甘八日 きのふのやうに雨風すれば、はが/\゛しからじ。
はる/\゛ヽこゝをさし来て、ほゐなうかへらんもうければ、晴ぬかぎりは、
「海士のとまやにあまた旅ねぬ」
と、顕仲朝臣ののたまひしも、げにもとおぼへて、けふはあたり見ありく。
此磯のなのりそを神馬藻といふは、いにしへ神功皇后、このなぎさにみふねよせ給ひて、御馬やしなはんに秣なければ、磯菜、にぎめなど、はた、なのりそをもはら秣にぞし給ふより、此草を神馬草と、しか書ける。
又此みてらに、このふるごとをたぐえて磯の翁のいひけるは、いかゞにやあらん。
かなたこなたと島を見やられたるに、はま風あららかに吹て、みの、かさ、吹もていかんとせし。
遠かたに見えたる尾上のしまこそ、別しまにやあらめ。
こゝをせに聞えし、
「わかるれどわかるともおもはず出羽なる別のしまの絶しとおもへば」
可保のみなとは、いづことしる人なし。
過来し、かもの浜(鶴岡市)にやあらんか、其名の似りけり。
懐中記に、
「君を見ねばかほのみなとに打はへて恋しきなみのたゝぬ日ぞなき」
と聞えたる歌あるをおもひ出て、尚ゆかしかりき。
甘九日 雨よべよりをやみなくふりて、浪の音さはがし。
さうじ(障子)のあなたに女盞とりて、ゑひなきになきて、あらぬ戯いふは、かみ長とて、この磯のくゞつ(遊女)也。又人にひめしのびて、夜更て戸ぼそ叩くるあり、是をこもかうむりといひ、はた、なべといふひと夜づまもありと、相やどりの旅人の集りて、むつがたりにせり。
古城のあとをゆんでに、中橋といふ川べたより小舟さゝせて、妙見嶋〔天註‐‐妙見祠は潟のへたに在〕、いなりじまに人の行とて小橋わたるを、入道島のかげよりほのかに見やりつつ、岸につりする男女やがて棹を捨て、しぢみ、黒貝、うば貝などひろひありく。
ふねは、まとしま、けんかい島をめぐるに、雨いとよく晴たり。
能因嶋よりむかふ方は、鳥海山のすがたは、ふじ(富士)を、やよひの末卯月のはじめつかたみたらんやうに、かのこまだらのしら雪に、雲ひとすぢながれたるごとにかゝりぬ。
此山は大物忌の神のしづまり給ふ、麓は蕨の岡より、のぼりまうづるみねなり。
此かたのきしべによこほる山を、大ひらといふ。
此山の辺をむかしのふるみちといへり。
藻かり舟の集ひありくは、ながれ藻をかりてつらねあみて、馬のせにかけて寒さをしのがせ、まち人は夜のものふすまとす。
名を、きさがた蒲団といへり。
鍋粥島、兵庫しまこぎ行に、あしの穂に鶏の尾羽まぜてあみたる笠〔毛がさとてもはらせり〕をきて、みのゝ袖をかゝげ、ちいさき舟をとばせて、「おそさ/\とふたこゑ三声」とうたふは、ふな音頭といふ歌也けり。
やがて此あま人舟よせ、とがま、こしよりとりて玉藻かりとるは、からすじま、椎島、まがくし、今津しまといふ。
松のむらたてるに鷺の居たるは、雪のふるかとまどふに、此舟の近づくにおどろかされて、みなたちぬ。
しゝわたり、つゞきしまとやらんは、糸引渡したらんがごとし。
大嶋、めをとしま、松のふたもと生るゆへにや。
いくばくの島の中におやしまといはんは、苗代島、ひらしま、ならしま、べんてんじま、蛭子島。
こゝらのしまかげに鵜の觜をそろへていをゝくひ、はねをひらけて、岩のうへにゐならびたりけるを見つゝこぐとて、
おきつ島鵜のゐる石にふねよせてなみかけ衣象潟の浦
席岨、天神嶋、大春など見やり、大平の瑞に相がれたるは田の神の社なり。
守夜神をまつると聞えたる。
なべて潟のへたは田面畑にて、秋は五くさのみのりたるをかりつかね、小舟いくばくもこぎ出で、鳥のながめいやますと人のいへり。
鴨うかびたらんがごとに、ちいさきしまいと多きを、さしめぐらし/\来れば、あさりの小舟ひとつこぎよるに、たちさはぐおしかもの羽音は、うしほの涌くるかとまどひぬ。
大潮越、こしかけの八幡の社、こなたに見えたる冬木立の中にしろき幡のひるがへりたるは、しら山の神をまつり奉る御社。
蚶満寺〔蚶といふ貝多きゆへきさがたといひ、しかいふより、きさみつる寺といふべきを、神功皇后のふるごとをいひ、しほひるに、しほみつにのことにたぐえて干満寺の聞えありけるならん歟〕の西に舟つきて、しばしおりぬ。
西行上人の「波に埋れて」とのたまひし桜は、水の上に枝さし出したり〔いにしえのさくら枯て、こと木うへけるとなん〕。
此朶ごとに紙ひきむすびたるは、なにの願ひにやあらん。
はまひさしのやうなるところに石あり。
これや親鸞聖人こし(腰)し給ひたる石と、めぐりおしかこひ、いしぶみにしるしたり(潮越淨専寺、肥前国西方寺建之とあり〕。
合歓(ねむ)の木の冬かれたるかたはらに、「象がたの雨やせいしが」と記したるは、世に多き、はせをの翁のつか石なり。
みじかき黒ごろも着たるほうし、かのこしかけ石にいやして、
「松しまやをしましほがま見つゝ来てこゝにあはれをきさがたの浦」
と、聖人のふる歌をひたにとなへて、なもあみだと、ねんず(念珠)ならして去ぬ。
ちかき世の遊行上人の歌とて、
「いつかとはおもひをこめて象潟のあまのとまやに秋風ぞふく」
と、人の語りしをおもひ出たり。
いざ日もくれなんとて、かれあし茂りたる中を舟引出して、磯ひと山など見やりつゝ、もとの岸にやをらあがりて、三熊野の神あがめたるいはねにのぼり遠近見つつ、あまが崎、さいの神、とがさき、不動さき、此あたりはあら浪うちよりて、潟見しめにはおそろしくおぼえたり。
「おしまれぬ命もいまはおしきかなまたきさがたを見んと思へば」
此歌、時頼ぎみ此ながめにうかれて、十首の歌よみ給ふ其ひとつ也けり、外はもらしつ。
行かふ人の、アツシといふ蝦夷の嶋人の木の膜におりて、ぬひものしたるみじかき衣をきて、ちいさきゑぞかたな〔まきりといふ小刀なり、蝦夷人是をエヒラといふ〕こしにかけ、火うち袋そへたり。
つり海士は、たぬの〔手布なり〕につらつゝみて毛笠をかうむりて、男女のけぢめも見えで、あちこちとのぞみ、さしめぐらしたり。
かなたこなたと見ありきて筆にまかせて、
きさがたのあはれしりとや夕まぐれこぎつれかへる海士のつりぶね
としふとも思ひしまゝに蚶潟のあはれをしむる夕ぐれの空
旅衣わけこしこゝに象潟のうらめづらしきゆふ暮のそら
こゝらの島は夕霧にかくろひて、いたゞきのみいさゝかあらはれたるに、舟人の行か、棹の音のみ聞えてまどふ。
かなたの海つらはあららかに、むら立る巌に浪うちいれ、くゞりよる音のすさまじう聞えたり。
其いにしへ、かゝるところみな潟ながら、浪にまさご(真砂)うちはこび潟あせて、かくくがとなりぬ。
其島のおもかげは、岡ひきゝ山のごとく残りたりといふ。
まことにしかり、此浦のながめは、たゞこゝろしゞまになみだのみこぼれて、いとゞふるさとをおもふ。
なみ遠くうかれてこゝにきさがたやかつ袖ぬるゝタぐれの空
とばかりありて、やにさし入たり。