松ヶ崎城址の桜を見に行った。
早咲きの桜が満開だった。
松ヶ崎城址は、高台の上部には何もなく、芝生になっている。
土塁や空堀の跡が残っていて、説明板も設置されている。
そして、何十本かの桜が植えられている。
いつ来ても、ほとんど人影はない。
昨年も来たのだが、咲き初めだったので、数組の人は歩いていた。
桜が満開なので、人出がすごかった。
この城址で、こんなに人がいるのを見たことがない。
中腹に駐車できるスペースがあるのだが、10台以上駐車していて満車状態だ。
歩いて城址にむかうグループも、次々とやって来る。
公園ではないので、桜を見ながら歩くだけで、シートを広げている人はいない。
人間の世界に何があろうとも、桜は毎年咲くのである。
ただ、桜を眺める気持ちの余裕が人間にあるかどうかである。
この十日間くらい、いろいろ考えることが多かった。
そろそろ、3.11だから、11年になるのだな、と考えていた。
そうしたら、テレビで「東京大空襲」を取り上げていた。
東京大空襲は知っていたが、東日本大震災の前日の3月10日であったのは知らなかった。
終戦の年昭和20年(1945年)3月10日の夜間の空襲で、死者10万人だったそうだ。
その頃、私の父は東京で母は隣の川崎で働いていた。
義務教育終了後、郷里の秋田から就職していたのだ。
計算すると、父は19歳、母は16歳である。
こんなに若くて、親元離れて生活していたのだな。
それが、たぶんこの大空襲のせいで秋田に帰っている。
もしも、空襲がなくて、秋田に帰ってなかったら、二人が結婚することはなく、私たち姉弟も存在しなかった。
「戦争を知らない子供たち」という曲がある。
作詞をした北山修さんは、昭和21年生まれで、私は昭和28年生まれである。
「戦争が終わって僕らは生まれた
戦争を知らずに僕らは育った」
おかげさまで、僕らはいまだに、「戦争を知らずに」生きている。
世界のどこかで、いつも戦火は絶えることがないのに。
私の生まれた昭和28年に、朝鮮戦争が終わっている。
昭和50年、大学生の時に、ベトナム戦争が終わった。
どちらの戦争でも、日本にあるアメリカ軍基地が補給基地だったと思う。
今だったら、日本までミサイルが飛んで来ただろう。
今ウクライナで、ヨーロッパやアメリカがおよび腰なのは、それがこわいんだろうな。
ロシアのウクライナ侵攻というのは、理解できないことが多い。
国内の問題を解決するために、国外にそれを求めるのだろうか。
プーチンさんの言動を見てると、人はやはり自分を基準にしてしか、相手を見るしかできないのかなと思う。
自分の中にあるものが、ことばとして外に現れる。
「ナチス」の正式名称を日本語訳すると、「国家社会主義ドイツ労働者党」であると知った時、けっこう驚いた記憶がある。
ここでの「国家」は、“National”なので、「国民」とか「民族」とかに訳すことも可能らしい。
どのことばを使うかで、印象がまったく違う。
現在は、インターネットがあり、スマートフォンの時代である。
みんながカメラマンだし、ジャーナリストで、放送局でもある。
見られたくないものも、しっかり見えるし、見られている。
プーチンさんを見ていると、20世紀というよりも、さらに遡って19世紀くらいの感じがする。
「裸の王様」だとすると、どんな結末になるのだろう。