ボブディランが、「時代は変わる」という曲を作ったのは、1964年だそうだ。
私は、その曲をサイモンとガーファンクルの歌で聴いた。
サイモンとガーファンクルは、同じ1964年の自分たちのデビューアルバムで、この曲をカバーしている。
私が初めて聴いたのは、1970年くらいで高校生の頃だから、それから5、6年後だ。
ボブディランのオリジナルも、その頃聞いたと思う。
「時代は変わる」
原詩は、The times They Are a-Changin' である。
アルバムのジャケットの写真の彼は、ほほがこけていてほっそりして、その後の彼のイメージとはまったく違っている。
そして、歌詞は社会と大人たちへのストレートなメッセージである。
この春、孫娘が小学校に入学した。
21世紀、2023年である。
1953年生まれの私が、入学したのは1960年だった。
ずいぶんと年月が、経過したものだ。
すべてのものは、大きく変わってしまった。
変わっていないのは、小学生のランドセルくらいかもしれない。
こんなことを考えていて、ボブディランの「時代は変わる」を思い出したのだ。
彼は、この曲で、水の底に沈みたくないのなら、泳がなければならない、と言ってる。
アメリカの社会が、公民権運動やベトナム戦争などで、変わりつつあるのにそれを直視しようとしないことへの憤りが、この曲を書かせたのだろう。
孫娘がちょうど一歳の時に、まだ健在だった私の母と一緒に、親子四代で郷里の秋田に旅行した。
計算してみたら、長男は1992年に小学校に入学している。
1960年から1992年まで、32年経過しているのだが、考えてみるとなんと大きな変化があったことだろうと思う。
ボブディランに曲を書かせた要因のひとつだったと思われるベトナムでの戦争は終わった。
私が生まれた頃にあった朝鮮戦争に続いて、在日米軍基地はそのための補給基地だったわけである。
小学校、中学校、高校、大学と、日本は高度経済成長の時代だった。
そして、私が就職した頃に、日本列島改造論によって始まったバブル景気である。
結婚の頃に、そのバブルははじけてしまい、長男の誕生くらいから、長期低落の経済が始まる。
これとは関係ないだろうが、ソビエト連邦が内部崩壊するのも、その頃である。
ベトナムでの戦争の原因だった東西の冷戦が終わる。
高校生の時に、ベトナムの抵抗組織だった「ベトコン」の記録映画を映画館で見た。
その頃の映画は、中編、長編の二本立てに、短編のニュース映画という感じだった。
現在の日本では、多くのベトナムの若者たちが働いていて、日本への観光客も増加しているらしい。
なにか、不思議な気がする。
自分が小学校に入学したころのことは、あまり覚えていない。
ただ、はっきり記憶にあるのは、入学式の後、母親と歩いて帰ったことである。
アスファルト舗装されていない車道を、ふたりで歩いて帰った。
雪解け後の、歩きにくい泥道を、和服の母親とまだ雪の残っている山々を見ながら歩いた。
孫娘の入学後の様子が、SNSの写真動画共有サービスで届く。
学校生活に馴染めるか心配だったが、楽しそうで安心した。
パソコンで、「絶滅危惧種図鑑」というおもしろそうな本を見ていた。
そういえば、図鑑のようなのが好きみたいと、ママが言ってた。
両親とも働いているような家庭では、電子図書館は便利だろう。
家にあるのはラジオくらいだった私の時代と違って、パソコンもスマホもゲーム機も生まれた時からそばにある。
当たり前に使える道具なのだ。