アルバニアという国について、調べてみた。
たぶん、東欧の社会主義国であるらしい、ということしか知らなかった。
調べてみたら、アドリア海の東岸、ちょうどイタリアの長靴のかかとの対岸にあった。
北はモンテネグロ、北東はコソボ、東は北マケドニア、南はギリシャと国境を接している。
このうちの、モンテネグロ、コソボ、北マケドニアは、ユーゴスラビア社会主義国連邦共和国の解体によって生まれた国々である。
「アルバニア」という国名は、他称であり地質が主に石灰岩質で白いことから、「白い土地」と呼んだことから、きているという。
自称は、「シュチパリア」(鷲の国)であり、アルバニア人が鷲の子孫であるという伝説からきているらしい。
国名について、国際的な国名が他称であり、自称の国名とはまったく異なっている例は、多くみられる。
人口は、ウィキペディアによれば、287万人であり、日本の都道府県人口順で、11位の茨城県と同じくらいである。
世界には、中国やインドのように、人口が10億人を超える国もあるし、アルバニアのように何100万人の国もあり、なんと何10万人という国もある。
ところで、なぜ「アルバニア」という国について、調べてみようと思ったのか。
先日、「1970年代の記憶」という文章を書いた時に、国連から「中華民国」が追放されたことに触れた。
国連総会でそれを決定した決議が、「アルバニア決議案」だったのだ。
田舎の高校生だった私の頭には、この「アルバニア決議案」というのが、刻み込まれていた。
それが、台湾追放ということばで、アルバニアがよみがえった。
この決議案は、毎年のように総会に提出されていたが、否決されていた。
もちろん、アメリカや日本は、この決議案に反対していたが、1971年に賛成国数が過半数を越えて、可決されたらしい。
私が理解していたのは、これぐらいの表面的なことである。
今回、調べてみて、あらためて知ったことがある。
「アルバニア決議案」というのは、日本だけの言い方らしい。
正確には、「中国代表権」について23カ国の共同提案であり、当時中華人民共和国と最も路線について近い立場だった「アルバニア」に代表させたものである。
アメリカや日本は、常任理事国は中華人民共和国とするが、中華民国も国際連合に議席を持つ「二重代表制決議案」を提出したが、「蒋介石の代表」を追放する決議案が可決してしまった。
当時、ベトナム戦争を終わらせるために、中華人民共和国の協力を必要としていたアメリカは、本気で中華民国を守ろうとはしなかったのかもしれない。
結局、アメリカは、キッシンジャーの働きなどで、中華人民共和国と国交を樹立する。
「中華民国」は、無いことにされたのである。
中華人民共和国は、台湾を支配したことはなかったのに、台湾は中華人民共和国の一部であるということになってしまった。
それが、半世紀経った今も、尾をひいている。
やはり、中途半端に物事を処理してはいけない。
存在するものを存在しないことにはできないし、存在しないものを存在することにはできない。
でも、その当時は、私の記憶では、反日の国だったと思う。
それもそのはずで、中華民国は、蒋介石率いる国民党の軍事政権だったし、中国本土から移ってきた人たちが政権の中心だった。
当然、日本に対しては厳しい態度だったし、尖閣諸島の領有も主張していた。
そのあと、いつ頃だろうか。
20世紀の終わり頃だと思うが、反日の国に「ハーリー族」という親日の変わった若者が現れているという記事を、新聞で読んだ。
その頃は、日本の音楽やテレビドラマが、アジアで受け入れられていたのだろう。
そして、東日本大震災での多額の募金などがあり、台湾は親日というイメージになっている。
でも、もともとの反日は、目立たなくなったということだろう。
消えてしまうはずはない。
どんな国でも、内情は多様である。
いろんなものを、抱え込んでいる。
よく島国ということで、日本と比べられるイギリスがある。
人口、面積とも、日本よりはかなり少ない。
それでも、イングランド、ウエールズ、スコットランド、北アイルランドの連合王国である。日本だって、いくつかの国に分かれていても、おかしくはないだろう。
たまたま、歴史の流れがこうなってしまった。
私は、世界史に興味なく育ってきた。
比較的、日本史が好きだったが、今になって考えるとたいして日本史を知らない。
我が家の、図書を整理していたら、息子が教科書とした使ったらしい「英国史」が出てきた。
ブックオフに持っていくものから、とりあえずはずして、私が読むことにした。
やっぱり、大陸との関係が、おもしろそうである。
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