十九日 あるじ祥尚のいへらく、けふは此あたりの人々をこゝにつどはせて、くるゝまで楽しみあそばむ、こよひもこゝにありてなンどいへるほどもなう小幡ノ為香のとひきて、
数ならぬ身も橘にとひよればえならず袖の匂ひこそすれ
とあればいらへて、
いつまでも人を忍ばむ立花のあかぬにほひを袖にうつして
また、あな久しとて邇高筆をとりて、
まち/\と遠き雲井の時鳥人づてならでけふこそはきけ
とある返し。
雲井路をけふたづねずばほとゝぎすかゝるはつ音も余所に聞かまし
雨のいやふるに白玉椿のおもしろく咲たるを見て、あるじ祥尚をはじめ邇高、為香、■(糸+力)松(タケツネ)なンどよめる歌ありしが、もらしつ。
二十日 朝とく大林寺とぶらへば曇華上人、庭の山吹真盛り也、きのふの雨にことさら色はえたりなンどあれば、いざとてはし居すれば、から鶸とかいふさゝやかのひわ、さはに来けり。
雨晴れて旭影(ヒカゲ)も匂ふ山吹の露ふみこぼすひわの群鳥
廿一日 あしたより雨ふる。
廿三日 けふこゝを立出て此里の人々をわかる。曇花上人、もはや、かくぼけ/\しう老たり、ふたゝびのたいめ(対面)こそかたからめとて外(ト)に送り出て、
帰り行人や待らむふる里の花橘の咲匂ふころ
とあれば返し。
言の葉のにほひ言の葉の匂ひばかりは明日も見むあかで別るゝ軒のたち花
氏喜の翁。
こゑのみはこゝにしのばむほとゝぎす遠き雲路をよし皈るとも
返し。
あすよりはつばさしほれてほとゝぎす雲路はるかにうきねなかまし
信包。
たちかへる道は雲井となりぬともこゑなへだてそ山時鳥
返し。
鳴かはすこゑをかたみに別れては人をしのぶのやまほとゝぎす
かく人々を別て、花見し塩竈ノ神社(ミヤシロ)にまうづ。
いと多かる花ども、なから過るまでちりたり。
社司(カミヌシ)佐々木繁智の家(ヤド)を訪(ト)ひ語らひ別て、こゝをめてにとりて野くれ山くれ、散り残る花見がてら徳岡ノ村(胆沢郡胆沢村)に来りぬ。
村上氏のもとをとひて、去年より雪の下タにまちわびし桜の今散行なンど、ほゐなう見やり彳めば、また、ちるも一ながめ、おもしろしなンど人のいへり。
去年よりも雪にめなれしさくら花いまはた庭にふりつもりぬる
しかして、あるじのはらから良道とともにかたらひ暮たり。
こゝに三四日あるに雨風はげし。
廿六日 内場(ウツニハ)に磨臼(スルス)四ッ五ッすゑて男女曳廻(ヒキマワ)し、こゑをあげて唄ふを聞ヶば、
「河を隔て恋夫(ヲセセ)を持(モ)てば、舟よ棹(サヲ)よが気にかゝる」
と、おし返しうち返し、ほうし(拍子)とれり。
かくその意を、
舟なくて渡る瀬もがなおもひ川こゝろにかゝる波のよるひる
良道ノ云、庭の盛りの頃はかならず訪(ト)ひ来んとありしかば、そのころ詠(ヨミ)し歌とて、書刺(カウデ)にさしたるをとりて見せける。
こゝろあらば盛をまちてくれなゐの梅も片枝は花をのこして
とありしを見て返し。
梅が枝は青葉ながらも色ふかき人の心の花をこそ見れ
廿七日 よんべより雨いたくふりぬ。蓑笠着たる人こはづくり、やをらふみもて来るを見れば、此春平泉の毛越寺の衆徒(スト)、皇都(ミサト)に登(ノボ)りけるに、あが父母の国、吉田ノうまやなる殖(植)田義方のもとへ文通(フミ)あつらへしかば、其書(フミ)の返事(カへシ)来るをくり返しまき返し見て、
うれしさに袖こそぬらせ事なしとむすびて送る露の玉づさ
あるじ良知、良道はらからの歌あり、また、こと人の歌もあれどこゝにはもらしぬ。
十九日 木々のいとふかく生ひ茂りたる中に時鳥の鳴(ワラハベ)クを、童の集りふりあふぎ聞て、
「町さへ往(イツ)たけとか」
と、此鳥の鳴く真似(マネ)する諺(コトワザ)ノあるなり。
此処(コゝ)に町といへるは肆市(イチ)立(ダチ)に行ケ事をいへり。
また時鳥を五月鳥(サツキドリ)とも五月鳥子(ゴグワチドリコ)とも、また田うゑ鳥ともいふ処あり。
また小鍋焼(コナベヤキ)といふ郷(サト)もあり。
此こなべやきといへる事はむかし、男子(ヲノコゞ)ふたところもたるひんぐうの君あり、太郎は亡妻(モトメ)の兄(コ)にて次郎は後妻(ウハナリ)の弟(コ)也。此弟(オトウト)しばし兄(アニ)の外(ト)に出て遊び居)ヲ)るをうかヾひ、なにくれとあなぐれいでて小鍋焼(コナベヤキ)てふ事して物煮(モノニル)を、兄(アニ)のゆくりなう外(ト)より來て、こは某烹(ナニニル)かとさしのぞけば、兄に見せじと、かなたこなたともてわたり、また兄の来たらばいかゞせんと、もの陰(カゲ)にかくろひて、唯一人(ヒトリ)是を喰(ク)ひにくひて、あな腹くるしとふしまろび、背中(セナカ)裂(サケ)て、くるひ死たり。其弟(オトウト)が霊魂(ナキタマ)霍公(ホトゝギス)と化(ナリ)て、しか
「あっちやとてた、こつちやとてた、ぼつとさけた」
と叫(サケ)び鳴ク也。そは其よしなりといへり。
『和訓栞』には、出羽にて尾揺(オタゝ)くしやうと見え、東海道にては
「本尊(ホゾン)懸(カケ)たか」
と鳴クといひ、また杜鵑(ホゝトギス)の字(モジ)もさま/″\多く、また沓作りの翁と云ひ名もさま/″\、またくさ/″\なる、はかなき童(ワラハ)物語(モノガタリ)多し。
一とせの夏尾張の国名古屋にて、五ッ六ッ斗リなる男子(ヲノコ)をいざなひ、ものにまゐりけるとて人あまたうち群れ行クに、霍公(ホトゝギス)の頻りに鳴クを此稚子(ヲサナゴ)の聞イてうち笑ふを、人々、若子(ワコ)はいかに聞やしか、某(ナニ)と鳴クぞと問へば此童(ワラハ)、
「父(トツサ)へ母(カゝサ)へ」
といらふを聞て、居(ヰ)ならぶ人みな、おとがひをはなちて、はと笑ひし事あり。
其子麻疹(アカモガサ)やみて死(ミマカレ)り。
その親どもは、時鳥は、うべも黄泉(ヨモツ)の鳥か、かの国より、はやこ(早来)/\と父母を呼(ヨブ)かと初音より血(チ)の涙(ナミダ)を流して、霍公(ホゝトギス)の鳴けば、あなかなしと、耳をふたぎし事ありしを思出たり。