天明五年(一七五八)の秋、つがろじをへて南陪の鹿角郡になりて錦木のむかしを尋ね、岩手郡、和賀郡を過て仙台路にかゝり、江刺郡に片岡邑に宿りたるまでをかいのせたり。
其言葉みじかういひもたらされば、《けふのせはのゝ》と名づく。
(天明五年―一七八五)葉月廿六日 あしたのま雨ふりてぼどなう晴れ行。
遠近のやまのけしきたぐふかたなう見やりつつ行ば、遠う行ならん鴈の声のみして、しばしのうちに露ふかうこめて、そことかたもしらざれば、
「いづこにかさして行らん山たかみあさゐる雲に消るかりがね」
とながめたるいにしへ人の心までおもひ出られて、あはれいとふかく過れば、又村雨ふり出て枯れつゝ来れば、みちのおくの南部鹿角郡土深井(秋田県鹿角郡群十和田町)とふ里を左に出て、松山の館をへて岨路わけくれば、木ふかう茂る山陰にはら/\と鳴る音のうちしきるは、いかにと草かるあげまきにとへば、鹿のなづきおしとて、雄鹿どしの、ぬかとぬかとをおし合ひ、角と角とを打たゝかはしけるその音といふ。
いづこにやとうかゞヘば、雄鹿ふたつ木立よりいでて奥山に去ね。
これなん「伊夜彦の神の麓にけふらもか鹿の伏らん皮のきぬきて角つきながら」とあるを、此こヽろにもいはばいひてんか。
わきてこの山路は鹿のいと多しといへば、このわらは聞て、名さへ鹿角にてとうちわらふに、
いづれをかかづの郡の名もしるくおじかあらそふ秋の山かげ
ゆく/\も又おなじう、
つれなしと待やわぶらん角つきに雄鹿つまとふわざもわすれて
新田〔神田とも〕(十和田町)といふ邑につきたり。
川水ふかくいでまさりて、舟わたさねばこゝに泊る。
夜更て、かざ戸の鳴るに寝ざめて、
荻の葉の音せぬ夜半も身にぞしむたびねの床に通ふ秋かぜ
廿七日 水あせ行たれば舟渡しぬ。
比河を毛布の渡といふか。
夢にさへふる里人にあひがたきけふの渡に袖ぬれにけり
古川(十和田町)といふ村につきて、錦木塚と聞しやあると尋れば、稲かる女田の中の立て、かりあげたる田の面を行て、大杉の生たるあなたと鎌さして、そことをしへたり。
としふる椙のもとに、ぬるでの木、桜の梢、かへ手など、すこしもみぢたる木々生ひまぢりたる中に、土小高くつきあげて犬のふせるがごとき石をすへたり。
これやそのかみ、赤森の郷の辺に、月毎に市たちて家居あまたに、とみてにぎはゝしき処ありてけり。
其近となりの里に、柴田原といふにすむ、としたかき翁、いづこよりかをさなき女子ひとりをやしなひ来りて、あがほとけとはぐくみたてて、この女ひととなりてかたちきよらに、心なをく、あいきやうづきて、あけくれのわざには白鳥のにこ毛をまぜて、はたはりせばき布ををりて、その市にもて出てうるを、見る人ごとにこの女にけさう(懸想)し、又毛布のめでたさとて、われ/\とひこしろひあらがひてかふ。
広河原といへる里に男ありて、世を渡るわざには楓の木、まきの木〔まゆみの木ならんか、鬼箭に似たり、犬まきとか〕酸の木〔勝軍木のたぐい〕かばざくら、苦木〔あふちの葉に似て葉さゝやかに長く、星のかたありて、味ひ苦ければしかいへり〕この五もとの木の枝を三尺あまりにして、一束にゆひ、なかどう木といひてけるは、仲人木といふ言葉にてやあらん。
世にいふ錦木とは、この木どもわきて色よく紅葉すれば、うべいふにやあらん。
むかしよりこと/″\にいへど、いかゞあらんか。
ひろ河原の男、なかどう木を市路にもて行てあきなふを人々かひて、わがおもふ女ある門のとにたつれば、女見て、わがすべき男とおもへば此木を夜るのまにとり入るを、おやは其こととしりておはせたりといへり。
千束といふも、この木をひとつか、ふたつかといふにてもしるべし。
此にしき木うり、毛布あきなふ女のみめことがらよきに恋て、あさからず契りて夜毎に入しらず通ひ、今は人あはヾからぬがたらひもしてんと、錦木のたかやかなるをその女の門にたつれば、女うれしうとり入なんとせりけるを翁とどめて、この男なせそ、よな/\あまたして立つるなかどう木の中にまだよき男やあらん、いかにも智あらん男をこそむこがねともなさめと、錦本うる男をおとしめそねみてければ、すべなう翁の心にまかせたり。
日毎に重る、いくつかの錦木はそのまゝに朽ぬ。
此こヽろをや、けふの細布胸あはさたることに世にはいひなしぬ。
女おもへどもそのかひなう、男くれどもえあはで、物ごしにしのび、あからさまに夜な夜なない別ぬ。
翁、みそかに男の夜半にかたらふことをしりて、ひねもすひるはねて、よるはいもねず比女をまもりて、いさゝかもとには出ださず、布もうらせず。
男いかゞしてか女を見てんと、翁のまどろまんまにとうかヾヘど、いとものがなしき声に、けぢかくふくろうのなけば、翁ねざめしてしはぶきぬ。
ある夜は来りて板戸さと明て、いまはものいはんとおもふに、きつねの軒近う叫ぶに翁の夢おどろかいて、ほゐ(本意)とげざりき。
このことをのちにいひつたふにや、いま梟が谷、狐が碕といふ名あり。
翁ともすれば、あかしぶとて、山ぶどうのかづらの皮を縄になひ、たえまつとして火ともし、うちふり/\うちとを見めぐれば、男くる夜もくる夜も逢がたく、こゝかしこと、あらぬかたにみちふみ迷ひ広河原に帰りぬ。
その行かひのすぢを、奥の細みち、けふの細道といひて、風張といふ処のしたつかたに中りてあり。
其通路に涙も露もいとふかう、物うしとはらひしとて、其まゝ草の露むすぶなしと、田に在る女どものいへるにおもひつづけたり。
しら露のおくの細みち物うしとはらひし草や今もむすばじ