晴耕雨読    趣味と生活の覚書

  1953年秋田県生まれ。趣味は、山、本、音楽、PC、その他。硬化しつつある頭を柔軟にすべく、思いつくことをなんでも書いています。あわせて、江戸時代後期の紀行家菅江真澄の原文テキストを載せていきます。

くめじのはし⑤ 菅江真澄テキスト

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久目路乃橋より 秋田県立図書館デジタルアーカイブ

十五日 あないをたのみて、度安里於登志見に行とて、相道寺村といふにきけり。

近きころ美濃の国より来けりとて、陶つくりがやどもありけるをへて、山路に入て遠近を見れば、さかしき山のみ十重廿重にかくみたり。

何の梢ならん、いとはや、もみづる山かげより、しら雲のたちのぼるところあり。

そのあたり栖家やあらん、タ飯のけぶり、いくすぢもむすびぬ。

やをら万?里淤等斯とありおとしに到て見れば、ふかさ、いくそばくぞや、はかりもしらぬ太谷にのぞんで、西ひんがしに、雲あらぬに竜のわだかまれるがごとき橋を、ニツまでかけわたしたり。

ひとあしふみ見んもあやうげに、たましゐ身にそはぬここちして、渡えんことのかたければ、せめて、なからばかりにも行て見まほしくて、あないの翁にたすけられて身にあせし、半ふみ見て返りく。

ここにいひつたふる歌に、

 

信濃なるとありの谷に来て見れば雲井を渉る天のうきはし」

 

世にかかる処も、又ものかとたゝずみ見やりつつ、

 

おもはずよふみて本曾路の外に又とありの橋のかかるべしとは

 

渡えんかたはそことも白雲の虹かあらぬか谷の板はし

 

苦姫利とは、おもひもの二人もつことをいへり。

此郷にうたふ石臼うたに、

 

「とあり同志でうすひけば臼はまはらでやりうすに」

 

ある男、女ふたりがもとへ通ひたるに、此登阿里ども、つねは男をあらがへるこころも、とには見えざりけれど、ねたしとや思けん、此橋に友なひ到りうち休らひ、あなし涼し、しばしまちね、身にすたく蚤とらんと、あがすそうち返しけるを、いまひとりの女、そのこゝろをやしりたりけん、髪にさしたる針の糸して、此女のうち返したる衣の右づまと、わが左のつまを縫あはして立るを、蚤かる女、たてる女の背にたをれしふりしてうちあたり、谷に、さとつき落しければ、衣のつまにひかれて、ざばかりふかき渓そこに、ともにおち入て二人ながら身まかれり。

そのなきたま、頭ふたつある蛇となりて今もすむが、雨風にあるる日は、出ありくを見し人ありなど、あないのがたるを聞つつ、

 

うき人はよしとありともかゝりともあだに二人の身をやなすべき

 

あない、あしこのそがひこそ、かざしほとをしゆれ、風吹いづる穴のありけるよし。

〔天註‐‐風入(カザシホ)にや、風(カザシ)尾にや。おかしき名なり〕

もろこしに風井ありて、夏は風の吹出て、冬は風の吹入るといふも此たぐひならん。

かくて池田に帰る。

十六日 けふは有明山の麓のあたりに、そのかみ阪上田村丸の鬼うち給ひし処に、不動明王をすへたる堂に、つとめて、里人まうづるとてうちむれて行ぬ。

ここを立て宮本といふ村につく。

木立としふる社あり、これなん自鳳二といふ年、五瀬の州より外宮をうつしまつり奉るときけば、かけまくもあやにかしこう天御中主尊をいはひ、はた、天津彦火■々杵尊、天太玉命をも、あはしまつり奉ならんかしと、かしこまりて、〔天註--宮本のみやしろは式内にあらず〕

 

世々ふりて今もみけつの神籬に末さかふべき杉のいくむら

 

曾根原の橋よりこちは矢原庄、あちを仁科といふなり。

ゆく/\、村雨一とをり過たる夕栄の空おかし。

ここを閏田といふといへば、

 

 ゆたかなる秋や見すらんふる雨に猶うるふ田の里のとみくさ

 

けふは斎日なり、ものたばせよ/\と、すぎやう者、かたゐのゆきかひにみちもさりあへず。

大町といふ処につきたり。

とみうど多く、にぎはゝしき里なり。

伊藤なにがしが家にとまる。

やのしりに、仁科なにがしのかみの城あとあり。

いにしへ、西行上人さすらへありき給ひしころ、二人の法師、秋の草に歌よみかいつけて、をはりをとりける処は、ここよりみち六里ばかりをへて、山奥に佐野といふところあり。

そこに二僧庵といふ名のみ残りぬ。

又浅間がたけの麓にも、ふたりの僧の身まかれりしあととて、ありけるともいふと、あるじの話るを聞つつくれたり。

門ごとに、まつ火たいて、又、市中をいとはやうながるる小河あるに、わらをおほ束につかね

て火をかけて、これを、ながし火とて、ながすやあり。

こは、水におぼれて身まかる人の、むかしにても、いまにてもあれば、そのたままつるとて、としごとにすといふ。

ねよとのかねもうちすぐるころより、男は女にすがたをまねび、女は男のふりによそひたち、すが笠を着、あるは於古曾てふものに顔おしつつみて、おどりせりける。

そのさうかこそはしらね、声うちどよみて夜はあけたり。

十七日 この里をたちて峠にのぼる。

ここを女犬原といふ。

左右むらを過て安曇郡のをはりなり。

不動坂をおりて、向かたの巌より麻苧の糸のみだれかゝるがごとく落くる水を、すなはち不動の滝とぞいふめる。

橋木といへるところにて、かれゐけひらいて、うちやすらひて、

 

聞渡る里の橋木の風のみか河瀬の波の音の涼しき

 

ここは更級郡なり。

ただ左為川のへたをつたひて、おなじこほり日名村に来けり。

この村の茅原といふところにおましますは日置神社にこそ。

出る峰入山のはもくもりなく照す日おきの神のかしこさ

牛越坂をこゆれば歌道村といふあり。

ここにある神籬を人麿大明神と申奉り、はた、みやしろのがたはらにあるを人麿の池といひならはせり。

いにしへ、かんつけにおもむき給ひしことあれば、柿本のもふちぎみ、このあたりを通り給ふにや、里の子の物語にいへり。

 

数ならぬ言葉の手向露斗みそなひたまへ人まろの神

 

大原村をへき、猿倉てふ処よりは水内郡をさかふとかや。

穂苅といふ村の宮沢てふ森に、皇足穂神社をあがめまつるにまうでぬ。

むかしは法師もつかへまつれり。

その寺正運寺とてすたれたるを、いまおこし建んと、いとなみせり。

かんづかざは塩入なにがしといふとか。

 

やすらけくそのやい鎌のとがまもて神のほかりの祓ますらん

 

栖民の猶さかゆかん秋の田のなびきたるほの神の恵に

 

 

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