廿二日 あさとく、せきて(関手形)わたして越たり。
このあたりの郡はいかにととへど、しらじ、たヾ白河庄とのみいらふ。
みちの左右に白糸滝、登滝、無音滝、日暮し滝、二見滝、折橋の番処を右の沢へおりて温泉あり、鬼湯なり、大人の入湯の故事。
銀山あり。
やま/\みち/\の大木をれふし、かたぶきたるは、過し六日の風つよかりければ也。
杉一本を、あたり柵してかこひたるは津軽、秋田のさかひのしるし也。
せきふたつを越来て箭立峠の九曲おりはてて、ふたゝび出羽の国に入て陣場(大館市)といふ処をへて、関屋をこへて長走村(大館市)といふ山里に宿もとむ。
衣うつ音に夢おどろきて、
秋風の誘ひしまゝに夢ざめて夜半の砧を現にぞきく
廿三日 わけ来る路のかたはらに在る無縁車とて、卒塔婆にかな輪さしたるをまはすは、飢人の死かばね埋しをとぶらふならん。
このかたゐ、なみだながして、ひとりごとして、あはれ、わがともがらは、みな、かくなり行たるが、あさましの世のなかと、てゝらの袖に、なみだのごひたり。
近づきてとへば、こたへて、われらは馬をくらひ人をくひて、からき命をたすかりつれど、又此とし吹たる風にあたりて、いな穂かゞまず〔いなほの、八束にたり、しなはぬといふ国の詞也〕むかしの陪堂(ホイトウ)〔ほいとうとはかたゐをいふ〕となりて侍る。
うま、人くらひたるは、まことなりや。
こたへて、人もたうび侍りしが、耳鼻はいとよく待りき。
うまを搗て餅としてけるは、たぐひなううまく侍る。
しかはあれど、あらぬくひものなれば、ふかくひめて露、人にかたらず待るは、いまに至りても、あなきたなとて、つふね、やたこ(奴)にもめし給ふ人なければ、男女なべて、かくし侍る。
たうときかたにまうで侍る旅人、すけには、かいけ(改悔)さんけ(懺悔)して、つみもほろびなんとおもひ、ありしまゝにもらし侍るといひて、このかたゐ秋田路に行といふに、銭とらせて別たり。
白沢、釈迦内(以上大館市)、大館に来けり。
軒端ごとにさなづら〔さなかつらのたぐいならん〕蔔藤(アケビ)、まつふさ、真餅〔たゞもちをいふ也〕花もち〔葛かつらの根の餅をはな餅といふ〕しとぎ、ならべてあきなふを、いざくひね、休らへといへば、いこひぬ。
このあたりに綴子といふ村は、しゝいれこと、いにしへいふ処にや。
あいたの蝦夷、ぬにしろの蝦夷とて、みちのおく、いではにも、ゑみしのすみたらん。
「斎明帝五年三月、遣阿陪臣〔闕名〕率船師一百八十艘、討蝦夷国、阿陪臣簡集飽田、渟代二郡蝦夷二百四十一人、其虜三十一人、津軽蝦夷一百十二人、共虜四人、胆振鉏(イフリサエ)蝦夷二十人、於一所而大饗賜禄、即以船一隻与五色綵帛、祭彼地神至肉入籠時、問■蝦夷胆鹿島、■穂名二人進日、可以後方羊蹄為政所焉、隋胆鹿島等語、隋胆鹿島等語、置都領而帰」(日本書記)とあれば、つヾれこの邑、しゝいりこならん。
しりべしは岩木山ならんといふ人もありき、うべならん、うしろかた〔後方むら〕といふ処あり。
又云、松前の島ひんがしのゑぞの国にしりべつといふ山あり、其辺に、といといふ、ゑみしのさとありといふ物語したる人もあれば、いづれかよしといはん。
一里村といふほとりの米代川を舟こぎわたりて、岸なる扇田(北秋田郡比内町)といふ里の家居みな灰となりたるまま、いまだ、ほねばかり立たるかりやかたに宿かりてふしぬ。
枕上にさ入たる暁の月影は、さながら草ふしのほゐ(本意)とげたるおもひせり こよひぬる宿のかりねに月ぞとふ草の枕にことかはれども
廿四日 あかつきよりの雨風に路もいかれず。
大滝邑(大館市)をくれば温泉あり、十二所といふ名ある関を越て沢尻(大館市)といふ山中に宿をもとむ。
比村は、いではの国、みちのおくをさかふといへり。
廿五日 渓水おち合、山川の水ふかく行かひたえたれば、おなじ宿に在て、夜は半ならん、あしとくふりいづる雨の音に夢さめて、いねもつかれず。
旅衣たゞはやぬれん夜をふかく聞は音する軒のたま水