晴耕雨読    趣味と生活の覚書

  1953年秋田県生まれ。趣味は、山、本、音楽、PC、その他。硬化しつつある頭を柔軟にすべく、思いつくことをなんでも書いています。あわせて、江戸時代後期の紀行家菅江真澄の原文テキストを載せていきます。

あぶくのように中身がないからバブルか

2ヶ月ほど前に、テレビのニュース番組などで、「中国の不動産バブル崩壊」というのを、よく取り上げていた。

雨不足のため大河が干上がっているという、つぎの話題に移ってしまって、今は何かな。

建築業者が業績悪化のため工事が未完成のまま放置され廃墟となった集合住宅が、中国全土で見られるということだった。

中国では、工事未完成の状態での販売が認められているので、入居する前から住宅ローンの支払いが始まるらしい。

価格の30%くらいを頭金として払っているので、入居できない購入者はローンの支払いを拒否する動きが、各地に広まっているとのことだった。

住む住宅がなくなった購入者は、未完成で引き渡しをされていない住宅に、入居して住み込むという人々も多くいて、その映像が放送されていた。

日本人の感覚からしたら、住宅の引き渡しがされていないのに、契約が成立してローンの支払いが始まるのは、驚きである。

ということは、住宅建築の業者は、住宅ローンの支払いをあてにして、工事を進めるということだろうか。

 

それよりも、私が信じられなかったのは、社会が必要とする住宅数の2倍以上の住宅が、建設されていたということである。

これは、崩壊すべくして崩壊したということになるだろう。

そういうことを進めることができたのは、住宅に住む予定のない、必要のない人も住宅を購入しようとしたからなのだろうか。

買っておけば、値上がりが見込めるからだ。

日本のバブルもそんな状況だったような気がする。

日本の不動産バブルは、ただ値上げだけ見込んで土地を買い込み、使い道のない土地を抱え込んで、企業の前途を危うくした企業がいっぱいあったらしい。

中国のような、統制経済の下で、こんなことがあるのだろうか。

しかし、ここまで来たら、なかったことにはできないので、どのように決着をつけるのことにはなるのだろうか。

ニュースの中で、中国では土地の個人所有は認められていないので、購入によって得られるのは住宅の使用権だけである、となっていた。

中国では、個人の土地所有は認められていないが、農業集団である「人民公社」の土地所有は認められていたらしい。

人民公社は、地方行政の機能も併せ持っていたのだが、1980年台の郷政府制の復活により、ほとんどの人民公社は解体されたとのことだ。

確かに、「人民公社」なんてことばはニュースでもほとんど見かけることがなくなっていたが、農民による自治的な組織だったらしい人民公社は、いつのまにか無くなっていたのだな。

人民公社が所有していた土地は、どのようになったのだろう。

人民公社と同じような集団農場が、ソ連にもあった気がするが、それもまた、もう無くなったのだろうな。

 

これで、思い出したのは、はるか中学生の頃の「日本史」の教科書に出てきた「班田収授法」である。

日本でも、律令制の頃には、基本的に土地は国家のもので、個人の土地所有は認められていなかった。

その代わりに、人民に耕作地を分け与えて、亡くなったら国に返還するというようなものだった、というのが私の記憶には残っている。

 

調べてみたら、人民に耕作権を与えたのは、「口分田」というものである。

良民男子には2段(反)、良民女子には男子の2/3が与えられた。

官戸・公奴婢も、良民男女と同じである。

家人・私奴婢には、良民男女の1/3が与えられた。

1段は、360歩であり、現在の10aと同じくらいで、991.736㎡となる。

1反の土地から人間1人が1年間の消費量とされる1石の収穫があるとされているらしい。

 

口分田の他には、位階や品位に応じて支給される「位田」や、官職についた者に支給される「職田」、功績のあったものへの「功田」、特別に給される「賜田」というものも、あったようだ。

これらは、一代限りのものなので、耕作が放棄されることもあった。

そこで、開墾した者には、子、孫まで三代にわたって私有を認める「三世一身法」が、定められた。

そして、ついには「墾田永年私財法」によって、永年に渡って私財化を認めることになった。

これによって、開墾したものの私有を認めることになり、資本を持つ中央貴族や大寺社が、開発を進めて、荘園化を進めることになったらしい。

中学生の頃の教科書にあったものなのに、「班田収授法」、「三世一身法」、「墾田永年私財法」という名称は、としっかりと記憶に残っていた。

 

ところで、人民公社が無くなった中国の農村では、農業はどうなっているのだろう。

集団で組織的にやるのでなければ、それぞれの家族が、日本の「班田収授法」の時代のように行っているのだろうか。

土地の所有が認められないのであれば、国から耕作権を与えられた土地で、耕作していくしかない。

そこで、調べてみた。

中国の農民1人あたりの農地は0.6haであり、日本の農民1人あたり2.7haに比べて、格段に少ない。

それでも、班田収授法の1人2段は、0.2haくらいだと思うので、それよりは多い。

これでは、都市との収入格差が、とんでも無いものになるのは、仕方ない気がする。

 

この地球に住んでいるのは、人間だけではない。

地球は、人間だけのものではなくのだから、誰のものでもないはずである。

それなのに、どんな土地も誰かが所有している。

そうでなければ、どこかの国のものである。

南極を除けば、すべての土地は人のものになっている。

海は、個人は所有できないが、いろんな国が、いろんな権利を主張している。

かろうじて、公海というものがあるので、何とか他の国に行き来が出来る。

 

むかし、友人がよく言っていた。

「立って半畳、寝て一畳」

誰の言葉かは、わからない。

人間には、それだけあれば充分だということだ。

 

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