晴耕雨読    趣味と生活の覚書

  1953年秋田県生まれ。趣味は、山、本、音楽、PC、その他。硬化しつつある頭を柔軟にすべく、思いつくことをなんでも書いています。あわせて、江戸時代後期の紀行家菅江真澄の原文テキストを載せていきます。

昭和のアルバム

妻の父親と母親の古いアルバムをデジタル化している。

長年、空き家だった妻の実家の建物を手放すことになり、古いアルバムや写真がいろいろ出てきたけどどうしようと、妻の弟から連絡があった。

貴重なものだから、みんなが見れるようにデジタル化するということで、私が預かることにした。

先日、弟が茨城県の結城からはるばる持ってきてくれた。

大きめの段ボール箱に、ぎっしりの写真とアルバムだった。

妻の父は30年前に亡くなっていて、妻の母は入院中である。

体を動かすこともできず、会話もできなくなって、もう退院することはできないだろう。

妻の父と母の若い頃のアルバムが、それぞれ数冊ずつあり、それはかなり傷んでいた。

台紙が黒い厚紙で、直接台紙に糊づけしたものもあるし、コーナーを使っているものもある。

なぜか、同じアルバムで混在している。

最も古いものは、台紙を糊付けで製本していたが、ほとんどばらばらになっていた。

もう少し新しいのは、ハトメの穴があり、紐で綴じられている。

妻が就職した1970年代からカラープリントになり、アルバムも透明フィルムに挟むタイプや、手軽なポケットアルバムになっていて、これはかなりあった。

写真をスキャナーにかけて、デジタルファイル化するのだが、今までに我が家の数十冊のアルバムや、妻の古いアルバムを処理してきたので慣れている。

複数の写真をまとめて一括スキャンしても、それぞれに分割してファイル化する機能が今のプリンタ複合機にはあるので、楽なものである。

ひたすら地味な作業を繰り返していればいい。

自分がそういう作業に向いた人間であることは、自覚している。

むしろ、そういう作業が好きなのだと思う。

とりあえず、手をつけやすい新しいものから始めて、手のかかりそうな古いものは後回しにした。

妻の父は大正14年、母は昭和6年生まれで、私の父が大正15年、母が昭和4年生まれとほぼ同じ世代である。

この頃は、義務教育は高等小学校までで14歳で卒業である。

妻の父は、14歳から働き始めていることになる。

終戦の頃には、5、6年目になっていただろう。

その頃の話をあまりしたことがないが、定年までカメラ会社で働いていた。

一般用のカメラではなく、産業用のカメラの会社だった。

妻の母は、終戦の頃に卒業だと思う。

戦時中は、田舎に疎開していたということを話していた記憶がある。

大正14年は、1925年らしいので、残っている最も古い写真は、90年前のものということになる。

古いアルバムは、台紙をバラバラにして写真を貼ったままでスキャンして、ページごと写真ファイルにする。

このままだと、分割したファイルにならないので、一枚一枚台紙からはがす。

台紙も印画紙も劣化してボロボロなので、気をつけないと破れてしまう。

台紙に直接糊付けしてあるものと、コーナーで固定しているものもある。

コーナーが印画紙と一体化してはがれないものもあるので、できるだけけずり取るようにするが、どうしても取れないものはあきらめる。

そういうものは写真の角に、模様のように残ってしまうので、一括スキャンの分割の際にジャマになりそうだがしょうがない。

古いアルバムは、戦前、戦中のまだ10代の頃の写真である。

それを、処理していて気がついた。

とても、ハイキングや登山の写真が多いのだ。

その頃の東京の若者にとって、ハイキングや登山は身近なレジャーだったのだろうか。

アルバムの写真には、ほとんど説明がないが、ときどき場所や月日のあるものもある。

驚いたのは、昭和16年7月の日付入りで、山頂での数人での記念写真である。

この年の12月に、太平洋戦争が始まるのである。

そして、翌年昭和17年の夏にも、登山の記念写真があるのだ。

満足そうな若者たちの中に、生真面目そうな表情の父がいる。

妻の父も母も、東京で生まれ育っている。

10代、20代という時期は、戦前、戦中、戦後という時代であるが、いかにも街の男の子、街の女の子という服装で、写真の中にいる。

スキャナーの原稿台に、写真を並べてスキャンするのだが、写真のサイズはまちまちである。

集団の記念写真のような大きいものだと、せいぜい2枚くらいだし、普通のプリントだと、4、5枚である。

ところが、写真館以外で焼き付けたような自家製の写真だと、サイズも形も様々だ。

3センチ×4センチなどという、まるで将棋の駒のようなものが、いっぱいある。

これだと、20枚以上並べることができる。

その代わりに、すべてを認識して分割することは稀である。

ファイル化できないものが、何分の1かは出てくる。

失敗したものを確認して、成功したものを除き、再度新しいものと並び替えてスキャンする。

その繰り返しだ。

枚数はかなり多いが、まとめて処理できるので、それほど大変ではない。

1週間、暇をみては取りかかってみて、なんとか目処がついた。

残りは、写真館製の結婚式や七五三のアルバムくらいである。

これは、みんなに相談するしかない。

普通のサイズの写真は、300dpiという解像度でスキャンしている。

これだと、ノートパソコンのディスプレイにいっぱいの大きさのファイルになる。

とても小さなサイズの写真は、目を近づけないと表情などはわからない。

そこで、小さなサイズの写真は取り分けておいて、倍の解像度の600dpiでスキャンすると,ディスプレイで見るには充分なサイズになる。

なんとか、デジタル化はできたのだが、これをどうするかが、問題である。

とりあえずは、簡単にフォルダ分けしている。

フォルダの中身を見たら、1934の画像ファイルになっていた。

それなのに、容量がたったの197MBしかない。

スキャンしたものは、容量が小さく、普通の写真サイズでも、せいぜい90KBくらいで、100KBないのだ。

ところが、スマホなどで自分が撮影した写真ファイルを見ると、サイズが一枚で2MBから6MBとなっている。

これはどうも解像度の違いらしい。

ファイルの大きさを見ると3968×2976で、カラープリントをスキャンしたものが1816×1248であるのと比べると、とても大きい。

4Kというのが、3800×2160らしいので、これに対応してるのかもしれないが、よくわからない。



これを、USBメモリかCDにして配ることはできる。

今のテレビは、USBやSDカードの端子が装備されているみたいなので、手軽に写真ファイルを見ることはできると思う。

2000枚近くのファイルから、これはというのを選んで、プリントしたアルバムを作るのが、親切かもしれない。

コロナ禍になってから、妻の弟たち夫婦や甥っ子姪っ子にも逢えていない。

これを機会に、会う機会をつくりたいものだ。

 

 

 

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