十八日 志左万、浦石、登久左志(徳才子)、杉の沢、山里(以上浪岡町)。
たれこゝにかくいつおもひ入そめて山里と名の世にしられけん津軽阪(浪岡と青森の境)とふに越来けり。
真萩いと多し、過来るつがろ野とを、いづらをせにせん。
この谷かげ、沢おくに、炭焼藤太のつか、すみ竈のあと残りぬと馬曳のいへり。
藤太が子に橘次、橘内、橘六と、みつ子のありたりけるよしをかたれば、通りたる吉内邑も其いはれ残りけるならん歟。
かゝる物語は仙台路にもありとか、いづれがまことならん。
油川、新城、岡町、大浜(以上青盛市)をへて青森の湊に入たり。
澳に、はるかに見やらるゝは南部の岬、こなたは鵜曾礼山(恐山)、雲と波とにわきがたく、松前のしま、蝦夷のちしまならん、たヾよへり。
其しまに行ふなみちは十八里ありて、いと、めやすきやうなれど、達飛が崎、中の潮、白神が碕とて、おそろしきなだの汐瀬をのり分て船わたりけるとぞ、人の語る。〔天註‐‐つがろ青森より松前に渡るにまほならず。西ひかた、くだりといふ風にてふなでし、又やませといふ風を営まちて、ふた日和ありて、たつひ、なかの汐、しら神を超て行。みうまや、うてつの浦、みな山背のふくをまちて舟いづるといふ〕
安潟といふ町(青春市内)あれど、みなやけたり、かり小家のみ立ならびたり。
烏頭の宮といふかん社も、おなじ火にやかれたり。〔天註--善知鳥山養泉寺安方に在り、古儀真言寺の在り〕
いにしへは善知鳥(ヨシチトリ)悪鵆(アシチトリ)といふ鳥、このはまに多く群てあさりしかど、今はなし。
凡鷗に似てことなりとか。
うとうやすかたといふは、よしちとり、あし千鳥ならん、又雌雄にや。
むかし此鳥をとりて、むさしの君(徳川将軍家)に奉りたるためしありけるなど、浦の翁の語る。
ふるき歌に、
「紅のなみだの雨にぬれしとてみのをきてとるうとうやすかた。子を思うなみだの雨の蓑の上にかゝるもつらしやすかたの鳥。みちのくのそとがはまなるうとう鳥こはやすかたの音をのみぞなく」
とずして、月見んと、磯輪つたひありきてよめる。
外が浜海てる月もよし鵆羽風に払ふ浪のうさ霧
おもひやるゑぞが嶋人弓箭もてゐまちの月の影やめづらん
見るがうちに空行月の曇るこそゑぞの島人こさ(胡沙)や吹らめ
蝦夷人のふりも見まほしう、この海ことたうわたらん日は、いつ/\の空にかあらんこ神にまかせて、十日の日数をかいひめ、又三年の春秋の時をしるしでうらひすれば、比十日の中になし、たゞ三とせをまつべしといふあめのおしへにまかせて、かの島にわたらんこと、三とせへて、をりもあらばととゞめたり。
十九日 はま路いきて、有多宇末井(うとうまい)の梯(浅虫の西南潅岸)見にいかんと出れば、鍋かまおひ、あらゆるうつはをたづさへ、をさなき子をかゝへて、男女みちもさりあへず来るは、じにげすとて、うへ(飢)人とならんことをおそれて、ことくにゝ行けるとなん。
此ものらのいふをきけば、過しけかち(飢渇)には、松前に渡りて人にたすけられたり。
こたびはいづこの情にあひてか命いきん、なりはひよきかた尋いかばやといふに、こは、浜路めぐり出なば、かて尽て、われはうへ人とならん。
いざ、もとのすぢにかへり行てんと浜田、荒川をへて、大豆坂(マメサカ)といふ処に来けり。
こゝに饅頭石といふをひろふは烏余糧(うよりよう)のたぐひならん。
浪岡にきて、一夜ねたる宿にふたゝび泊る。
けふ見しうへ人のことかたれば、さやうさふらふ、この年も、くれ行まではむつかしき世中のすぎはひならんや。
去年をとゝしまで、此邑は馬をくらひて命をのびぬ。
家の数は八十あまり侍れど、馬のしゝ(肉)をたうび侍らぬものは、あがやを入て七八家も侍らん。
太雪などのうへに死たる馬を捨おけば、髪はおどろをいたゞきたる女あまた集りて、手ごとに菜かたな、いをかたなとりもちて、われ、よきところしゝきらんと、あらがひ、さきとり、血のながるゝかひなに肉をかゝへてかへり行ありさま、又人の路なかにたふれふし、あるは、死たるむくろを犬のかしらさし入てくひありくが、血にそみたる面して、ほえめぐるおそろしさ、いはんかたなかりしが、はた此としも、過たるとしにまさり侍らば、こたびは、かてのうま、うしもあらじかしと、いまよりわらび、葛のねもほりつきて侍れば、あざみの葉、をみなへしをつみ、これをむして、かてにはみぬと、ない(泣)つゝかたる。
むべ、いろ/\の草をまな板の上にのせてうち叩音は、きぬたの音にまさりて、いとゞ袖をねエビらしで明ぬ。
二十日 過つるみちなれば記さず。
尾上より小和社、柏木町、吹上(以上平賀町)といあつらふをへて薬師堂芭(弘前市)にとまりたり。
廿ー日 乳井村(弘前市)、左の山へ登れば自泉あり、比水呑て甘し。
毘沙門堂、少しのぼれば天狗平といふ処あり、鈴石、石弩、てんぐの斧。
仁保井、八幡館、鯖石(以上弘前市)といふ邑をへて大みちに出たり。
宿河原(シュクカワハラ)(南津軽郡大鰐町)、劔岬(ツルギガハナ)、〔則つるき坂〕をおりて大鰐橋を右に見て、いで湯あり。〔天註-大鰐、温泉七ツ。袴腰ケ岳、阿闍羅山、大鱷川上をのばれば虹貝村(砥石名物)。早瀬野村、蛇石、蝦石。此奥石ノ塔、奥羽ノ堺ニ在石ノ塔、高八丈五尺、上盖六丈五尺、下盖二丈八尺、周囲廿五丈五尺〕
蔵館といふ邑、こゝにも温泉ありて、やまうどおほく湯あみしたり。
大日堂の前にふりあふげば、はたひろ斗なる萩の大樹あり、里の子は萩桂といへり。
いはゆるこはぎならんと、めとゞめぬ。
本村、長嶺(峰)、九十九森、唐牛(カラウシ)(以上大鰐町)などむら/\を来るに、けふも、すむ家を捨て、ふるさとしぞく(退く)民、その数をしらず過ぬ。
かすべといふ■(ホシイヲ)、瓜、茄子、かたま(籠)にもりて、路もなき山なかに分入るは山子とて、杣などのたぐひ也。玃を夜万古といへば、かゝる、むくつけきふるまひにたぐえたらんと、ひとりごたれておかし。
かすべとは王会魚のたぐひにて、かすゑひといふいをの乾肉なり、夏の頃蝦夷人とりて秋味(アキアヂ)につみくるもの也。
秋来る松前出の舟を、もはらあきあぢといふは、よきあぢに来る、あぢよきなどいふより起るか。
つみたる鮏のしほ曳などにもこの名あり。
碇が関(碇ケ関村)に来り、いかり石といふ石あるがゆへにせきの名とせり。
ふねの長なる旅人とみち/\かたらひて、ともに来りしかど、■木(モチノキ)村を過て、■石(いかりいし)温泉、怘県山国上寺の不動尊にまうでしよりおくれて、今来つきたるが、せき屋の軒ちかう寄て、われは、ふねをやぶりてしか/″\のことゝかたり関越ぬ。
おなじさまに国ところをいへど、関手あらではゆるさじ、弘前の里にかへりて、もてくべしといふ。
道はる/″\と来て又かへらんこといかヾとおもひわびて、
ふな人は頼む碇が関をけふ来しかひもなく越ぞわづらふ
日ぐれちかければ宿とりて、長なるものにわびてわがうへかたりて、関手くれたるをたよりに、