子どもの頃の写真を、私はあまり持っていない。
年に一回の学校の記念写真や、修学旅行の写真くらいである。
あとは、数枚のスナップがあるが、これはおじさんが撮ってくれたものである。
自宅近くの田んぼなどで撮ってもらった。
おじさんと言っても、10歳以上20歳近く離れた従兄弟である。
札幌で勤めていて、お盆や正月に帰ってきた。
8ミリ映写機も持っていて、自分で撮った8ミリフィルムをみせてくれた。
障子かシーツをスクリーンにして、上映会をやった。
小学校高学年の担任の先生が、遠足などのスナップを撮ってくれたものも、数枚ある。
先生は、自分で現像や焼付けをやって、クラスのみんなに配ってくれた。
代金を集めることはなく、無料だったと思う。
そのかわり、とても小さいサイズだった。
クラスの30人以上の子どもたちにあげるのだから、自腹を切るにも大変である。
もともと理科専攻の先生だったので白衣を着ていることが多かったが、理科室あたりで、焼付けした印画紙を水洗いしてるのを、見たような気がする。
放送室のとなりに、放送室付属の小さなスタジオがあって、そこの小窓をに暗幕すれば真っ暗になったから、そこで現像焼付けしたのかも知れない。
私や姉たちも、写真館で撮ったような写真は持っていない。
写真館に行くような余裕がなかったのだろうか。
父親や母親は、何枚か写真館で撮った写真がアルバムにあった気がする。
何かのの機会に、街の写真館で家族で写真を撮ることは、私の田舎のようなところでも当たり前のことだったのだろう。
何回かの転居の際に、両親のアルバムは紛失してしまった。
父と母の若い頃の写真は、手元にはない。
母親には、3歳年上の兄さんがいた。
母親が、いつか言ってたことがある。
兄さんが若い頃に、写真の現像や焼付けを、押し入れの中でやっていた。
そう言えば、妻の父親も、自分で写真の現像や焼付けをやっていたという話を聞いたことがある。
二人とも、大正の終わり頃生まれの世代である。
その頃の新しいもの好きの人は、そういうことを独学でやっていたのだろう。
写真館で写真を撮ることは、贅沢なことだろうから、そんなにたびたびできることではなかったから、自分でやるしかなかった。
写真が、誰にでも身近なものになっていったのが、高校生の頃だった。
1970年前後になる。
カメラは持ってなかったが、カラー写真が出始めた。
そして、学生時代にアルバイトをやって、旅行に出かけるためにカメラを買った。
「オリンパスペン」という商品名は覚えている。
いくら位するものだったのか、調べてみた。
「オリンパスペンEE-2」というものだったらしい。
価格は、11,000円ということなので、アルバイトで買える範囲だ。
でも、フィルムやプリントは、それほど安くはなかったと思う。
その点で、この機種はハーフサイズで、フィルムを2倍に使える経済的なものだった。
これが、私にとっては、はじめてのカメラだと思っていたのだが、考えてみたら、そうではなかった。
小学生の時に、おもちゃのようなカメラを買ってもらった。
おもちゃのようなものだったが、ちゃんとフィルムが入れられて写真が撮れた。
写真屋さんで、写真にしてもらった。
最初の被写体は、我が家で飼っていた子ヤギくんだった。
鳴き声のかわいいヤギだったけど、写真は残っていない。
その後、私にとっては山登りの時代を経て、子育ての時代になる。
1980年代後半には、フィルムも安価になり、プリントもクリーニング店や薬屋さんなどの取次店を利用できるようになって、しかもかなり安くなった。
さらに、PCの時代になってデジタルカメラが使われるようになる。
考えてみると、デジタルカメラにしてからは、ほとんどプリントをしていない。
写真はディスプレイで見て、必要であればプリントということになった。
我が家の場合、子育てのアルバムが40冊くらいになっていた。
数年前に、スキャナーを使って、アルバムの写真をデジタル化したのだが、大変な作業だった。
昨年は、孫娘の七五三だった。
写真館で撮った記念写真をいただいた。
我が家も、子どもたちの七五三や、入学、成人などに写真館で記念写真をとってもらっていた。
いくら手軽に写真が撮れるようになっても、節目には写真館で記念写真を撮る。
かつての写真館というイメージよりも、もっとおしゃれな写真スタジオとなって、定着している。