五年ぶりに、ジュピター号に乗った。
ジュピター号は、東京から秋田まで走る夜行高速バスである。
池袋駅を夜10時に出発し、首都高、東北自動車道に乗り、いったん大宮で降りて、大宮駅でも乗客をのせ、その後また高速に乗り、秋田を目指す。
今回で、夜行バスに乗るのは、何回目になるだろうか。
今までは、バスの発着場である池袋西口公園のあたりで、出発までの時間をつぶしていた。
夜行バスは予約制なので、ネットで一ヶ月前にチケットを確保していた。
その際に、発着場に変更がないかを確認したのだが、近くに待合室があることがわかった。
近くのビルに、東京周辺で営業している国際興業バスの営業所があって、提携している夜行高速バスの乗客のための待合室が設けられていた。
今まで使ったことはなかったが、暑いなか公園で過ごすより、冷房の効いた待合室がいいだろう、と行ってみた。
20人分くらいの座席のある待合室で、一時間近くを過ごした。
ディスプレイには、提携先のバスの発車時刻表が表示されていた。
驚いたのは、秋田行きのジュピター号の他にも、東北各県への夜行バスも運行されていたことである。
岩手方面には、岩手県交通のけせんライナー、
山形方面には、庄内交通の夕陽号、といった具合である。
他にも、名古屋、京都、大阪行きの夜行高速バスも時刻表にあった。
これらは、高速バス専門の業者らしく、名前を聞いたことのないバス会社だった。
最終のバスが出発する12時まで使えることになっていた。
バスの発車10分前になると、乗車場に移動するように表示される。
ジュピター号は、夜行バス専用の仕様で、3列独立シートである。
席と席の間は、狭いながらも通路になっているので、隣の席を気にすることはない。
座席間には、カーテンが完備している。
チケット予約の時に、空いている席を選ぶことができる。
私は、行き帰りとも、乗車口から入ってすぐの「1A」という席を選んだ。
車体の中央部に、トイレがあるのだが、結局一度も使用することがなかった。
運転手2名で運行しているので、2時間毎PAやSAに寄ってるみたいだが、乗客は下車できず、深夜でもあるので、ほとんど意識しないうちに、朝になって目的地に到着する。
このジュピター号に初めて乗ったのは、いつだろうと考えてみたが、はっきりはわからない。
秋北バスの沿革には、1989年に運行が始まるとなっている。
たしかに、東北自動車道の十和田ICまで開通したのが、1984年である。
最初に乗った夜行高速バスは、通常の観光バス仕様で、左右2席ずつの4列シートだったことを覚えている。
隣の席に人がいる状況で、夜通し過ごすのは、かなりきついので、ゆっくり眠ることができなかった。
その後、現在のように独立の3列シートになったので、かなり快適になった。
もしもこれが、昔のような4列シートだったら、絶対遠慮したいところである。
今でも、4列シートで運行している夜行バスもあるらしいので、要注意である。
私が、18歳で郷里の秋田を離れてから、50年以上経ってしまった。
この間に、何回帰郷したことだろう。
記録など残していないので、まったくわからない。
嫁いだ姉がいるとはいえ、自宅はないので毎年帰った訳でもない。
何年かに一度、さまざまな目的で、帰郷していた。
今なら、自家用車、新幹線、夜行高速バス、航空機と選択肢はある。
東北新幹線が、盛岡まで開通したのは、1982年だという。
運転免許をとって、運転するようになったのも、東北自動車道が開通したのも、その頃80年代から90年代である。
だから、私が20代の頃は、帰郷はもっぱら国鉄の夜行急行列車を利用していた。
考えてみると、夜遅く乗車すると、早朝に目的地に到着したのだから、現在の夜行高速バスといっしょである。
でも、JRの急行列車は10年くらい前に、まったく無くなったらしい。
だから、特別急行列車や新幹線を除けば、昔のように急行列車で長距離を移動するということはできない。
「青春18きっぷ」というものは、年齢制限はないらしいが、使ったことはない。
ということは、運行距離の短い普通列車に、ちょこちょこと乗車するしかないのかな。
この頃の帰郷の主な目的は、郷里の山「田代岳」に登ることだったと思う。
その後、結婚して次男が生まれた翌年あたりに、家族で秋田の姉宅を訪ねた。
東北新幹線で盛岡まで行き、盛岡近郊の小岩井農場で遊んで、温泉に一泊、翌日盛岡からローカル線の花輪線で大館に向かった。
新幹線で盛岡までは、3時間ほどだったが、盛岡から大館までが、2時間もかかり遠かった。
花輪線は、奥羽山脈を越えて、岩手県から秋田県まで入るのだが、各駅停車でしかも、冷房のない車両だった。
小さい子ども二人、それに東京生まれ育ちの妻と、同じく東京生まれ育ちの両親も一緒である。
帰りも、盛岡で一泊してから、新幹線で帰った。
たいへんな旅行だった気がする。
それから何年後だったか、東北自動車道を使って帰郷した。
住んでいる柏を朝早く出発して、2時間毎くらいで休憩のペースで行くと、夕方に秋田に到着した。
総キロ数は、700キロ弱なので、けっこう運転のし甲斐があった。
それでも、妻と運転を交代しながらなので、なんとかなった。
郷里では、姉夫婦が私たち家族を歓迎してくれたので、自然豊かな田舎を子どもたちに体験させたかった。
そうして、何度帰っただろうか。
その姉は、50代半ばで病気で亡くなってしまった。
今なら、息子たち含めて、全員が運転できる。
遠出の旅行でも、楽なものである。
ところで、今回の帰郷は同級会に出席するためだった。
一人なので、車というわけにもいかず夜行高速バスにした。
梅雨の頃に、同級会の案内のハガキが届いた。
その中に、「卒業して早いもので57年、最後になるかもしれない同級会を計画」とあった。
一応、中学校の同級会となっているが、1学年1学級という学校だったので、小学校中学校、さらに遡ると幼稚園も、10年間一緒だった幼なじみである。
72歳になる歳だから、確かに最後かもしれない。
そんなわけで、とりあえず秋田に向かった。
このことについては、そのうちに書こうと思う。