何万字、いや、十万字を越えるという漢字のことを考えていて、思い出したことがある。
ずいぶんと昔のことだけれど、ほとんどすべての漢字を使えるということを売りにしたアプリが、話題になったことがある。
たしか、そんなアプリが二つあったと思うのだが、どうしてもその名前が思い出せない。
思い出せないということは、その後表舞台から消えてしまって、記憶に残っていないということだ。
何か手がかりがないかと考えていて、そのうちのひとつが、「トロン・プロジェクト」というものから生まれたらしいことを思い出した。
「トロン・プロジェクト」は、日本のコンピュータ界の第一人者の「坂村健」さんという方が推進していた活動だった。
私は、インターネットについて知りたくて、彼が書いた岩波新書を読んだような気がする。
たまたま、その本が「坂村健」さんの著書だった訳で、そんなすごい人とは知らなかった。
だから、20年以上前のことになるはずだ。
そこで、彼について調べてみたら、漢字がなんでも扱えるのは、「超漢字」というものだったことがわかった。
「超漢字」はアプリではなく、これ自体がOSだった。
マイクロソフトのWindowsやアップルのiOSと同じような、OSである。
「トロン・プロジェクト」は、日本発のOSを開発する幅広い試みだったらしいが、私には難しすぎて、理解が困難である。
「超漢字」は、このプロジェクトのうちのBTRONをパーソナル・メディア社が移植し、32ビットパソコン用のBTRON3.0仕様OS「B-right/V」を発売し、1999年にバージョン2以降より、多漢字を扱えることをアピールする名称に変更した、ということだ。
パーソナル・メディア社のサイトを見ると、「超漢字」は現在も発売している。
最新版は、「超漢字Ⅴ」であり、サポートページも生きている。
しかし、「超漢字Ⅴ」は2006年発売されたもので、2011年のバージョンアップ版が無償ダウンロードできる。
そして、Windows上でも動作するようになっている。
かつては、Windowsに対抗するOSとして出現したものだったが、Windowsに敗れたということだ。
当時は、多漢字を使用できるということで、「漢字研究者やお坊さん、人名を扱う官公庁や自治体関係者などに主な需要があった」(ウイキペディア日本語版)、らしい。
18万種類以上の漢字が使えることになっている。
もうひとつの、アプリはなんだったのか。
考えてみて、思いついたのは、「万華鏡」みたいな名前だった、ということだ。
ネットで、いろいろあたってみて、やっとわかった。
「今昔文字鏡」というアプリだった。
エーアイ・ネットという会社が、発売していた漢字検索ソフトと印字用フォントと組み合わせたソフトウェアだった。
初版は、1997年発売で、単漢字8万字ということで、Windows 95版だった。
2010年のものが最終版で、単漢字16万字で、Windows10で使えるらしい。
私の記憶では、学者の方々が開発されたものという感じだったが、確かに「文字鏡研究会」という名前がメインにある。
しかし、調べてみると、中心人物はエーアイ・のネットの「古家時雄」という方だったらしい。
「文字鏡研究会」の副会長でもあった彼が、2018年に亡くなった後、会社は解散し、ウェブサイトも無くなっている。
検索してみたら、かろうじてアーカイブライブラリに、かつてのデータが残っていた。
このアプリケーションソフトについての、法的な権利については、曖昧なままになっているらしく、使用がむずかしいような印象である。
「文字鏡研究会」には、多くの研究者たちが関わっていたようなので、その成果がそんな状況にあるのは、気の毒な気がする。
「超漢字」も、「今昔文字鏡」も、開発が始まったのは、1997年とか1998年頃である。それがなぜか、2010年ごろには、進展が止まってしまっているようだ。
だから、私の記憶からも消えてしまった訳だ。
いったいこの間に、なにが起こったのか考えてみた。
思い当たることが、二つあった。
一つは、前回の記事で取り上げた、経済産業省がやっていた「文字情報基盤整備事業」である。
このサイトの中に、こんな図があった。
この図から分かるように、住民基本台帳や戸籍について、コンピュータ処理において表示できない文字がないように、政府として整備を進めた事業である。
これは、2011年には一応終了したようで、IPAexフォントとIPAフォントがダウンロードできて、使用できるようになったようだ。
つまり、それまでのJISコードのよる文字が10050文字だったものが、58862文字使えるようになったらしい。
もうひとつは、「Unicode」の整備である。
OSやメーカー、国や言語に違いを超えて、互換性を目指したもので、1991年にスタートしたらしい。
漢字を使う言語は、日本語の他に、中国語、朝鮮語、ベトナム語である。
これらの国で使われている漢字は、「CJK統合漢字」(又は「CJKV統合漢字」)と呼ばれているようだ。
その、整備の状況は、次のとおりである。
現在のところ、Unicodeで表示できる漢字は、97668文字ということらしい。
これは、日本語、中国語、朝鮮語、ベトナム語で今までに使われた漢字を網羅したものである。
「超漢字」も「今昔文字鏡」も、CJK統合漢字に対応したとしていることを考えると、それぞれに18万字とか、16万字を収録しているということは、重複している文字があるということであると思える。
結局のところ、多漢字が問題になるのは、過去の遺産を活用しようという時に、生ずることである。
現在も漢字を使用している、日本語と中国語でも、通常使用している漢字は、どれくらいの文字数なのだろうか。
日本語だったら、常用漢字が2136字であるが、その他にどの程度の漢字が使われているのだろう。
中国語でも漢字が使われている訳だが、中国本土では「簡体字」が使われているので、ネットでウェブサイトなどを見ると、日本人としては違和感を感じる。
とは言っても、日本だって昔ながらの「繁体字」を使っている訳ではない。
中国の「簡体字」ほどではないが、簡略化された「新字体」を使っているのだから。
「簡体字」は、2235字あるというが、実際に使っている漢字は他にもあるわけで、「通用規範漢字表」に定められているのは、8105字だという。
中華民国(台湾)は、昔ながらの「繁体字」を使っているので、調べてみた。
それによると、「常用国字標準字体表」( 別名「甲表」4808字)と「次常用国字標準字体表」( 別名「乙表」6341字)が使われているようだ。
「罕用字体表」( 別名「丙表」18338字)は、まれに使われる程度らしい。
こうしてみていると、中国語については1万字前後の漢字があれば大丈夫そうだし、日本語は、かなやカタカナがあるにしても、もっと少ない文字数でも、なんとかなりそうだ。
多くの漢字を使えることを謳っていた「超漢字」と「今昔文字鏡」が、2010年ごろに失速してしまったのは、Unicodeがカバーできる文字が充実した、ということが大きかったんじゃないだろうか。
ところで、世界の中で、漢字のような表意文字って、他にもあるのだろうか。
聞いたことないけど、あったとしたら、面白そうだな。