晴耕雨読    趣味と生活の覚書

  1953年秋田県生まれ。趣味は、山、本、音楽、PC、その他。硬化しつつある頭を柔軟にすべく、思いつくことをなんでも書いています。あわせて、江戸時代後期の紀行家菅江真澄の原文テキストを載せていきます。

あこがれのシルクロード

若い頃の私にとって、シルクロードはあこがれだった。

二十代から三十代の頃である。

何がきっかけだったのか、はっきりは覚えていない。

行ってみたいと、思っていた。

自分が山を登ることをやっていたということが大きかったと思うが、時代がそういう時代だったということもあっただろう。

 

NHKが、「シルクロード 絲綢之路」を、NHK特集として12回にわたって毎月放送したのが、1980年から1981年である。

中国中央電視台との共同制作であるこの番組は、1879年から1980年に取材された。

ナレーションが石坂浩二、音楽が喜多郎さんだった。

喜多郎さんをこの番組で初めて知ったのだが、とても衝撃的だったと思う。

シルクロードというと、喜多郎さんの音楽と石坂さんの語りが思い浮かぶ。

石坂さんの語りというと、高校生の頃に「海へ帰ろう」というのを聞いていた。

これは、ロッドマッケンの詩を岩谷時子さんが訳詞して、アニタ・カーの音楽にのせて石坂さんが朗読していた

さらに、1983年から1984年には、「シルクロード第二部ローマへの道」が放送された。

これは、インド、中央アジアアナトリア半島、から地中海を経てローマへ向かうものだった。

 

同じ頃に、シルクロードの写真集も買っている。

篠山紀信さんの「シルクロード」全8巻だった。

集英社が創業55周年記念企画として、1981年に刊行したものだった。

大判で、紙箱に入った立派な装丁の写真集だった。

篠山紀信さんとシルクロードが、どうしても結びつかなかったが、他に選択の余地がなかった。

篠山紀信さんといえば、若い女性の写真のイメージだったのだ。

写真集の内容は、次のようなものだった。

1巻 日本、2巻 韓国、 3巻 中国1、 4巻 中国2、

5巻 パキスタンアフガニスタン・イラン、 

6巻 シリア・ヨルダン・イラク

7巻 エジプト、              

8巻 トルコ・ギリシャ・イタリア

これを見ただけでも、相当な労力と時間をかけて完成させたことがわかる。

 

やはり、これと同じ頃に、スウエーデンの探検家スヴェン・ヘディンの著作も読んでいる。

スヴェン・ヘディンは、19世紀末から20世紀初頭にかけて、シルクロード周辺を探検している。

そして、1900年に古代都市楼蘭の遺跡と干上がったロプノール湖の湖床を発見して、「さまよえる湖」説を唱えた。

当時私は、外国旅行をしたこともなく、「シルクロード貯金」をしていたが、具体的に旅行の計画を考えていたわけではない。

ただただ、サマルカンドカシュガルトルファンなどという地名を目にして、喜んでいた。

今はもう、その写真集も手放している。

 

妻の父が、箱根芦ノ湖畔の美術館の開館に招待されたことがあって、引き出物に平山郁夫さんのシルクロードのスケッチのレプリカをいただいた。

平山郁夫さんは、1960年代後半からシルクロードをくまなく旅しており、多くの作品を残しているらしい。

その絵は、シルクロードのどこかのオアシスで描いた少女の水彩画だったが、我が家にくれたのでずっと飾っていた。

井上靖さんの「敦煌」という小説が、映画化されたこともあった。

敦煌」という街の名前に惹かれて、映画を見に行った。

映画の内容は、よく覚えていない。

調べてみたら、1988年公開である。

出演者のリストを見ると、西田敏行佐藤浩一、渡瀬恒彦柄本明田村高廣と日本人の俳優がずらりと並ぶが、すべて中国人の役である。

こういうことができた時代もあったのである。

 

NHKの「シルクロード」のような番組は、二度と制作することができないかもしれない。

あれは、日本が中華人民共和国と国交を樹立して、日中関係が良好な時代だったからできたことである。

その後、二国間の関係は大きく変わってしまった。

まして、シルクロードという中央アジアに近い地方は、火薬庫のような存在になってしまっている。

とても、外国のテレビ取材チームが訪問できるとは思えない。

それでも、あのような映像が残されたことはよかったな、と思う。

きっと、あれから40年後の今は変わってしまってるだろうから。

 

 

 

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