昨年の夏に、このブログを書き始めた。
1ヶ月くらい経った9月ごろに、こんな記事を書いた。
昨年は、2020年だった。
その50年前、1970年、私は高校2年生だった。
50年といえば、半世紀である。
もうそれだけの、時間が経過してしまったのである。
当時私は、ロックやフォークに興味を持ち始めて、夢中で聴いていた。
その頃に、アメリカの人気ミュージシャンが3人相次いで亡くなった。
たぶん、3人ともドラッグがらみの死だったと思う。
他に類のないようなミュージシャンたちだったと思う。
私より、10歳くらい年上で、27歳で亡くなった。
生きていたら、どうだったのだろうと、しょうのないことを考えてしまった。
歴史を考えるときに、「誰が死ななかったら」とか「誰が生きていたら」など、「もしも」を考えることは意味のないことである。
でも、やっぱり思ってしまう。
ジミ・ヘンドリクスが生きていたら、ジャニス・ジョプリンが生きていたら、ジム・モリスンが生きていたら。
どんな音楽を、やっていたことだろう。
そんな、しょうもないことを考えてしまう。
グログを始めて、何ヶ月かは誰も記事を読んでくれた形跡はなかった。
そこで、もう一度書いてみた。
ジミ・ヘンドリクス 「パープル・ヘイズ」
ジミ・ヘンドリクスは、ギターも歌も、初めて聴いた時に、他とは違ってるのは感じた。
この頃は、ロックの個性的なギタリストが、次から次と現れた時代だった。
エリック・クラプトン、ジミー・ペイジ、リッチー・ブラックモア、カルロス・サンタナ、
ジェフ・ベック、などなど。
なんでも短縮してしまう日本では、「ジミヘン」の愛称で呼ばれていて、当たり前のように通じる。
彼の音楽は、ブルースとロックンロールを融合させたということになるだろうが、「ローリングストーン誌」で、史上最高のギタリスト第1位に選ばれたそうである。
ほんとに、他に類のないロック・ミュージシャンだ、と私も思う。
Purple Haze (Live at the Atlanta Pop Festival) (Digital Video) - YouTube
この50年間を考えても、ジャニス・ジョプリンに並ぶような女性歌手はいない、のではないだろうか。
でも、私は彼女の死のニュースで彼女の名前を知った。
よほどのロックファンなら、日本でも知っていただろうが、誰でも知ってるというわけではなかった。
アメリカではすでに、存在感のあるシンガーだったのだ、と思う。
その後で、「ミー・アンド・ボビーマギー」という曲がヒットした。
この曲は、フォーク・シンガーのクリス・クリストファーソンの曲で、かなりスローでゆったりした曲である。
ジャニス・ジョプリンの歌を聴いていると、からだ全体で、心の全体で歌ってたのだと、いう気がする。
彼女は、単にロックの世界にとどまらないシンガーだったのだ。
Janis Joplin - Cry Baby - Live 1970 - YouTube
ジム・モリソン 「ライト・マイ・ファイア」
ジム・モリソンは、アメリカのロックバンド「ドアーズ」のボーカリストである。
この3人のなかでは、もっとも日本で知られていたと思うし、レコードも売れただろう。
「ライト・マイ・ファイア」は、日本では「ハートに火をつけて」という印象的なタイトルで発売された。
それに続く「ハロー・アイ・ラブ・ユー」や「タッチ・ミー」も、ポップと言ってもいいくらいに、親しみやすいサウンドだった。
ドアーズといえば、キーボードのレイ・マンザレクのオルガンの音色が耳に残っている。
ベーシストがいないバンドで、キーボードでベース音を出していたらしい。
The Doors - Light My Fire - YouTube