三十日(ミソカ) をちかへり時鳥の鳴ヶば、
ほとゝぎすこゑなをしみそ庭に咲く花の卯月も明日はちりなむ
五月朔ノ日 あすは此家(ヤド)を出たゝむ、去年より馴むつびたる人々に、ふたゝびのたいめ、いかヾなンどおもふ曉郭公の鳴けば、
時鳥なみだなそへそ見る夢もこよひばかりの宿のまくらに
ほどなう、しらみて、
二日になりぬ。
去年より、なにくれと、たのもしかりつる人々の情さすがに、けふの別れに、むねうちふたがり涙おつるを、心づよくも巳ひとつ斗にあゆひしてたちづれば、良知の弟(オトウト)良道の云、
別れては道のちさとをへだつともかきつめてとへ壺の石書(ブミ)
と聞えたる返し。
書(カキ)かはし壷のいしぶみ音づれん行クみちのくはよしへだつとも
とて外(ト)に出れば、家(ヤ)にあるかぎり門の外まで見送りせり。
おもひやれ去年よりなれて思事いはでしのぶの袖のなみだを
良道聞て、
言の葉を今は記念とみちのくのしのぶの山ぞともに露けき
しかして人々をわかれて、村上良知は前沢の駅(ウマヤ)に在りければ、そなたにて逢はむと、良知の子いまだ総角(アゲマキ)なるをみちあないとして、去年見し水文字の滝〔流のさま、草書の水という字の如也〕を見がてら前沢の郷(サト)にやゝ出たり。
良知のやどれるもとに至れば、
あひなれし契りわするないづこにもおなじ心の友はありとも
と良知のいへる返し。
別(ワカ)るともなにわすれん友がきのへだてぬなかのふかきこゝろは
此夜は霊桃寺に泊る。此寺に三四日(ミカヨカ)はあれなンど長老聞え給ふに、語らひ暮て、
五日 けふ軒に蓬(ヨモギ)、菖蒲(サウブ)ふける事、こと国にかはらず。
陸奥は実方中将の故事(ユヱヨシ)ありて、五月五日はかならずかつみ(まこも)をふかせ、あやめはゆめ/\ふかざるよし云ひ伝(ツタ)へ、また宗祇旅日記に藤原義孝が歌に、
「あやめ草ひく手もたゆく長き根のいかであさかの沼に生ひけむ」
とよめるをもて、其処の者に尋ねしに、中将の君くだりて、何のあやめもしらぬしづが軒端には、いかで都におなじかるべきとて、かつみをふかせられたるよりの事也といへり。
また円位(西行)上人熊野へまゐりける道の宿に、かつみをふきけるを見て、
「かつみふく熊野まうでのやどりをばこもくろめとぞいふべかりけり」
『著聞集』に見えたり。
さりければ浅香ノ沼ならでも生ふる草にて、紀ノ国にも葺(フキ)けるならはしにこそあらめ。
なにくれかにくれと、いにしへ今はことなれど、思ふまに/\。
かつみふくやどこそなけれあやめ草長き根さしの御代をためしに
軒に幡立るは、男子(ヲノコ)ある家々(ヤド/\)には、いづこにてももはらすべき例(ナラヒ)なるを、此里にては女子(ヲミナゴ)持(モタ)る家にて、また、さらに小児(コナキ)門にても、とみうどの門はことさらにものして、そのけぢめなきは、出羽路(イデハヂ)もひとし。
こよひ、さうぶうちにやゝ似たり。
安平(アムヘイ)広長(ヒロナガ)かりとぶらへば、こよひはこなたにあれとて、
時鳥声さへ匂ふあやめぐさかりねのやどの軒のあたりは
とある返し。
言の葉も菖蒲も薰る宿になほこゑうるはしみ鳴ほとゝぎす
とて更ぬ。
六日 那須資福の牡丹(ホウタニ)けふを真盛とて、人々にいざなはれて見に行しかば、雨、けしきばかりふりて晴ぬ。
ぬれてほすいろこそまされ五月雨のふるもはつかの草の数/\
那須氏のもとを出て、
七日 いと近き良友の家に、けふも人々も来(キ)集ひ、あるじめくわざして、うまのはなむけをかごとになンど、ねもごろにものしければ、かついたれり。
ひねもす、さよすすがら語りて明ぬ。
八日 よべより雨ふれば例の人々来けり。
九日 けふ此里を出たゝむといへば、あるじ良友。
衣川袖のなみだは包めどももれこそ渡れけふのわかれに
返し。
いひ出ん言葉も夏の衣川うらなくおもふ君が別に
広長。
別れてはまた逢事もたのまれずいとヾ余波のをしき老の身
返し。
又いつとちぎりもやらで老の身の言葉の露に袖ぞぬれぬる
広影。
行袖にかけてちぎらむ別ても又あぶくまの川波もがな
返し。
別れても又あぶくまの名はあれど袖やぬらさむ波のよるひる
正保といへる琵琶法師のよめる。
行人にあふてふ事はしら河のせきの戸さしてとヾめてもがな
とある返し。
おもひあふ心は通へしら川の関のうちとによしへだつとも
霊桃寺にすめる僧(ホフシ)茵雲ノ云(イへラク)、
結交数月如同盟 豈計高楼此送卿 請見陌頭楊柳色 回風猶耐杜鵑鳴
とありける韻(スヱ)の、鳴(ナク)といふ字もて返し。
青柳の糸くり返しほとゝぎす君に心をひかれてぞ鳴く
那須ノ資福。
したふぞよ軒端つゆけき草の庵にやどりし月の今朝のわかれを
返し。
あかで見し月を残して此屋戸にいとヾ余波の袖ぞ露けき
方長。
とヾめえぬ袖の別のつらきかな衣がせきは名のみ也けり
返し。
此里にかたしき馴て夜を重ねいねし衣が関立うき
桃英といふ人の句に、
とヾめばやせめて早苗の五寸まで
かくて人々を別れて、けふ、六日入邑(前沢町川岸場)にいたりて鈴木常雄かり訪へば、あるじのいへらく、黒助(クロダスケ)(水沢市黒田助)といふ片山里に百歳の老嫗(ウバ)あり。
その長寿(コトブキ)を祝(ホギ)て酒さかな贈る、いざたまへ、久呂太須祁(クロダスケ)へといへれば、ともに出たつ。
加美河の舟渡りして江刺ノ郡にいたり行道といふ人をいざなひ、しかして其家にいたれば、そが孫(ムマゴ)ならむ五十歳(イソマリ)の男(ヲノコ)、ふくだみたる袴の襞襀(ヒダ)をたヾし、こは、はる/″\の道をなンど、かの酒さかな、老女の前にとりすう。
老女は麻苧(アサヲ)の糸(イト)うみ居けるが、糸うみさして手をつきぬ。
耳いととく目きよく、髪は黒髪まじりのおもざし、歯(ハ)は一歯(ヒトヒラ)もおちず、かねくろ/″\と見え、年は七十(ナゝソ)八十(ヤソ)とやいはむ、三輪くむけぢめも見えず。
もゝとせの嫗(ウバ)といはむには、にげなかるべし。
世にかゝる人もありけるものか、うべも国ノ守より、ものかづけさせ給ひしとなむ語レり。此老女に酒すゝめ、その末の坏をとて人みなとりめぐらす。
此嫗、十三ノ歳にて此宿に媳婦(ヨメ)となり来て、今八十(ヤソ)翁(オキナ)の子あり、五十の孫あり。
うからやから、ところせきまで居ならび、盞めぐりにめぐれば酔ひしれて、此孫なるもの傘をひらき扇を持て、うたひ舞ふさま、かの、もろこしのけうの子老萊子が、舞ひ戯れて倒(タフ)れたるに似たりと、人々もこゑをあげてはやしぬ。
もゝとせの親に仕ふる楽しさ人も千とせの齢をや経ん
日くれて、みちはる/″\と行道のもとにつきたり。