと ちりぬるを   色は匂えど 散りぬるを

わかよたれそ つねならむ    我が世誰ぞ 常ならむ

うゐのおくやま けふこえて   有為の奥山 今日越えて

あさきゆめみし ゑいもせす   浅き夢見じ 酔いもせず

 

「いろは四十七文字」ということになっているようだ。

七五調で四行だから、四十八文字のはずだが、二行目が七五ではなく六五になっている。

いろは歌」は、いつ誰によって作られたかは、諸説あってはっきりしないようだ。

仏典の中の言葉を、学僧が意訳したのではないかという説もある。

それによると、元になったことばは次のものである。

 

諸行無常 是生滅法

生滅滅己 寂滅為楽

 

いずれにしても、いろは歌はかなを網羅していることから、11世紀頃からかなの手習いの手本として使われるようになり、江戸時代にはさらに広く用いられるようになったそうだ。

私が学校で習ったのは、「五十音図」である。

今になって思うのは、とても大事なことは教えてもらってないということだ。

「あいうえお」が、母音であることは習ったかもしれない。

でも、カ行やサ行は習っても、それが「子音+母音」というものだということは、教えてもらってない。

ローマ字を習って、どうもカ行ではkが、サ行ではsが、それぞれのキーであるらしいとは分かったが、それが何を意味するかは明確に教えられたことはない。

 

同じようなことは、英語を習った時にもあった。

教科書に新しい単語が出てくると、発音記号が書かれていたと思う。

もしかすると、教科書ではなく英和辞典にあったのだろうか。

でも、その記号がどのような発音を表しているのか、習っていない。

私が、授業中にぼーっとしていたわけではないと思う。

ただ単に、先生がスルーしただけなのか、そもそも発音記号についてなど教えるようになっていなかったのか。

 

「いろは」も、「あいうえお」も、英語の発音記号も、あの頃にしっかり教えてもらいたかったなあ、と思う。

最も大事なことが、抜け落ちていたのだ。

そこがよく分かってないから、日本語と外国語がどんなところで違っているかが、よくわからなかったのだと思う。

私は、なぜか言葉というものがとても気になる人なので、いろんなことに引っ掛かったりする。

外国の言葉を聞いた時、日本語に似てる響きを感じたり、それほど違和感を感じないことがある。

日本語にはまったくない響きだったり、とても発音できないと思う言葉もある。

日本語は、母音の占める割合が大きいから、心地よく聴こえる、というようなことが言われてた気がする。

反対に言えば、子音の占める割合が小さいということかな。

まあ、専門的なことはよくわからないのだが、小さい頃にもっと違った角度からことばについて考えさせてもよかった気がする。

 

 

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