晴耕雨読    趣味と生活の覚書

  1953年秋田県生まれ。趣味は、山、本、音楽、PC、その他。硬化しつつある頭を柔軟にすべく、思いつくことをなんでも書いています。あわせて、江戸時代後期の紀行家菅江真澄の原文テキストを載せていきます。

浮世絵と江戸時代

ここ数週間、浮世絵関係のサイトを、まるごと電子書籍に変換するということをやっていた。

かなり膨大なファイル数で構成されているサイトなので、やはり思ったよりも時間がかかった。

ひとつは、「浮世絵文献資料館」である。

その名のとおり、浮世絵についてのサイトではあるが、あくまでも「文献資料」が中心である。

https://www.ne.jp/asahi/kato/yoshio/index.html

「浮世絵文献資料館」というタイトルの下に、次のような説明がある。

ここでは江戸~明治時代の随筆や書誌類に記された浮世絵に関する資料を紹介しています 編集 制作・加藤 好夫」

加藤好夫さんという方が、個人的に運営されているらしい。

更新履歴によると、2005年に開設されて、その後着々と収録文献を増やしている。

このサイトの特徴のひとつが、文字サイズの異常な小ささである。

そんために、ページあたりの情報量は、とても多い。

 

江戸時代や明治時代の文献を収録しているサイトは、他にも多くあるだろうと思う。

しかし、このサイトのもうひとつの特徴は、文献をそのまま収録することなく、浮世絵に関する事由や人物に関する文章を抜き出して、整理・分類しているのである。

ウェブサイトは、さまざまな種類のファイルが、多層的にフォルダに収められている。

そこを考慮しながら、電子辞書作成用のファイルに手直ししなければならない。

やっていて、ふとおもしろい記事に目が止まった。

 

文化十一年(1814)
『塵塚談』〔燕石〕小川顕道著
「当戌年十月より、浅草観音境内奥山へ、頓智なぞと云看板をかけ、盲坊主、廿一二歳と見ゆる者出たり、見物一人に付、銭十六文づゝにて入る、見物人より謎をけるに、更にさし支る事なし、解かずと云事なし、若解せざる時は、掛し人へ、景物に蛇の目傘などをくれる事也、故に見物の人、景物を取らんと、なぞをかける人多し、たま/\解ざる謎出る事も有由、此者の才覚、頓智成事を感心、驚ざる者はなし、奇なる盲者にて、奥州二本松の産なる由、検校保己一が類の奇人と云べし」
 
他にも、街談文々集要(石塚豊芥子編)や、増訂武江年表(斎藤月岑著)にも収録されているが、そこでは年齢が違っている。
 
頓智なぞといふ看板を出し、十八、九歳の盲坊主高座にありて、見物より謎をかけさせて即座にとく。」

 

浅草観音というのは浅草寺のことだろうか。

その境内に、どんな謎の難問にも答える盲目の坊さんがいて、見物料十六文を集めている。

年齢は、二十一というもの、十八、九歳だろうというものもあるが、奥州二本松出身といのは一致している。

テレビもネットもない時代だけれど、まるでワイドショーで取り上げられそうな話題である。

 

ほかにも、こんな事件もある。

浮世絵絵師宮川長春についての記事である。

 

新増補浮世絵類考(竜田舎秋錦編・慶応四年成立)
「宮川長春 宝永、正徳頃の人、尾州宮川村の産にして、土佐家の門人といふ。江戸に住して一家をなす。長春一子両国に住す。宝暦、明和の頃、日光御修復有之。狩野家の内画の御用相勤候ものゝ受負を、長春が倅勤しが、賃銀は日光表にて遣すべきぬ旨約し渡さゞりければ、催促に及しより事起り争論になり、長春が倅短慮にて狩野家のもの四人迄殺害せしかば、公の御沙汰となり御調の上、長春が倅は死罪、長春流罪、狩野家にて御用勤し家は断絶なりしとなり。」
 
宮川長春は、生まれが天和二年(1682)、没年が宝暦二年(1752)の人である。
この記事によると、日光東照宮の修復工事を請け負った狩野家から、下請けをすることになった宮川長春は、息子に勤めさせた。
ところが、日光で支払われるべき賃金が支払われず、息子が催促に行ったが話がつかず争論となった。
その結果、息子は狩野家の四人を殺害した。
息子は死罪、長春流罪で、お家は断絶という、かわいそうな話である。
狩野家当主名や宮川長春の息子の名は伏せられている。
下請けの契約が守られないという、現在もありそうな事件だ。
マスコミが、大騒ぎになるだろう。
 
もうひとつの浮世絵サイトは、画像中心のサイトである。
「『浮世絵・錦絵』などを見る」は、個人サイトではなさそうである。
「みんなの知識 ちょっと便利帳」という超巨大サイトの一部らしいが、どこが運営しているのかわからない。
浮世絵だけにかかわらず、絵画のほとんどはすでに著作権が消えている。
だから、世界中の美術館では絵画のデジタルデータを公開していて、ダウンロードもできる。
浮世絵は、絵画ではなく版画である。
同じ作品が、何百枚もある。
どれが本物で、どれが複製ということはない。
何万枚ということはないだろうが、何千枚はあるかもしれない。
だから、世界の名の知れた美術館では、北斎歌麿などの浮世絵を所蔵している。
同じ作品のそれぞれの美術館の所蔵品を並べたコーナーがある。
同じ作品なのに、色合いが微妙に違っている。
摺り具合や、保管状況の違いがでてくるのだろうか。
 
絵画の画像を収録したサイトは、数多くある。
浮世絵も、同様である。
そのほとんどは、浮世絵絵師ごとに作品が並べられている。
このサイトは、浮世絵師ごとの分類のほかに、さらにテーマごとに分類されている。
たとえば、葛飾北斎のコーナーは、30ほどに分類されているが、そのなかに「北斎漫画」の区画がある。
日本の「マンガ」の起源を語るときに、「鳥獣戯画」とともにあげられる。
絵手本として発行したスケッチ集ということだが、なんと4000ものスケッチが15巻に収められている。
いろんな職業や、表情・動作など見てるだけでおもしろい。
これも、江戸時代が町民文化の時代だったからだろうか。
武士だけの文化だったら、こんなものは生まれなかっただろう。
江戸時代の士農工商の人口割合は、農85%、士7%、工商などの町民が8%というところだったらしい。
ところが、江戸の街に限れば、武士とちょうみんの割合は、半々だったという。
 
私は絵心があるわけでもなく、絵も描かない。
でも、絵をみるのは好きだ。
そんな私にとっては、好きな音楽、本、そして絵もネットで楽しめるのは、うれしいことだ。