十五日 あないをたのみて、度安里於登志見に行とて、相道寺村といふにきけり。
近きころ美濃の国より来けりとて、陶つくりがやどもありけるをへて、山路に入て遠近を見れば、さかしき山のみ十重廿重にかくみたり。
何の梢ならん、いとはや、もみづる山かげより、しら雲のたちのぼるところあり。
そのあたり栖家やあらん、タ飯のけぶり、いくすぢもむすびぬ。
やをら万?里淤等斯とありおとしに到て見れば、ふかさ、いくそばくぞや、はかりもしらぬ太谷にのぞんで、西ひんがしに、雲あらぬに竜のわだかまれるがごとき橋を、ニツまでかけわたしたり。
ひとあしふみ見んもあやうげに、たましゐ身にそはぬここちして、渡えんことのかたければ、せめて、なからばかりにも行て見まほしくて、あないの翁にたすけられて身にあせし、半ふみ見て返りく。
ここにいひつたふる歌に、
「信濃なるとありの谷に来て見れば雲井を渉る天のうきはし」
世にかかる処も、又ものかとたゝずみ見やりつつ、
おもはずよふみて本曾路の外に又とありの橋のかかるべしとは
渡えんかたはそことも白雲の虹かあらぬか谷の板はし
苦姫利とは、おもひもの二人もつことをいへり。
此郷にうたふ石臼うたに、
「とあり同志でうすひけば臼はまはらでやりうすに」
ある男、女ふたりがもとへ通ひたるに、此登阿里ども、つねは男をあらがへるこころも、とには見えざりけれど、ねたしとや思けん、此橋に友なひ到りうち休らひ、あなし涼し、しばしまちね、身にすたく蚤とらんと、あがすそうち返しけるを、いまひとりの女、そのこゝろをやしりたりけん、髪にさしたる針の糸して、此女のうち返したる衣の右づまと、わが左のつまを縫あはして立るを、蚤かる女、たてる女の背にたをれしふりしてうちあたり、谷に、さとつき落しければ、衣のつまにひかれて、ざばかりふかき渓そこに、ともにおち入て二人ながら身まかれり。
そのなきたま、頭ふたつある蛇となりて今もすむが、雨風にあるる日は、出ありくを見し人ありなど、あないのがたるを聞つつ、
うき人はよしとありともかゝりともあだに二人の身をやなすべき
あない、あしこのそがひこそ、かざしほとをしゆれ、風吹いづる穴のありけるよし。
〔天註‐‐風入(カザシホ)にや、風(カザシ)尾にや。おかしき名なり〕
もろこしに風井ありて、夏は風の吹出て、冬は風の吹入るといふも此たぐひならん。
かくて池田に帰る。
十六日 けふは有明山の麓のあたりに、そのかみ阪上田村丸の鬼うち給ひし処に、不動明王をすへたる堂に、つとめて、里人まうづるとてうちむれて行ぬ。
ここを立て宮本といふ村につく。
木立としふる社あり、これなん自鳳二といふ年、五瀬の州より外宮をうつしまつり奉るときけば、かけまくもあやにかしこう天御中主尊をいはひ、はた、天津彦火■々杵尊、天太玉命をも、あはしまつり奉ならんかしと、かしこまりて、〔天註--宮本のみやしろは式内にあらず〕
世々ふりて今もみけつの神籬に末さかふべき杉のいくむら
曾根原の橋よりこちは矢原庄、あちを仁科といふなり。
ゆく/\、村雨一とをり過たる夕栄の空おかし。
ここを閏田といふといへば、
ゆたかなる秋や見すらんふる雨に猶うるふ田の里のとみくさ
けふは斎日なり、ものたばせよ/\と、すぎやう者、かたゐのゆきかひにみちもさりあへず。
大町といふ処につきたり。
とみうど多く、にぎはゝしき里なり。
伊藤なにがしが家にとまる。
やのしりに、仁科なにがしのかみの城あとあり。
いにしへ、西行上人さすらへありき給ひしころ、二人の法師、秋の草に歌よみかいつけて、をはりをとりける処は、ここよりみち六里ばかりをへて、山奥に佐野といふところあり。
そこに二僧庵といふ名のみ残りぬ。
又浅間がたけの麓にも、ふたりの僧の身まかれりしあととて、ありけるともいふと、あるじの話るを聞つつくれたり。
門ごとに、まつ火たいて、又、市中をいとはやうながるる小河あるに、わらをおほ束につかね
て火をかけて、これを、ながし火とて、ながすやあり。
こは、水におぼれて身まかる人の、むかしにても、いまにてもあれば、そのたままつるとて、としごとにすといふ。
ねよとのかねもうちすぐるころより、男は女にすがたをまねび、女は男のふりによそひたち、すが笠を着、あるは於古曾てふものに顔おしつつみて、おどりせりける。
そのさうかこそはしらね、声うちどよみて夜はあけたり。
十七日 この里をたちて峠にのぼる。
ここを女犬原といふ。
左右むらを過て安曇郡のをはりなり。
不動坂をおりて、向かたの巌より麻苧の糸のみだれかゝるがごとく落くる水を、すなはち不動の滝とぞいふめる。
橋木といへるところにて、かれゐけひらいて、うちやすらひて、
聞渡る里の橋木の風のみか河瀬の波の音の涼しき
ここは更級郡なり。
ただ左為川のへたをつたひて、おなじこほり日名村に来けり。
この村の茅原といふところにおましますは日置神社にこそ。
出る峰入山のはもくもりなく照す日おきの神のかしこさ
牛越坂をこゆれば歌道村といふあり。
ここにある神籬を人麿大明神と申奉り、はた、みやしろのがたはらにあるを人麿の池といひならはせり。
いにしへ、かんつけにおもむき給ひしことあれば、柿本のもふちぎみ、このあたりを通り給ふにや、里の子の物語にいへり。
数ならぬ言葉の手向露斗みそなひたまへ人まろの神
大原村をへき、猿倉てふ処よりは水内郡をさかふとかや。
穂苅といふ村の宮沢てふ森に、皇足穂神社をあがめまつるにまうでぬ。
むかしは法師もつかへまつれり。
その寺正運寺とてすたれたるを、いまおこし建んと、いとなみせり。
かんづかざは塩入なにがしといふとか。
やすらけくそのやい鎌のとがまもて神のほかりの祓ますらん
栖民の猶さかゆかん秋の田のなびきたるほの神の恵に