晴耕雨読    趣味と生活の覚書

  1953年秋田県生まれ。趣味は、山、本、音楽、PC、その他。硬化しつつある頭を柔軟にすべく、思いつくことをなんでも書いています。あわせて、江戸時代後期の紀行家菅江真澄の原文テキストを載せていきます。

今年も桜は咲く

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松ヶ崎城址の桜を見に行った。

早咲きの桜が満開だった。

松ヶ崎城址は、高台の上部には何もなく、芝生になっている。

土塁や空堀の跡が残っていて、説明板も設置されている。

そして、何十本かの桜が植えられている。

いつ来ても、ほとんど人影はない。

昨年も来たのだが、咲き初めだったので、数組の人は歩いていた。

f:id:seiko_udoku:20220318090649j:plain桜が満開なので、人出がすごかった。

この城址で、こんなに人がいるのを見たことがない。

中腹に駐車できるスペースがあるのだが、10台以上駐車していて満車状態だ。

歩いて城址にむかうグループも、次々とやって来る。

公園ではないので、桜を見ながら歩くだけで、シートを広げている人はいない。

 

人間の世界に何があろうとも、桜は毎年咲くのである。

ただ、桜を眺める気持ちの余裕が人間にあるかどうかである。

この十日間くらい、いろいろ考えることが多かった。

 

そろそろ、3.11だから、11年になるのだな、と考えていた。

そうしたら、テレビで「東京大空襲」を取り上げていた。

東京大空襲は知っていたが、東日本大震災の前日の3月10日であったのは知らなかった。

終戦の年昭和20年(1945年)3月10日の夜間の空襲で、死者10万人だったそうだ。

その頃、私の父は東京で母は隣の川崎で働いていた。

義務教育終了後、郷里の秋田から就職していたのだ。

計算すると、父は19歳、母は16歳である。

こんなに若くて、親元離れて生活していたのだな。

それが、たぶんこの大空襲のせいで秋田に帰っている。

もしも、空襲がなくて、秋田に帰ってなかったら、二人が結婚することはなく、私たち姉弟も存在しなかった。

 

戦争を知らない子供たち」という曲がある。

作詞をした北山修さんは、昭和21年生まれで、私は昭和28年生まれである。

「戦争が終わって僕らは生まれた

 戦争を知らずに僕らは育った」

おかげさまで、僕らはいまだに、「戦争を知らずに」生きている。

世界のどこかで、いつも戦火は絶えることがないのに。

私の生まれた昭和28年に、朝鮮戦争が終わっている。

昭和50年、大学生の時に、ベトナム戦争が終わった。

どちらの戦争でも、日本にあるアメリカ軍基地が補給基地だったと思う。

今だったら、日本までミサイルが飛んで来ただろう。

ウクライナで、ヨーロッパやアメリカがおよび腰なのは、それがこわいんだろうな。

 

ロシアのウクライナ侵攻というのは、理解できないことが多い。

国内の問題を解決するために、国外にそれを求めるのだろうか。

プーチンさんの言動を見てると、人はやはり自分を基準にしてしか、相手を見るしかできないのかなと思う。

自分の中にあるものが、ことばとして外に現れる。

ウクライナを、「ナチス」よばわりしている。

ナチス」の正式名称を日本語訳すると、「国家社会主義ドイツ労働者党」であると知った時、けっこう驚いた記憶がある。

ここでの「国家」は、“National”なので、「国民」とか「民族」とかに訳すことも可能らしい。

どのことばを使うかで、印象がまったく違う。

 

現在は、インターネットがあり、スマートフォンの時代である。

みんながカメラマンだし、ジャーナリストで、放送局でもある。

見られたくないものも、しっかり見えるし、見られている。

プーチンさんを見ていると、20世紀というよりも、さらに遡って19世紀くらいの感じがする。

「裸の王様」だとすると、どんな結末になるのだろう。


 

 

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