私にとって何度目かの「電子書籍ブーム」が訪れている。
今までため込んでいた歴史書や古典文学などのテキストを、パソコンやタブレットで読めるように、電子書籍に変換している。
きっかけは、「吾妻鏡」である。
このブログに、「令制国」のことを書いていて、陸奥国について調べていたときに、奥州藤原氏の滅亡があった。
頼朝に、義経討伐を要請された奥州藤原四代目泰衡は、義経を自殺に追い込むが許されなかった。
そこで、家臣の河田次郎を頼って比内郡に向かうが、贄の柵において河田の裏切りによって殺害される。
その記事が、「吾妻鏡」に記載されていた。
「吾妻鏡」は、幕府中枢の複数のものによって編纂されたと思われる文書で、幕府の事績を編年体で記している。
初代将軍源頼朝から、六代将軍宗尊親王まで、82年間が全52巻にまとめられている。
しかし、文体は変体漢文の一種で、「吾妻鏡体」というものらしい。
たとえば、泰衡の最後は次のように描かれている。
「文治五年(1189)九月小三日庚申。泰衡被圍數千軍兵。爲遁一旦命害。隱如鼠。退似鶃。差夷狄嶋。赴糠部郡。此間。相恃數代郎從河田次郎。到于肥内郡贄柵之處。河田忽變年來之舊好。令郎從等相圍泰衡梟首。爲献此頚於二品。揚鞭參向云々。」
たしかに、すべてが漢字であり、漢文ではある。
でも、使われている漢字の多くは、見慣れている漢字が多くて、なんとなく内容はわかる。
やはり、このままでは読み続けるのは難しので、読み下し文にする必要がある。
ネットを探してみると、加藤さんという方の「吾妻鏡入門」というサイトに、52巻すべての読み下し文があった。
しかも、現代語訳まで掲載されていて、ほんとに入門には申し分ない。
「文治五年(1189)九月小三日庚申。泰衡數千の軍兵に圍被(かこまれ)、一旦の命害(みようがい)を(遁のが)れん爲、鼠(ねずみ)如く隱(かく)れ、退くこと鶃(げき)に似たり。
夷狄嶋(えぞしま)を差し糠部郡(ぬかのべぐん)へ赴く。
此の間數代の郎從(ろうじゅう)河田次郎(かわだのじろう)を相恃(あいたの)み肥内郡(ひないぐん)贄柵于到る之處、河田忽(たちま)ち年來之舊好(きゅうこう)を變(へん)じ、郎從等泰衡を相圍み梟首(きょうしゅ)令(せし)む。此の頚於(くびを)二品(にほん)に献(けん)ぜる爲、鞭(むち)を揚(あ)げ參向(さんこう)すと云々(うんぬん)。」
漢字はまったくそのままなのに、漢字の順番を入れ替え、かなを補うだけで、日本語になってしまっている。
言ってみれば、中国語が日本語に変換してしまっている。
「吾妻鏡入門」に掲載されている加藤さんによる現代語訳は、次のとおりである。
「文治五年(1189)九月小三日庚申。泰衡は、数千の軍隊に囲まれてしまったので、一時の命逃れのため、鼠の様に隠れ、逃げる様は〔げき〕のようにすばやく、北海道へ渡ろうと津軽へ向かいました。途中で先祖代々の部下の河田次郎を頼って、大館の贄柵(にへのき)に付いた時に、河田は先祖代々の恩義を裏切って、家来達が泰衡を取り囲んで討ち取ってしまいました。泰衡の首を頼朝様へ献上するために馬に飛び乗って向かっているとの事です」
これを読み比べてみると、現代語訳はとてもわかりやすいが、読み下し文の方が、時代の雰囲気や状況を感じることができるような気がする。
漢文を読み下し文にしてしまうという方法があったので、日本では長い間、歴史書や文学書に漢文が使われたのだろう。
今回、他にもいろんな文書を探してみたが、思ったよりも多くのものが漢文で書かれていたことに驚いた。
本来は漢文で書かれていたが、読み下し文にされて読まれていた例が、多いのかもしれない。
「古事記」や「日本書紀」はもちろん、「万葉集」は漢文ではないが、「万葉仮名」によってすべて漢字である。
江戸時代後期、頼山陽によって書かれた史書「日本外史」も漢文体で記述されているし、明治維新後に西洋からの思想や技術に関する新語が漢字で作られたのも、そういう歴史があるからなのだろう。
子どもの頃から本好きだった私は、20代には部屋の壁がほとんど本棚に占められていた。
それが、PCに出会ってから本を購入することが、ほんとに少なくなってしまった。
吾妻鏡について調べているうちに、今まで知らなかった面白いサイトを見つけてしまう。
そのおかげで、テキストがさらに増えてしまった。
テキストがPCに埋もれてしまうと、なかなか新しい本に出会いにくい。
電子書籍の良さは、複数の本を一つの書籍にまとめてしまえることで、言わば本棚を作る感覚である。
一覧性があるので、まだ読んでいない本に出会う機会がある。
しばらくは、楽しんでやっていこう。