いわてのやま
寛政八年の夏のころ、みちのおくのくに胆沢の郡をたちて、松前に行のみち行ぶり也。
南部路のことのもはらあれば、《いはての山》てふこともて、このふみの名とせり。
馬門のせき屋より筆をとどむ。
かくて津刈路に至りては《そとがはまつたい》てふ冊子に島渡りまでつばらにかいのす。
いわてのやま
わは、いづことなうさすらへありきて道奥に至り、
こは、雲離れ遠きくにべにも来けるものか、
蝦夷が千島の月のあはれはいかゞあらんと、
そとがはま波こゝろにかゝりて、
蒼杜(竹森)のみなとべより船出せまく、
まづ善鵆(うとう)のみやしろにぬさとりたいまつりて、
なみ風たひらかにみそなひたまへとかしこまりて、
やませといふかぜを追手に行といふなれば、
その風のふきこんかぎりは、
海士のとまやにあまた夜旅ねしつれど、
さちなるかぜのたづきもなう、
見やるわだのちさとには、
あら浪のたちにたちてあれにあれ渡ば、
よき日のいでこなん空は、
いつ/\にかあらんと浦人にとへば、
葉月のころは海のならひとて、
かゝるものにてと、
ひんなう聞えたれば、
すべなう、えしも嶋わたりせで、
げにや、かうやうのことも、
ふなみちやすからざるさとしを、
いのりし神の、みさかにてやとおもひめぐらし、
ふたゝびとこゝろにちぎりて、
こたびはとゞめたり。
やをら、あだたら真弓ひきかへし、
松島や、をしまの月にあくがれ、
しほがまの浦こぐふねにむやひし、
宮城野の萩のまさかり、
真野のかやはらわけつくして、
石上ふるきところ/″\を尋ね、
ふたゝび胆沢の郡にめぐり来て七のみや(延喜式内七社)にぬさまつりて、
来藻(衣)川のこなた麼弊舎波(前沢)のうまやのほとりに、
ささやかの庵むすびて冬籠せり。
あら玉のとしたち春にもならば、
こさ(胡沙)ふくゑぞの島人も見てんとこころほりすれど、
ことしは世のなりはひよからず、
行みちのわづらひやあらんと人々のせちにとゞめ、
あるは、こゝちそこなひふしくらし、
いで、ことしといひもて、
手ををれば三とせにたれり。
こや、入江のあしのほゐにはあらで過にしことのくやしう、
すゞろに、こゝろあはたゞしう。
天明八とせ(一七ハハ)の夏みな月のなから斗、
かどでせんといへば、ふたとせ、
みとせをこゝになづさひたるとて、
里の子ら、わらはべまで、
ほろ/\と袖ぬらして来集り、
あるは老たるわかき声をそろへ、
とく/\又もこゝに来ませなど、
みなこととひていぬれば、
わきてあさゆふ、とひ、とはれ、むつがたりせし友垣など、
菅の根のねもごろに、うまのはなむけせんとて円居したる。
をりしも、霊桃寺の文英上人のもとより、
たてふみにこめて、
見はてずもとくたちかへれみちのくのかぎりしられぬ蝦夷が千島を
となんありけり。
此歌の返しをす。
ゑぞ舟にのりてちしまをわくるともかぎりも浪のたちかへりこん
おなじ寺にすめる潜龍法師のこと葉に、
白河遠去向辺州
惜別慇懃送壮遊
常伴腰間秋水剣
復収懐裡夜光球
青森山岳雪花乱
合浦関門紫気流
縦是松前風物好
帰程自誤莫淹留
この末の文字を末にむすびて、
うら山のながめありとも皈り来んたづきもなみにこゝろとゞめず
と返しす。
信応の歌に、
浪遠くたちわかるともつな手繩又くりかへせわかのうら人
とありける返し。
こぎなれし浦をしるべに綱手なはくり返しこん和歌の友ふね
安平広影のいはく、
境望欲極海東州
離曲送君万里愁
至日松前秋応近
渺茫雲路乗孤舟
といへるくしの返しを、
いましばしこぎわかるともほどもなみおなじうら輪によるのともふね
俊龍のいへらく、
積水渺難極
安知沢国東
雲霞如散雨
滄浪若乗空
停撓往看日
征帆自信風
孤舟応有興
裁比櫂歌工
おなじ人のことばに、
河梁柳色幾離居
六月海風転欲疎
雲路縦遊九州遠
冥鴻寧忍報書虚
といふふたくさの返し。
わだつ海はいかに見はてんもろこしの鳥もつばさのつかれてやこし
よな/\はかはるあるじにかたらひて長き旅路をひとりゆかまし
高橋久武ふみでをとりて、
海山をへだて行ともたよりあらば来るはつかりにかけてつげこせ
といふ歌の返し。
そなたへと行はつ雁のたまづさをこゝろにかけて人をとはまし
盛芳のもとより、
わかれてのよすがはいかに海原やまつほどなみのたちかへれかし
とありしかば、此返しかいやる。
別れてはよすがも波の海原やしほたれごろもたちかへりこん
那須資福の、
行ふねの蝦夷がちしまをめぐるとも秋風ふかばこぎかへれかし
とありつる返し。
さらでだにうけき秋風身にしみてとくめぐりこん夷のしまふね
かくわらぐつさし、つかみじかの筆して、
すみすつる庵ぞ出うき柴の戸のかりそめふしも三とせへぬれば
と、ゆんでの壁にかいつくれば、人々見て、うちずんずれば、正保といへる、びはほうしの聞つつ、
出うきと君がいひけんことの葉をのこすいほりにありとしのばん
とよめるもおかし。
けふは大室てふ処にいきて、鈴木常雄をとひ別れてんとていづれば、正保、わらはをともなひをくりし、したがひ来けり。
みちいと近く、六日入の、かのおほむろに至りぬ。
とみなることのありとて、正保は前沢にいにき。
あるじ、なにくれとかたりくらしぬ。