晴耕雨読    趣味と生活の覚書

  1953年秋田県生まれ。趣味は、山、本、音楽、PC、その他。硬化しつつある頭を柔軟にすべく、思いつくことをなんでも書いています。あわせて、江戸時代後期の紀行家菅江真澄の原文テキストを載せていきます。

江戸時代の人名辞典 「先哲叢談」(せんてつそうだん)

古典文学関係のテキストを掲載しているサイトは、ネットの世界にはいくつもある。

そのうちのいくつかは、ときどきのぞいてみて、更新されていないかチェックする。

いつのまにか、リンク切れになって、サイトがなくなっているものもある。

「日本古典文学テキスト」は、お気に入りのサイトである。

Taijuさんという国語教師の方が、ひとりで運営しているようである。

とてもひとりで入力したものとは思えないような、膨大なテキストの数々だ。

古典文学の他に、「近代文学テキスト」のページもあるが、量的には古典文学が圧倒的に多い。

www2s.biglobe.ne.jp

そして、このほかに「先哲叢談」というページがある。

これは、江戸時代の伝記集である。

「先哲」というのは、昔の優れた思想家のことであり、江戸初期から中期にかけての儒学者について、漢文で書かれている。

儒学で、しかも漢文なので、敷居が高い。

特別に、儒学に興味があるわけでもない私には、ここで取り上げられている人物はほとんど未知の人である。

それでも、名前だけは知ってる儒学者が何人かいた。

日本史の教科書で見かけた名前である。

藤原惺窩、林羅山山崎闇斎、木下順庵、貝原益軒新井白石、室鳩巣、荻生徂徠

太宰春台、青木昆陽山鹿素行、山脇東洋

かろうじて、これだけの名前を覚えていたが、はたしてこの人たちが具体的にどんな人だったかというと心もとない。

 

私は、もともと人名辞典のようなものが好きである。

小学生の頃、学習雑誌付録の人名辞典を読んでいたのが、もしかすると本好きになったきっかけかも知れない。

今でも、そのような書籍やサイトがあると、惹かれてしまう。

 

Taijuさんは、この書籍をとりあげた理由をこのように述べている。

 

「この本は江戸時代の儒者を中心とした小伝の集成である。これを読むと、現代ではやや信じ難くなってしまった過去の日本人の世界観・人生観の一端に触れる思いがする。」

 

漢文で書かれた難解な文章を、電子テキスト化してくださっているが、このようにも言っている。

 

「漢文の書物の中では、きっとこれは易しい部類に入るのだろう。しかし、国語教員の私にとっても殆ど理解できない語句はいくらもあった。テキスト化の中で、何度も字引と辞書を引かなければ敷き写しさえ満足にできなかったのだ。」

 

江戸時代の教養人は、当たり前のように漢文で文章を書いていた。

読み下し文に、カタカナが使われていると、それだけで読むスピードと理解度がぐっと落ちる。

ひらがなに直すと、やっと日本語を読む感覚になる。

そういえば、明治の文豪夏目漱石は英語教師だったけど、友人の正岡子規漢詩のやり取りをしていたというのを、読んだ記憶がある。

明治の教養人にも、その名残が残っていたのだ。

 

先哲叢談」は、江戸中期の儒学者原念斎が正編を刊行した。

彼の死去により、東条琴台が後編と続編を刊行している。

江戸後期の儒学者については、原念斎の養子だった原徳斎が「先哲像傳」として刊行している。

今まで気がついてなかったが、漢文学資料のリストの中に南山道人の「日本諸家人物志」があるのをみつけた。

上下巻が書き下し文になって、しかも縦書き表示できるようになっていて申し分ない。

日本諸家人物志

日本諸家人物誌 2/2_Taiju's Notebook (biglobe.ne.jp)

この目次のページには、他にもいくつかの書籍があげられているが、そのほとんどは電子テキスト化されていない。

「近世先哲叢談」、「続近世先哲叢談」、「近世叢語」、「続近世叢語」、「近世畸人伝」、「続近世畸人伝」、「百家琦行伝」である。

わずかに、「続近世畸人伝」全五巻のうち第一巻と第二巻がテキストになっている。

これらの書籍については、多くの古典資料サイトで画像データとしては提供されている。

しかし、電子テキストはほとんどない。

国際日本文化研究センターが、すばらしいデータベースを提供しているが、この中に「近世畸人伝」と「続近世畸人伝」の本文テキストがあるのをみつけた。

データベース|国際日本文化研究センター(日文研) (nichibun.ac.jp)

近世畸人伝(正・続) (nichibun.ac.jp)

「近世先哲叢談」と「続近世先哲叢談」は、松村操によって、江戸後期の儒学者について書かれているが、明治になってから発行されている。

「近世叢語」と「続近世叢語」は、豊後岡藩の人角田九華の著作で、中国南北朝の書「世説新語」を擬した近世人物逸話集とされている。

「近世畸人伝」、「続近世畸人伝」、「百家琦行伝」は、書名にひかれてしまうが、ここでいう「畸人」「琦行」は、ことばとしては「奇人」「奇行」のことである。

しかし、「世人に比べて変わっているが人間としてのあり方が天にかなった」ということらしい。

「近世畸人伝」は、近江八幡の文筆家伴蒿蹊(ばんこうけい)の著書である。

「続近世畸人伝」は、三熊思考によって書かれたが、本来は画家で三熊花顛の名で「近世畸人伝」の挿絵を描いている。

「百家琦行伝」は、松江藩江戸詰め藩士であった萩野信敏によって書かれたが、調べたところによると、萩野という人もなかなか「奇人」「奇行」の人であったらしい。

 

これらの書物は、さきにあげた著作がほとんど儒学者についてのものであったのに対して、あらゆる階層の人物、たとえば、武士、商人、職人、農民、僧侶、神職、文学者、学者、さらに下僕、婢女、遊女から乞食者などに及び多彩な人々が扱われている。

江戸時代というのは、おもしろい時代だなと思う。

書籍は、木版なので本を発行するというのはたいへんな事業である。

それなのにこのような書物が、つぎつぎと書き継がれている。

そのような書物を読みたいという需要があったということである。

著者や登場人物が、日本全国に散らばっている。

これは、やっぱり「参勤交代」の制度が大きかったのだろう。

日本全国から多くの人間が江戸にやってきて長い期間生活する。

江戸では、そんな人たちが知り合う機会もあっただろう。

そして、国に帰って江戸で得た情報を共有する。

 

先日、大江健三郎さんが亡くなったニュースをテレビで見た。

たぶん、ノーベル賞受賞の際の映像がながれていた。

大江さんが、こんなことを言ってた。

文学は、他人を知る想像力である。

正確ではないが、こんな感じだった。

なるほど、「他人を知る想像力」か。

江戸時代の日本も、想像力が旺盛だったのだなあ。

 

 

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