廿八日 あさてばかりこゝを出たゝむといふを聞て、姉体(水沢市)といふ処にをるくすし安彦ノ中和(ナカマサ)。
たび衣袖のわたりの別より涙の川のせく方もなし
とある歌の返し。
なみだ川身もうくばかり旅衣袖の渡にくちやはてなん
盛方のもとより、
別てもおもひぞ来(オコ)せ朝夕もたえず其名はわすれずの山
返し。
情ある君がその名はわすれずの山また山はへだて行とも
祥尚のいひ贈ける。
みちのくの山路はるかにへだつともめぐりあはなんことをこそ思へ
返し。
別れてもけふを契にみちのくの山路はるかに分てとはまし
守清ノ翁は八十ととし高く、真白髪(マシラガ)は雪とつもり、髭もしらみはげながら筆をとりて、
五月雨にみかさまさりて衣川たち行人をしばしとぐめよ
また此守清翁の句に、
螢ともなりて送らむさつきやみ
此翁のこゝろざし返す/\うれしくて、
衣河ふかき情に五月雨のはれまはあれど袖やぬらさむ
廿九日 常雄とともに、麻生(アサフ)いふ処に栖家(スメル)千葉ノ道利といへる人のもとにいたれば、山丹花(ユリ)のいたく咲たるを、
風吹ば露も盈(コボ)れて庭もせにさゆり花咲くやどぞ涼しき
例の酒進めけるに時うつりぬ。あるじ道利の翁、なにくれかたりける中に、此胆沢ノ郡若柳ノ荘駒形山ノ麓なる金入道(カネニフダウ)(胆沢村)といふ村にては、老(バヾ)の事を「ごんご」といひ、三四十歳(ミソマリヨソマリ)とわかき女をさして「ごんごひめご」とよび、娶(ヨメ)なンどは「姫子」(ヒメゴ)といひ、あるじし、酒宴(サカモリ)あるときに小謡(コウタ)舞といふものあり。
そは盃を左に持(モ)て右に扇をひらいて、
「酒は諸白(モロハク)御酌(オシヤク)はお玉、さしたきかたはあまたあり、さすべき方はたヾひとり」
とて、つと、なみゐる人の中に、ゆくりなう、うちつけにさしぬ。さゝれたる人は、した心はしらねど、うむじがほつくりて、かしらかき/\盞とりてひとつほし、あるは、かさねたうびなンどして、又たちて小唄舞(コウタマヒ)をせり。
かゝる小歌舞に、いとヾ酣(タケナハ)になりぬとなん。
夏の始め楢(ナラカシ)のわか葉をとり、敷莚の下にしきおして乾槲(ヒガシハ)として、是(コレ)をふところ紙として、人に、さかなかいのせて進(マヰラ)せぬ、など語りぬ。
さすがに山里の古風(フリ)見るこゝちせり。
かくて道利翁がもとを暮ふかく出れば、しばし野原の路行ほど螢いと/\多し。
さつきやみわけこしぬれて草のはら露も螢も袖にこぼるゝ
更て六日入につきたり。
六月朔日 あくるやいなや、くま/″\のこるかたなう、蚤(ノミ)ノ舟(フネ)てふものを、節分(セツブ)の豆はやすやうに散(マキ)ありく。
こは、羊蹄草(シノハ)(ぎしぎし)なンどいふ葉の銀蕎麦(ソノハ)をかく蒔(マキ)ありけば、是を舟として、蚤(ノミ)の、海にみな皈り去(イ)ぬてふためしとなん。
しかして、時の間(マ)に掃き清めぬ。
ますらをが刈りてつみけむ草のみの舟こぎ今朝はくだる夏河
けふの朔旦(ツイタチ)を脱月立(ヌケノツイタチ)といひならはして、桑(クハ)の林のもとに行ヶば、空蟬(ウツセミ)のもぬけのからのごとく魂魄(タマシヒ)とびさりて、人脱(ヒトガラ)のみ残り止(トヾ)マれるとて、桑の木一ト本見ても恐れかしこみ、蚕(トゝコ)の養も、よべにとりてけふはものせず。
秋田路のごと、歯固(ハガタマ)とて氷室(ヒムロ)餅(モチヒ)のためしはせざる也。
あしたのくもりてひるはれて、タぐれ近く風たちて涼し。
五日 近どなりの里なる杉ノ目真種といふ人のもとにいたりて、余波とて夜ひとよかたらひ、ふすかとすれば水鶏鳴ぬ。
夢もまた残る■(里+鳥)のねやの戸を叩キもはてずあくる夏の夜
六日 杉ノ目の屋戸を出るに真種。
別れなばふみこそ絶えめ思ひやる心は通へおもわくの橋
とありしかば返し。
わかれてはふみこそたゆめおもわくの橋は心にかけてわすれじ
常雄のもとに皈る。
七日 つとめてこゝを出たちなんといへば、此家に、保元平治の世の乱のころよりとり伝へたる、札(サネ)よき小桜威とおぼしくて、としふり破(ヤ)れたる鎧(ヨロイ)あり。
是(コ)は常雄が前祖(トオツオヤ)鈴木兵庫ノ頭常信の甲(ヨロイ)也。
鈴木常信は鎮守府ノ将軍源朝臣(アソミ)義家(ヨシイへ)ノ卿の家令(ケライ)にて、すなはち将軍(キミ)の真筆(ミテヅラ)給りし感状あり、常信は数度(ヲリ/\)の戦ひに勲功(イサヲ)ありし武士(ヒト)也。
世々(ヨゝ)に勇士(イサヲ)ありしにや、義朝ノ将軍をはじめ北畠ノ顕家卿まで、代々(ヨゝ)の感状五枚(イツヒラ)あり。
また掌形(テガタ)なきいと/\小(チヒサ)く、虎(トラ)の皮布(シキ)たる鞍あり。
唐鞍てふものにや、結鞍なンどのたぐひにや、いと古キ物也。
敵(アダ)よりとり得たる鎗(ヤリ)あり、横刀(タチ)あり。また家の幟標(ハタジルシ)あり、そは頸なンど包みしものとおもはれて、いたく血にまみれたりしあとあり、よしある家の末葉(スエハ)也。
あるじ鈴木〔養作といふ〕常雄のいへらく、吾世まで廿四代を経たり、かく今は民家(イヤシ)き家ながら、此よろひは千歳近きものから身の守リともなるべし。いさゝ分ヶ贈らむ、故郷(フルサト)の裹(ツト)にもていきねなンどいひつゝ贈られしうれしさに、庭牡丹(ボウタン)を見て、
千代かけてたねやまきけむよろひ草いや栄行家ぞ久しき
あるじ常雄、又かならず訪(ト)ひ来てなンどありて、
浦波はよしこゆるともちぎりおく事なわすれそ末のまつ山
とある歌の返し。
別れ行末の松山こゆるとも波のたちゐにかけてしのばむ
雨のいたくふり来けり。
家(ヤド)の人々みななみだながら、此雨にいかでかなンどあれば常雄。
けふのみと人をとヾめむこゝろをや空(ソラ)にもしりて雨のふるらむ
返し。
ふる雨は菅の小笠にしのぎてもなさけの露に袖やぬらさむ
あるじの聟なりける鈴木常茂。
夢うつゝこゝろもとけず行人にあかぬわかれをしたひもの関
とありける返し。
うちとけぬ思ひむすびてへだて行袖はなみだのしたひものせき
常茂、近きわたりまでとて送りして、やゝ常茂を別れて綾織(アヤオリ)(水沢市)といふ処にて雨もをやみたれば、田づらの路に立て、
千町田にあやおりみだれふる雨の余波涼しき露の玉苗
やをら姉体(アネダイ)邑(水沢市)に来て安彦中和のもとにつきたり。
あめなほ微雨(ツボフリ)て夕月の空ともいはず、さながら、さつきやみにことならず。
遠かたに炬松(マツノヒ)ニッ三ッもてありくが、木の間に見えかくれゆくさま火串(ホグシ)のこゝちして見つゝしをれば、その影は見えず螢のみぞ多かる。
とぶほたる照射は見えず雨にさへ汝れがおもひのけつかたやなき
あるじとゝもに語らひ更たり。
此処(コゝ)に四五日(ヨカイカ)とありて雨のやゝをやみぬれば、