晴耕雨読    趣味と生活の覚書

  1953年秋田県生まれ。趣味は、山、本、音楽、PC、その他。硬化しつつある頭を柔軟にすべく、思いつくことをなんでも書いています。あわせて、江戸時代後期の紀行家菅江真澄の原文テキストを載せていきます。

山歩きを始めた頃 登山靴とストーブ

山手線の池袋-大崎間が、工事のために二日間運休になるというニュースがあった。

工事は、渋谷駅の線路切り替えのためのものらしい。

ニュースの中で、「目白駅」が山手線しか停車しない駅ということで、取り上げられていた。

私は、目白駅は使ったことがない。

山手線には、30の駅があるらしいが、たぶん私はそのうちの半分も使ったことがないだろう。

3分の1の10駅くらいなら、使ったらことがあるかもしれない。

目白駅の隣の「高田馬場駅」なら、何回か使ったことがある。

 

高田馬場駅の近くに、「トップ靴店」という登山靴の専門店があったからだ。

就職して、本格的に登山を始めようとして、登山用品を揃え始めていた。

その頃住んでいた柏や松戸には、登山用品の専門店はなかった。

だから、秋葉原石井スポーツなどに出かけていた。

ザックやストーブなどは、そこで買っていた。

でも、登山靴は「トップ靴店」でつくることにした。

その頃愛読していた「山と渓谷」に広告が出ていたし、登山の先輩である友人の勧めもあったと思う。

私の足は、甲高幅広の列島原住民型なので、既製品の登山靴ではダメだったろう。

足の採寸をしてつくった登山靴は、ぴったりしていて、登山道が石っころでも、泥んこでも、安心して歩けた。

足の裏が痛むこともなかった。

しっかりした作りだけに、ずっしり重かったが、若かったので気にならなかった。

その後、軽さを売りものにした軽登山靴を履いたこともあったが、すぐにダメになった。

トップ靴店であつらえた登山靴は、ソールが減って、張り替えたこともあるが、今でも現役で使える。

しかし、「トップ靴店」は、だいぶ前に閉店してしまったらしい。

あまりにもいい登山靴を作ったので、買替え需要が無かったのではないか、というのがネットの検索したら、出ていた。

なにしろ、40年以上前のものが、まだ使えるのだから、そういう気がする。

 

トップ靴店では、チロリアンシューズを作ったこともある。

結婚して、妻も少し山歩きをするようになって、登山靴が必要になった。

でも、本格的な登山靴では重すぎるので、チロリアンシューズならいいのではと思った。

採寸して足に合ったものだったので、ちょっとした登山でも使えた。

二人で、おそろいでつくったので、ふだんも使っていた。

トップ靴店チロリアンシューズは、靴底が登山靴と同じビブラムソールを使っているので、しっかりしすぎて、妻には少し重かったようだ。

 

その頃買った登山用品で、今も使えるものがもう一つある。

煮炊き用の「ストーブ」である。

コールマンのホワイトガソリンを使うストーブを買った。

ホワイトガソリンは、オクタン価の高い自動車用の「赤ガス」とは違って、オクタン価が低く煤が出にくいので、ストーブやランタンに使われている。

最近のキャンプ用品では、燃料はカートリッジ式になっていて、カートリッジを交換するだけでいい。

その頃のストーブは、缶から移し替えなければならなかった。

タンクに、ポンピングによって圧力をかける必要があったり、取り扱いがかなり難しかった。

ずいぶんと失敗しながら、扱えるようになった。

慣れると、火力も強く手放せなくなる。

カートリッジ式は使いやすいけれど、いつも予備のカートリッジを用意していなければならない。

それが、現実にはなかなか難しい。

しばらく、出番がなかったのだが、処分はしていなかった。

昨年からファミリーキャンプを始めた長男が、使ってみるというので渡した。

ちゃんと使えているようだ。

なんと、これも40年ものである。

アナログなもののすごいところは、メンテナンスさえすれば長く使えることだ。

 

 

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