先日、「どんなににんきのあるものでも寿命はある」という記事を書いた。
朝、公開して一時間後くらいに読み直そうと開いたら、記事の内容が消えていた。
文章を削除した記憶はないので、調べてみたがバックアップもなく、どうしようもなかった。
とりあえず、はてなのサポートデスクに、文章を復元できないかというメールを送ったのだが、いま持って何の音沙汰もない。
記憶をもとに、再度文章を書こうとも思ったのだが、今回は何度か書き足したので、いつもの倍近い長さになっていた。
私の場合、通常は1200字くらいをめどに書いている。
2000字もの文章を、記憶を頼りに書くことを考えると、意欲が無くなってしまった。
私のブログは、思いついたこと、考えたこと、行動したことを書くだけの、落書きのような文章である。
自分のための「覚書」である。
この年齢になるまで、個人的な文章をほとんど書いたことのない私が思いつきで始めたことである。
落書きのようなものではあるが、自分が考え書いたもので、それなりに愛着もある。
それが消えてしまうのは、ショックだし、かなしいものがある。
これまでにも、下書きの段階で、更新したはずの文章が更新されていなくて、残念な思いをしたことが何回かある。
たしかに、「保存しました」の表示を確認して画面を閉じたのに、次回開いてみたら更新されていなかった。
それが、ブログのシステムの問題なのか、どうかはわからない。
私にとっては、この「はてなブログ」が初めてのブログである。
他はどんな流儀になっているのだろうか。
ところで、このところブログの更新のペースが、とても落ちている。
原因は、わかっている。
電子書籍の作成に、時間がとられている。
別に先を急ぐわけではないのだから、のんびりやればいいのだ、と思う。
でも、性格的に気を入れてやってしまう。
好きな作業だから、やっていて楽しいのだろう。
ダウンロードしたウェブページを手直しして、電子書籍作成アプリに都合のいいようにして、試しに大丈夫かやってみる。
そんなことを、ひたすら繰り返している。
今、手がけているのは、浮世絵に関するサイトのものである。
ひとつは、浮世絵に関する文献が中心のサイト。
もうひとつは、浮世絵の画像中心のサイト。
同じ浮世絵を扱っていても、その内容はまったく違っている。
それを楽しみながら、言ってみれば「他人のフンドシで相撲をとる」といったところだ。
まあ、自分だけの楽しみなのでいいだろう。
やりながら、最近思っているのは、江戸時代というのはなんてすごい時代だったのだろう、ということ。
きっと、他には類のないことかもしれない。
ここで、気をとりなおして、またブログを書こうと思う。
コロナ禍になって、四回目の春である。
たぶん、「四回目」で間違っていないはずだ。
孫娘が、この春小学校に入学した。
保育園育ちなので、学童保育での生活になる。
とりあえずは、学校も通常の生活を取り戻したのだろうから、喜ぶべきだろう。
それでも、毎日かなりの数の感染者がいる。
コロナ禍が始まった頃、日本では毎年インフルエンザで、1万人くらいの死者がある、といっていた。
でもニュースにはならないということだったのだろう。
この後、コロナとはどう折り合いをつけるのだろう。
そして、ウクライナの戦争から、一年である。
これは、ほんとに戦争なのだろうか、とおもう。
ウクライナは、悲惨な戦場である。
ロシアは戦場にならないのだろう。
ロシアが戦場になったら、すべては終わりなので、誰もそのことは言わないのかな。