墓参りに行ってきた。
お彼岸の時には行けなかったので、しばらくぶりだった。
孫娘を預かる日だったので、いっしょに行った。
いつものように、妻の父の墓と私の父母の墓の二箇所である。
墓石に水をかけてきれいにして、まわりの枯れ葉を拾って、雑草を抜く。
孫娘は、墓石に柄杓で水をかけていた。
ものごころがついてから、墓参りは初めてかもしれない。
花を生けて、お線香をあげて、お参りする。
みんな元気でいるよ。
見守っていてね。
そして、また来るね、といって帰る。
墓参りの時、亡くなった父母のことを考えるけれど、神様や仏様の存在を感じたり、考えたりはしていない気がする。
神社やお寺にお参りしているときも、神様や仏様のことを考えていないかもしれない。
私は、神話や仏教に関心のある方だと思う。
関係の本をいろいろ読んだりもしている。
経典や聖書などを少しは読んでいる。
それでもこんな感じなのだから、神様も仏様も信仰の対象ではないのだと思う。
生まれ育った村の周辺には、お寺はひとつしかなかった。
秋田を離れてからも、何年かに一度は葬式などで帰っていた。
その寺院は、道元のひらいた曹洞宗だったので、主たる経典は「般若心経」だった。
妻の実家は、日蓮宗だったので、親戚関係の法事があれば、「法華経」だった。
だから、そういうものになれてはいても、何かあっても仏様が身近にいるように感じてはいない。
神様はどこにいるんだろう。
いい歳をした人間が口にすることばではない。
あと一年とちょっとで七十歳になろうとしている。
神様ってなんだろう。
宗教ってなんだろう。
そんなことを、考えてしまう。
何がそうさせるかというと、今の世界の状況を考えるからだ。
ウェブサイトを眺めていると、外国人のこんな発言を見かける。
日本人は、無宗教だ。
日本人は、無神論者だ。
でも、そんなはずはない。
そんな国に、十万もの寺院や、十万もの神社があるはずがない。
そう考えるのは、無理もない気もするが、自分たちの考え方を基準に日本人についても考えるからだろう。
なぜ、日本にこんなに寺院と神社があるのか。
寺院と神社が、混在しているのか。
これについて考えていると、ヨーロッパはどうなのだろう。
ヨーロッパにとってのキリスト教と、日本にとっての仏教は似たような存在だと思う。
どちらも、後になってよそから入ってきたものである。
日本においては、仏教はすでに古事記や日本書紀にあるような神話が成立してから、中国を経由して入ってきたものだ。
各地に国分寺や国分尼寺が建設されたのだから、国教となったといえる。
ヨーロッパにおいても、ローマ帝国のユダヤ属州で生まれたキリスト教が帝国内に広まり、それを追認する形で、国教になった。
4世紀のコンスタンチヌウス帝が公認し、テオドシウス帝が国教に定め、それ以外は異教とし禁止した。
その頃のヨーロッパには、ギリシャ神話、ローマ神話、ゲルマン神話、北欧神話、ケルト神話などがあったはずである。
世界史が苦手だった私には、その後このような神話がどんな運命をたどったかは、よくわからない。
パルテノン神殿のように遺跡としては残っていても、キリスト教が国教となってからは、そのような神殿は建設されなかったということなのかな。
日本には、仏教寺院と同じくらいの数の神社がある。
自宅の周辺を、ちょっと散歩するだけで、いくつもの神社とお寺がある。
ヨーロッパには、あの神話の流れを汲むものは遺跡以外にはどこにあるのだろうか。
キリスト教以外のものは異教とされたらしいので、消されてしまったのだろうか。
日本では、仏教は神道と一体化して受け入れられてきた。
さまざまな仏が、化身として日本に現れ権現となり、それが八百万の神である、ということにしてしまったらしい。
天照大御神は、大日如来の化身であり、八幡神は阿弥陀如来の化身という具合である。
だから、明治維新までは、同じ境内にお寺と神社が同居していたし、「神宮寺」なんていうのもあった。
ヨーロッパの神話の世界も、日本のように八百万の神々の世界のようなものだっただろうから、残っていたらにぎやかなことだったことだろう。
どちらも、国教とされたことで、政治や権力に利用されてきたからこそ、こんなにたくさんの教会やら寺院やら神社が存在しているとは、言えるのだろうな。