菅江真澄の著作の特徴は、文章だけではなく図絵を多く使っていることだと思う。
世の中には、紀行文を残した人は多いと思うが、文章とともに絵をも描いた人はそれほどはいないだろう。
菅江真澄全集においても、巻頭の数十ページは図絵を掲載している。
その巻の内容によって、図絵のページ数はかなり多少の差が大きいが、ほとんどは白黒写真であり、初めの一枚か二枚だけがカラー写真である。
1970年代の発行であるせいか、写真の品質はあまり良くはない。
それでも、真澄の直筆の絵と文章を楽しむことができる。
菅江真澄の自筆の著作の多くは、秋田県立博物館と大館市立粟森記念図書館の蔵書となっている。
久保田藩の藩校であった明徳館から、真澄は地誌「雪の出羽路 平鹿郡」などの編纂を委託されていた。
その縁があって、真澄は著作の多くを生前に明徳館に寄贈した。
明治になって佐竹家に移管され、その後辻兵吉氏の所有となるが、秋田県立博物館に寄贈され現在に至っている。
これらの著作は、秋田県立図書館のデジタルアーカイブとなっていて、ネットで閲覧することができる。
真澄が亡くなった時に書斎に残されていた著作は、墓碑建立などに協力した人たちに片見分けされた。
明治になって、旧久保田藩士であった真崎勇助氏が収集し、のちに粟森教育財団に寄贈した。
現在は、大館市立粟森記念図書館の蔵書となっており、ネットで閲覧できるとともに、PDFファイルをダウンロードすることもできる。
菅江真澄全集は、すでに活字になっている文章を読むことになる。
しかし、ネットで閲覧できるのは自筆本を写真にしたものである。
筆を使って書かれた文章は、私には読むのは難しい。
とは言っても、真澄の文字は丁寧に書かれているので、時間をかければ私でも解読出来るかもしれない。
真澄の著作は、自分のための覚書ではなく、旅先で出会った人々に見せて読んでもらうものでもあった。
達筆だけれど、繊細な真澄の文字は、活字とは違って息づかいのようなものを感じさせる。
それにもまして、真澄の絵には何とも言えない魅力がある。
今までも、全集に掲載されていた絵を見ていて、面白いなとは思っていた。
最近、これらの図書館が提供している菅江真澄の著作原本を見ていて、彼にとって著作の中で、文章と同じくらい、いや文章を凌駕するくらい絵というものが大きな部分を占めていると感じた。
膨大な著作のうち、私はまだほんの少しの部分しか見ていない。
旅日記などでは、文章の中に挿絵程度の絵が添えられている。
しかし、地誌などにおいては、絵が中心で、その絵の空白部分に文章があるというものもある。
秋田県立図書館と大館市立粟森記念記念図書館は、菅江真澄の著作を写真データで提供している。
しかし、この二つの図書館の提供方法は、違った方法を採用している。
秋田県立図書館のデジタルアーカイブは、検索して見たい作品が見つかると、それをクリックしてページのサムネイルを選択すると、そのページが表示される。
しかし、データをダウンロードはできず、表示される写真の解像度もそれほど高くないので、拡大すると細部はぼやけてしまう。
自筆本「菅江真澄遊覧記」は89冊で、国の重要文化財になっている。
これに対して、大館市立粟森記念図書館の場合は、作品のリストが表示されるので、クリックすると、PDFファイルが表示され、ダウンロードもできる。
写真の解像度も高く、拡大しても細部まで、比較的鮮明にみることができる。
図絵集7冊、随筆10冊、雑纂13冊、日記12冊、書写本4冊、和歌集1冊、地誌2冊があり、秋田県有形文化財になっている。
菅江真澄の図絵は、墨だけで描かれているものもあるが、多くは彩色されている。
描かれている対象は、風景が多いが、道具類などの物を描いたものが多いのが、他にはあまりないことのように思われる。
そのわりには人物を描いたものは少ないような気がする。
旅の途上でのものはスケッチ的にさっと描いていて、たぶん充分に時間のある時はじっくりと書かれている。
真澄は、200年前の人である。
このような風景の中を旅して、絵を描いていた。
秋田県立図書館の菅江真澄のデジタルアーカイブを見ていたら、リストの最後に「真澄翁北海道雑稿其の他」というのがあった。
真澄は、三十代後半に蝦夷に渡り、3年ほどを過ごした。
この作品集は、その頃に手元にあった文章や絵を整理したものだと思われる。
だから、必ずしも対象が蝦夷地のものではなく、時期もさまざまかもしれない。
これを見ると、真澄がどのようなものに、興味や関心を持っていたのかがわかる。
解像度が低いので、文字などは読むのは難しい。
でも、絵は見てるだけで楽しめる。
本人も、楽しんで描いていたのだろうな。