晴耕雨読    趣味と生活の覚書

  1953年秋田県生まれ。趣味は、山、本、音楽、PC、その他。硬化しつつある頭を柔軟にすべく、思いつくことをなんでも書いています。あわせて、江戸時代後期の紀行家菅江真澄の原文テキストを載せていきます。

旧水戸街道を行く② 小金宿〜馬橋宿

旧街道を南に向かうと、北東から南西に走る国道6号線と交差する。

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水戸街道と新水戸街道の交差点

国道と斜めに交差した旧水戸街道は、南西に向きを変えながら、国道と並行して進む。

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旧街道は、かなりの広さがあり、十分に車がすれ違えるが、なぜか一方通行になっていた。

初めてこの道を通ったのだが、まさかこれが旧街道とは知らなかった。

しばらく行くと、八柱方向への「けやき通り」という市道にぶつかる。

この市道沿いには、松戸市の「北部市場」があったのだが、数年前に閉鎖し、2年ほど前から住友系の「テラスモール松戸」が営業している。

旧街道は、けやき通りで分断されて、交差点にはなっていなかった。

通りを向こう側に渡ると、かつて「松戸日立自動車学校」という、私が運転免許取得のために通った学校のあった懐かしい道だった。

すでに、自動車学校はなくなっていて、日立関係の物流拠点になっていた。

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自動車学校跡と正面はJR武蔵野線

JR武蔵野線の高架を潜って進むと、斜めに国道6号線に合流する。

国道の向かい側の高台に、神社が見える。

「蘇羽鷹神社」というのがあるのは、この辺りを通るたびに気がついていた。

神社の名前が変わっていて、気になっていた。

この高台には、「二ツ木向台遺跡」というのもあるらしいので、そのうちに訪ねてみたい。

帰ってから調べたところ、神社ができる前には「馬橋城」という千葉氏当主を称していた千葉孝胤が築城したとされている。

その後、千葉氏居城の亥鼻城の鬼門にあった曾場鷹大明神を分祀したものとのことだ。

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蘇羽鷹神社

ここから、しばらくは街道は国道と重なっている。

この辺りは、JR常磐線新松戸駅付近であり、馬橋駅方向に向かうことになる。

500mほど進むと、「八ヶ崎」交差点があり、一里塚址と水戸街道道標がある。

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この交差点で、左方向は「印西道」で江戸幕府の軍馬放育場を管理していた金ケ作野馬方陣屋に通じていたという。

交差点の横断歩道橋を渡って、斜めに進むと馬橋駅の方向に続く旧街道である。

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横断歩道橋から小金宿方向を望む

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横断歩道橋から松戸宿方向を望む

国道から離れて、旧街道を進む。

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旧街道を馬橋方向に歩く

500mくらい歩いていると、右手にお寺があった。

「萬満寺」という臨済宗のお寺である。

鎌倉時代に創建された時は、真言宗だったらしいが、室町時代臨済宗の寺院として再興したとある。

若い頃に、友人が馬橋に住んでいたので、飲んで酔ってこのお寺に来たような気もするがよく覚えていない。

立派な山門を過ぎて、本堂に進む。

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萬満寺本堂

本堂の右脇に、小さな子どもたちが元気に遊んでいて、どうも幼稚園らしい。

この幼稚園も、やはり寺院経営の幼稚園なのだろうか。

帰ってから調べたら、萬満寺に関係のある幼稚園のようだった。

幼稚園のホームページには、次のように書かれていた。

 

 「年長児を中心に静かに座ります。保育に禅の規律の教えを加味して、集団生活の中で自分自身で考え、他を思いやる気持ちを育てます。

 

座禅を取り入れているのだな。

なるほど、こういう幼稚園もあるんだな。

寺院の左手には、「王子神社」という神社があるようだったので、まわってみた。

神社の由来書には、萬満寺の守護神として創建されたとあり、16世紀半ばに熊野の若一王子を勧請し王子権現社としたが、明治6年神仏分離によって、分離されたとある。

かつては、どこのお寺にも権現社という神社があったのだろう。

神仏分離によって、分離され、今も寺院の近くに残っている神社もあれば、無くなってしまったものもある。

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馬橋王子神社

街道は、この萬満寺で方向を45度くらい変えている。

右手に、JR馬橋駅を見て、進む。

再び、旧街道は国道6号線と斜めに合流する。

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