晴耕雨読    趣味と生活の覚書

  1953年秋田県生まれ。趣味は、山、本、音楽、PC、その他。硬化しつつある頭を柔軟にすべく、思いつくことをなんでも書いています。あわせて、江戸時代後期の紀行家菅江真澄の原文テキストを載せていきます。

真空管からトランジスタへ

電化製品の量販店に行く機会があったので、店内をフラフラしていた。

我が家の行動範囲の中に、大手の量販店が四社くらいある。

だいたい、スマホタブレット、PC、テレビ・ビデオ、音響機器、あたりを、ひととおり見ていた。

私の興味の対象は、そのあたりである。

 

テレビの売り場を見ていると、4Kの時代になってからは、家庭用でも50型くらいは当たり前で、大きいと85型である。

我が家のテレビは、地上波デジタルへの移行の頃なので、10年ほど前に買い替えた32型である。

大画面の中にあると、かわいいものである。

同じ頃に、ビデオデッキも買い替えているが、いつも容量不足で録画済みを消去するのに忙しい。

私は録画は自分ではやらないが、そのうちに買い替えを考えないといけないかもしれない。

 

大画面のテレビを見ていたら、いつもiPad見ているのと同じYouTubeの動画が映っていた。

女性歌手が、スタジオでレコーディングしている“First Take”とかいうものだ。

見ていたら、女性歌手の顔がはっきり見えている。

それほどのアップではないのに、お肌の状態がはっきりとわかる。

iPadの画面で見るのとは、まったく違う。

これは大変で、ごまかしがきかない。

すでに、BSではさらに高画質の8Kの放送も始まっているらしい。

そうなったら、もう映画館と同じかもしれない。

 

先日、AM放送が終わるということを、ブログに書いたことを思い出して、ラジオ売り場に行ってみた。

手軽に持って歩ける、超小型のラジオがかなり並んでいた。

こういうラジオは、どんな人が使うのだろう。

外を出歩くことの多い人かな。

スマホと違って、ラジオだけだと電池も持ちがいいだろう。

ほとんどの機種は、AMとFMの両方対応になっていて、AM1バンドというのは1機種だけだった。

AM電波が飛ばなくなっても、大丈夫ということだろう。

 

ブログには、AMラジオを聴いていたのは、高校生の頃だ、と書いた。

でも、考えてみたら、高校生の頃だけではなかった。

テレビが我が家に入ったのは、小学校高学年の頃だった。

育った村で早かった家には、低学年の頃に入っていて、私は父の実家でよくテレビを見ていた。

テレビが入る前は、家族でラジオを聴いていた。

今になって思うと、テレビのない生活は考えられない気がするが、テレビのない時代があった。

木製のしっかりした箱の中に、真空管が入っているラジオだった。

なぜか、神棚があるべき場所にラジオが置かれていた。

 

覚えている番組は、「一丁目一番地」と「赤胴鈴之助」である。

「一丁目一番地」は、ホームドラマで出演者は、中村メイコさんだと思っていた。

調べてみたら、思い違いで、どうも黒柳徹子さんだったようだ。

内容は、よく覚えていないが、主題歌は耳に残っている。

赤胴鈴之助」は、漫画が原作のドラマらしいが、漫画は読んでいない。

父の形見の赤胴を着けた少年剣士が主人公である。

「何者だ、名を名乗れ。」

赤胴鈴之助だ。」

こんな、掛け合いでドラマが始まった気がする。

小学生だった吉永小百合さんも出演していたことは、ずいぶん後になって知った。

 

真空管の入った木製の据え置きのラジオは、トランジスタができてコンパクトな持ち歩きラジオになった。

真空管って、かなり大きいので、これを使ったら外に持ち歩けるラジオは作れない。

真空管と巨大なブラウン管を内蔵したテレビは、奥行きも必要だったので家具調テレビというものもあったが、ブラウン管に変わる液晶パネルができてどんどん薄型になった。

現在は、壁掛けできるテレビである。

子供の頃には、想像もできなかったことが、現実になっている。

 

 

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