晴耕雨読    趣味と生活の覚書

  1953年秋田県生まれ。趣味は、山、本、音楽、PC、その他。硬化しつつある頭を柔軟にすべく、思いつくことをなんでも書いています。あわせて、江戸時代後期の紀行家菅江真澄の原文テキストを載せていきます。

楽器が好きなのに楽器にむいてない

リビングの隅に、ギターがスタンドに立っている。

しばらく、さわっていないな。

たまには、練習しようかな。

楽譜はどこだろう。

定年退職の時に、自分へのご褒美に買ったクラシックギターである。

エドムンドというスペイン製のものだ。

それまでは、数年前にネットショップで購入した、すごく安いギターを弾いていた。

 

私は、子どもの頃から音楽が好きだった。

小学生の時に、たぶん6年生の頃に、ウクレレを買った。

ほんとは、ギターが欲しかったと思う。

お年玉では、ギターは買えなかった。

私の世代は、小学生の低学年で、ハーモニカを吹いている。

高学年になったら、リコーダーだった。

それが必修だったのだ。

私のように山奥の学校にも、鼓笛隊というやつがあった。

指揮者と、小太鼓とグロッケンという鉄琴があって、その他大勢がリコーダーである。

運動会は、その行進で始まったような気がする。

 

でも、私はリコーダーが苦手だった。

リコーダーだけではなく、ハーモニカも苦手だった。

音を出さずに、吹く真似をしていた。

私は、どうも楽譜の暗譜というやつが、できないのだ。

楽譜はわかるので、楽譜が目の前にあれば、吹くことはできる。

考えてみれば、これは楽器の演奏については、致命的な欠陥である。

その頃は、それを自覚していなかったので、ウクレレを買ったのだ。

そして、中学生の時に、ギターを買った。

少年漫画雑誌の「少年サンデー」には、いろんな通信販売の広告があった。

その中に、「ギターが作れる」というのがあって、それを申し込んだ。

作れるといっても、塗装を自分でしようというものだった。

ごっつい未塗装のギターが送られてきた。

自宅にあったニスかなんかを、自分で塗ってみた。

でも、ネックも太くて、子ども向きではなかった。

 

高校生になって、ちゃんとしたギターを買ってもらった。

ワインレッドの色のマホガニーというのかな、そんなギターだった。

弦は、フォークギターのようなスチール弦だった。

そのギターで、毎月買っていた「ヒットポップス」という月刊誌の載っていたフォークソングなどの楽譜を見て、練習していた。

フォークソングアルペジオというのが、クラシックギターの手法らしいことを知った。

大学生の時に、働いていた姉がクラシックギターを買ってくれた。

ナイロン弦のクラシックギターである。

カワイ製だったそのギターで、通信教育の教本で練習をした。

たしか、「東京音楽アカデミー」という学校?で、小原安正さんという方の教本とレコードが送られてきた。

とても良くできた教本で気にいって、ずっと練習していたのだが、いつのまにかなくしてしまった。

引越しの際にギターを破損してしまって、ギターを長い間中断していた。

その時に、なくしたのだと思う。

 

就職して、両親と住んでいた頃、キーボードをやりたくなった。

それまで、キーボードといったら、ピアノかオルガンだったのが、シンセサイザーのように電気的にいろんな音を出せるものが出てきていた。

時代的には、イエローマジックオーケストラ富田勲さんが、欧米のヒットチャートを賑わしていた。

ピアノだけでなく、オルガンや何種類もの楽器の音が出るのを売り文句にしていた。

それで、私も買ってしまった。

ピアノは、まず「バイエル」らしいので、教則本を買って、練習していた。

ギターのアルペジオの練習はやっていたので、この指の動かし方の練習は拒否反応はなく続けられた。

しばらくやっていて、飽きてきた頃に、同じ市内に住んでいる姉の小学生の姪っ子がエレクトーン教室に通い始めたことを聴いた。

まだ、エレクトーンは買っていないということだったので、キーボードをあげることにした。

あっけなく、私のキーボード修行は終わった。

 

たぶんまだ20代の頃に、仕事で知り合った方に、バンドをやらないかと誘われた。

彼は、ピアノを弾くので、私にギターをやろうという。

私の友人が、ベースをやることになった。

私と友人は、ほとんどシロウトなのに、無謀にも楽器を買ってしまった。

私は、フェルナンドというメーカーのセミアコースティックギターを買い、友人はエレキベースを買った。

セミアコースティックギターは、ジャズでよく使われるもので、アコースティックギターのようにボディが木製で空洞を持っていて、柔らかい音質である。

ピアノのリーダーは、結婚していたが、私と友人は独身だった。

まあ、やろうとしていたのは、ジャズになるのだろうか。

黒いオルフェ」の楽譜を貰って、練習した。

何回か、いっしょに練習をした。

他の曲もやって気がするが、覚えていない。

そのうちに、リーダーが転勤でいなくなってしまった。

そんなに遠くに行ったわけでもないが、会う機会がなくなってしまった。

そういうわけで、バンドは消滅してしまった。

はじめから、無理があったかもしれない。

結構いい値段のした楽器は、陽の目を見ることもなく、部屋で爪弾くだけになった。

 

それでも、処分することなく、押し入れで眠っていた。

それから、20年くらいして、高校生になった長男がそれを引っ張り出して、学校に持っていった。

弓道部の仲間と作ったというバンドで使うのだという。

バンドの演奏を私は聴いたことがないが、ロックバンドだったらしい。

そう言えば、ドライブすると、その頃気に入っていたらしい「レッドホットチリペッパーズ」や「マローン5」をかけていた。

おかげで、このバンドは知っている。

 

この文章を書いていて、思い出した。

学生時代に、カントリーバンドの練習に参加したことがあった。

その時、私は教室の後ろの席で、講義中なのに音楽雑誌を読んでいた。

買ったばっかりだったので読みたかったのだと思う。

そしたら、隣の席に座った学生が、「軽音楽クラブで、カントリーバンドやってるけど、見に来ませんか」という。

あとで、練習を見学しに行った。

どうも、スチールギターの担当がいなくて、メンバーを探していたらしい。

スチールギターと言ったらハワイアンのイメージだけど、カントリーでも使うのだ。

スチールギターに触らしてもらったが、金属製の棒のようなものをスライドさせて音を出す。

ギターと違って、とんでもなく難しく、ものになりそうもない。

何回か参加していたが、最終的に諦めた。

そんなことも、あったなと思い出した。

 

クラシックなら、目の前に楽譜を置けるけどなあ。

やっぱり、致命的だよな。

そして、思いつきが多くて、続いていない。

ひとりで、弾いて楽しむしかないか。

 

 

 

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