柏の葉公園を車で、走っていたら、東大柏キャンパス前の並木が、色づいていた。
紅葉の色づき方が、変わっている。
樹木によって、まだ緑だったり、黄色かったり、真っ赤だったりする。
なかには、もう落ち葉になっていて、ほとんど葉を残していないのもある。
同じ一本の木でも、葉っぱによって進行具合が違ったりして、緑、黄、赤、茶、なんとも自由である。
東大柏キャンパスは、都内に散在していたいろんな学部の研究所を集中させたものらしい。
見ていて、この並木は「プラタナス」なんじゃないかと思いあたった。
プラタナスといったら、北大キャンパスという記憶がある。
名前だけで、どんな木かはよく知らなかった。
北大はポプラ並木も有名だけど、ポプラは巨木だった気がするから、それほど大きくはないこれがプラタナスなのか。
私にとっての、プラタナスは好きだったランチャーズの「真冬の帰り道」の歌詞にあった。
「あなたの肩先に ひらひらこぼれてる
プラタナスの枯れ葉 寒そな枯れ葉」
響きはオシャレだが、枯れ葉である。
そのあと、八柱の病院に用事があって、小金原団地を車で走っていたら、同じような並木があった。
車なのでゆっくり見ていられない。
これは、あとでゆっくり歩いて来よう。
自宅に帰って、ひと休みして、出かけることにした。
外に出て歩き始めると、青空に見事な雲がうかんでいる。
先ほど小金原団地を走った時、旧水戸街道から左折して、小金原団地にはいったところから、プラタナス並木らしいものが始まっていた。
そこで、ちょうど左折した交差点がある根木内歴史公園を目指す。
かつては江戸幕府の小金の牧があったところだ。
交差点で、旧水戸街道を渡る。
道路の両側に、色とりどりの並木である。
少し歩いたら、「根木内遺跡」という白い杭が建てられている。
横に説明文が書かれていた。
昭和44年に市教育委員会で発掘調査を行い、多量の縄文土器が発見されました。」
まわりを見回して見たが、貝塚らしいものはわからなかった。
この辺りは、海抜20メートルくらいの場所であり、近くに貝塚が、点在する。
当時の海岸線が、あったのだ。
とりあえず、今日は先を急ぐことにする。
小金原団地は、昭和44年(1969年)入居開始ということなので、すでに50年が経過している。
これらの並木もその当時植えられたものだろうから、そろそろ寿命とかあるのだろうか。
この近くには、常盤平団地というさらに10年ほど古い公団住宅がある。
そこには、さくら通りという桜並木があるが、寿命で枯れて切り株になってしまったものが見られる。
公団住宅のような大規模な団地には、いろんな並木が作られている。
よく見かけるのは、「桜並木」、「欅並木」、「銀杏並木」といったところだろうか。
県道が団地のメインストリートと分岐する交差点があって、県道は左に方向を変え、メインストリートは真っ直ぐ南に進む。
その通りに「あめりかふう通り」というカンバンがあった。
このカンバンは前にも見かけたことがあって、何が「あめりかふう」なのだろうと思っていた。
並木路を進んでいくと、道路の向かい側にキリスト教の教会が見えた。
一見、ふつうのホールのような建物で、あまり教会らしくはない。
プラタナス並木に教会で、「あめりかふう」なのだろうか。
それはないような気もするが、わからない。
さらに進むと、信号のある交差点で、小学校のある道路と交差したが、その道路は桜並木のようだった。
団地の中心部に向かって歩くと、お寺もあった。
車でよく走る道路だが、お寺があるのは知らなかった。
銀行や交番、スーパーに郵便局がある団地の中心に着いた。
南北のメインストリートは、まだまだ今まで歩いたくらい続くが、ここまでにしてここで東西のメインストリートに方向を変える。
小金原団地は松戸市であるが、左折して、東の柏市方向に向かう。
この通りは、イチョウ並木だった。
先日歩いた富士川が流れているはずだが、この辺りでは暗渠になっていて見えない。
柏市に入り、西山という小高い丘の住宅地を進む。
台地が終わるあたりで、何棟かの農家が見えてくる。
建物の前には広い畑があり、建物の後ろは鬱蒼とした森を背負っている。
この道を通るたびに、こんな農家のたたずまいが柏市にまだ残っていることに、うれしくなる。
丘を下るところに、祠があった。
鳥居も神殿もささやかなものだったが、何故かまわりに石碑のようなものが数多くあった。
立ち入り禁止のチェーンがあったので、近寄ることはできなかった。
あとは、夕食の買い物でいつものスーパーに寄る。
スーパーの手前にも、いい感じの農家がある。
子どもたちが通っていた中学校の近くである。
たぶん、プラタナスだったと思うのだが、どこにもプラタナスという表示はなかった。
帰ってから、プラタナスのことを調べた。
プラタナスは、日本語では「鈴懸(すずかけ)」のことだそうだ。
かつて、「鈴懸の径」という曲があって、私は藤圭子さんの歌で知っている。
昭和17年という古い曲なので、いろんな人が歌っていると思う。
私は、学生時代に彼女のアルバムを何枚か買っている。
「鈴懸」がどんな木かも知らずに、聴いていた。
藤圭子というと、今は「宇多田ヒカル」の母ということになるだろうが、すごい歌手だと思う。
もちろん、「夢は夜ひらく」のようなオリジナルも凄みがあるが、「鈴懸の径」のような古い曲のアルバムもすばらしかった。
そして、ポップスを歌ったアルバムも、私は持っていた。
朱里エイコさんの「北国行きで」とか、ペドロ・アンド・カプリシャスの「別れの朝」などは、今でも思い出す。
なんでも歌える人だったのだ、と思う。