晴耕雨読    趣味と生活の覚書

  1953年秋田県生まれ。趣味は、山、本、音楽、PC、その他。硬化しつつある頭を柔軟にすべく、思いつくことをなんでも書いています。あわせて、江戸時代後期の紀行家菅江真澄の原文テキストを載せていきます。

あきたのかりね③ 菅江真澄テキスト

二十日 空ことなし。

比日羽黒山東田川郡羽黒町)にまうでんとて、やを出て、やがて梵字川のへたをつたふ。

此みなかみは月の山の雪消の水、湯殿山のしたゝりといふ。

赤河といへるを舟にて渡り、三橋(東田川郡羽黒町)といふところに来けり。

三ところに、ちいさきはしを渡したれば、しかいへり。

 

   行駒のあし音ふたつ三はしの短きほどもかつしられぬる

 

ととなへ捨て、荒川、神路箇阪をへて手向の町といふに入ぬ。

中の阪、赤阪、念仏堂に至る。

こゝなるふる墳の石に藤原氏と記して、元応二(一三二○)年とかいたりけるは、いかなる人のと、なみだこぼれね。

八日町にながれたるは滑川とて、ゆへなる流と人のいへり。

いかめしきやに松の聖にあたるといふ高札をさしたり。

けふより百日の日、いみじきいもゐ(精進)に帯もはなたずまろねして、除夜の宵に大祭りとてかんわざありけるに、とちいだちてけるうばそくなりけり。

やのうちには酒さかなとゝのへて、あるじしたり。御神馬と礼たてたるは、いかなる馬のありてかとさしのぞけば、大なる黒牛のつのふりたてて、うゝとうめく。

こは馬をいみたるにやあらんか。

此かたを画にかきて家毎におしたるは、あし手、火にやかぬまじなひ也とぞ。

ある人比辺に大僧正行尊の塚ありけるよしいへば、此あないにとへど、われとし老たれど、いづこともしらじ。

むかしゑやみはやりて、山も麓も人みな比やまひにおかされふしなやみたるを、行尊大徳、桃の実をとりて水にうち入て加持し、人々にのませ給へば、みなあたゝかさたちまち去て、いえたりと聞伝へ侍る。

桃清氷とて今にながれたり。行尊つゐに、此山にてをはりをとり給へりとぞ。

其塚はいづことしらねど、路のかたはらの木にかいつけぬ。

 

   世に匂ふ花の言の葉残りてもありとやこゝにとへる人なき

 

あない、何記し給ひしぞ、こと国の人は、かく落書のみし給ふとわらふ。

二王門に入ぬ。

まゝ子阪といふところあり、むかし継子捨たるところ。

下居宮、閼加の井、祓川をはしより渡れば、岩のうへに倶利伽羅不動尊のたゝせ給ふあなたに、あまたのこずゑ紅葉たる中より落滝(おちたき)つながるゝは、錦にかゝる糸すぢにひとし。

比水に口そゝぎて、

 

   かきつもる心のちりをはらひ河早瀬にたぐふ峰の松かぜ

 

杉のむら立る中に五重の浮図(塔)あり。

軍茶利明王、又炒見ぼさちのおましますは、承平の頃、平将門の建給ふたると聞えぬ。

一の阪の左に石あり、燈明石といひて、夜毎に火をのづからともるといひ、又水石とで山お

くにありけるよりは、水したゝりながるゝといひ、是を羽黒山のニツ石と人ごとにたふとみたり。

むかしよりいひ伝ふ歌に、

「相おもふこゝろをとはゞふた石の枴(おうご)も絶んながの契は」

二の阪をあぶらこぼしといふ。

たけくらべの杉、伊弉諾山、若一王寺とよぶは、伊弉諾、伊弉冊の二はしらの尊を、あがめ奉るところ也。

いざなぎ石とて大なるいはほを、ふたつにやぶりて生ひ出たる桜あり、花いとよきよしをいふ。

名を石わりざくらとよぶ。

西行戻といふところあり、いかゞしてかもどり来給ひしやらんと、あないの翁ほゝゑみたり。

児堂といふあり、こはみちのおく(陸奥信夫郡藤崎庄、たれといふ人の子藤松丸とて、母にをくれて比羽黒山にのぼりて、すけせんとて来りしを、このちごのかたち世になうきよらなりければ、あまたの僧侶けそうし恋したひて、かなたこなたにつれ行、われが心になぴけ、かれにしたがへとあらそひひこしろひて、はては此子をむなしくなしぬ。

其ためかゝる堂建てとあととぶらひしといひつたへき。

又刀笈捜といふうたひ物には、まゝ母に捨られしと作たりと人のかたりぬ。

やゝのぼりえて御前にぬさとり奉る。

玉依姫、伯禽州(姫命(玉依り姫御子也)稲倉魂神、倉稲魂命なりとも申奉る。又稲倉魂神うへならんとか、世に羽黒権現と唱へ奉る。

月の山は月読尊をあがめまつり奉なり。

湯殿山にまつり奉るは大山祗命、又は大巳貴命、あるは彦火々出見尊とも聞えたり。

木々生ひ重るなかより、遠方の海つらに八乙女の浦、こなたに、こがねの峰見えたり。

こは、みよしのゝかねのみたけをうつして、蔵王ごんげんをあがめまつれり。

この山の巌みな、こがねのいろしたるゆへ、山の名もしか金峯と聞えたり。

恋の山といふも、こゝをさしていふといへば、

 

   こへ行かばたもとやくちん恋の山分そめしよりぬるゝ習に

 

月の山に雪つもりたるを見て、

 

   ひるも猶俤けたて月よみの光をそれとみねのしら雪

 

あないの翁、念仏車とて、柱になもあみだぶとかいたる車ひたにうちめぐらしけるを、いざ、みちいそがん、日もくれなんといへば、わかぜ〔わかき男わかぜといひ、わかき女をめらしといへり〕ならねば、いきぐるし。

よし暮たりとも山鬼はおらじ〔狼を海鬼といひ、これにたぐえたる山犬といふなるを、やま鬼と里人のいへり〕いましばしやすらひ給へと、岩つらにしりうたげしたり。

からすの、ねどころへ行とてむら/\と過たるを、

 

   ねぐらとふ麓の里のむらがらすをのが羽黒の山に暮行

 

松の聖の二人、あまときんといふものを着て、しろき袴に金剛杖をつきて、うばそく、志羅(素人)あまたしたがひて、貝ふき、ねんず(念珠)ならして、天宥別当曼陀羅ゑりてかけ渡し給ひし、念仏橋といふ石橋をねり行たり。

夕ぐれちかく文珠坊にやどかる。

あるじうばそく、むかし、あが家に、はせを翁一夜とまりけるとて残りたる短冊、近きころうせたりなどかたりぬ。

この山のふるき宝をとへば、むかし世中のさはがしかりける頃、むさしぼう弁慶、よしつね、政所坊がやに、もゝか(百日)あまりかくろひとゞまり給ひて、むさし坊の手にて、ほくゑきやう(法華経)あみだ経かい残しける。

其の笈一ツあり。

はた、くさ/\゛のものるがなか、べんけいの糟鍋とて持つたへたるもあやしといへり。

又いつの頃にかはじめけん、黒川邑(東田川郡櫛引村)のたみ、む月のはじめには、としごとに、さるがう(申楽)舞侍るはめでたしとかたりぬ。

 

 

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