晴耕雨読    趣味と生活の覚書

  1953年秋田県生まれ。趣味は、山、本、音楽、PC、その他。硬化しつつある頭を柔軟にすべく、思いつくことをなんでも書いています。あわせて、江戸時代後期の紀行家菅江真澄の原文テキストを載せていきます。

いわてのやま③  菅江真澄テキスト

八幡の神籬にまうでて久斯美多万(奇御魂)をも拝み奉らまく、いで、そのみやしろへとおもふに声高う舟よばひせり。
こは、かみ川の行かひやあらん、とく/\と人々のいへば、いそぎほゐにはあらずて、そのかたをよそに出たつ。
しかはあれど、去年、さをととしも、ぬさとりをがみ奉りし。


「あめつちとともにひさしくいひつげど」


とずんじて、こゝよりをがみ奉りて、あるじにわかれて、やはたを離れて川のべにいたれば、足とくあれ、舟いづとて、さかまく波を棹あまたの力してつきたり。
いはや堂の里に至り、相しれる大和田なにがしのもとにつけば、三とせ斗近となりになづさひたる、前沢の福地なにがしこゝに在りて、きのふとひ来て待わびつるなどありて、ふたゝびのたいめせまくてと、ねもごろにものし聞えて、このぬしの歌あり。

 

   わかれてはそれとよすがも夏衣たもとに露をおくのほそみち

 

返し。

 

   夏衣うすきたもとに露いたくおくのほそみちひとりたどらん

 

このぬしのめなりける志嘩子のもとより、

 

   別てはたえずぞおもふみち遠くひとりゆくらん君が面影

 

つねにかく聞えしふしもあらねど、人をわかるゝをせちによめるなるべし。

 

   草枕かりねのやどの夢ならでわかれし人をえやは見るべき

 

と返しす。

この宿にやまうど(病人)ありて、人のいで入りもうるさからんとて、あるじのゆかりの、ことやどにうつりいきて、こよひはこゝにねなん。
かつ至れば、はらふくらかなる女ども、いと多く行かひをせり。
けふは子安地蔵尊の祭なりければ、かく、はらみとのみ、いつもまうでてけるならはし也と語り、いにし十六日の夜は、この里に近き小田代といふ処の、十一面観音ぼさちのまつりありしは、世にことなること也。
いかにととへば、わかき男女さはにむれまうでて、それらがかへさには、われよしとおもふ女にけさうして、松のしたかげ、堂のかたはらにても、まぐはへり。
こは、男さだむるわざなればとて、一とせにひとたびの、いもせむすぶの神まつりとて、まうづることを、おや/\も見ゆるしてけるならはしとなん。
大原(京都府)のざこねも、しかあらんかとて、あるじ、はと笑ふ。

 

廿三日 きのふのごとに雨ふりてければ、おなじ宿に、おなじ友がきとものがたりして、けふもくれんとす。

 

廿四日 いとよき日になりて出たつ。
このかた岨に、聖徳太子のみや、達摩尊者社とてあり。
そのゆへは、秀衡、くにゝ都をうつしたるものがたりありて、此あたりを片岡ともはらとなへて、いかるがやとみの緒川のふるごとをもて、いにしへを祭り、ふるごとを残しおきけん。
田の中に家のふたつ、みつあるに、かはきたる鱈めのかしら、鮭のかしら、あるは魚のかたを木にて作り縄にかけ、そのかど/\にひきはへたるを人にとへば、伊勢まうでしたる人あれば、それが皈りくまで、そみかくだなどの物乞ひ至らざる、けがらはしき人の入り来ぬ料、法師をよぐの門しるしといへるもおかし。
倉沢(岩谷堂西北三キロ)といふ村に出て、見やる高岨に松杉の生ひまじりたるは古館とて、鶴脛五郎家任のいにしへをしのぶ。
三照(ミテリ)(江刺市、倉沢の西北)といふ村に名だたるふるつかのありけるよしを聞て尋れば、坂井田といへる、鳥居のあるをしるべにと人のをしへしまま、はる/″\とそこに至れば大日如来の堂あるに、あない、をくれ来てぬかづく。
みちのくのならひとて、あみだほとけ、やくし、くはんおんぼさちにも、神とひとしう鶏栖(とりい)をたててあがめ祀る。
この堂のほとりなるところに、つちの小高く草生ひしげりたるをさして、これが、かまくらのあま将軍の御塚也とをしゆ。
いかゞして、こゝにはかくしおましましてけるならんと、あない、いぶかしげに語る。
むかし此あたりは、みな、つるはぎのしめしところにてなど、話りすてて別たり。
男岡とて、あたごの祠あるをめてに出来るに、人あつまりて、つゞみうち笛吹すさむは、けふなん湯祭ぞせりける。
下門岡(ここより北上市)のやかたに出て、みちしべばしのほど行て国見山極楽寺の前を弓手に、真木の立あら山中のみちをよぢて、胎内潜とて、巌のしたを、せくごまりて通る。
此石の上におはして、円仁大師のごま、みどきやうし給ひし、名を坐禅石といふとか。
山かすかに鳥鳴て、伐木の音聞えたるとわけのぼれば、老かゞまれる法師の、木の根をほり、いはほをくだいてけるとて、手に大鍵、ついさびなどいふものをとりて、ひたうちにうがちてけるが斧のひゞきと聞えたり。
さる法師は、百とせに近き齢ながら眼あきらかに、小石にみのりをかいて、こゝに埋み塚してけるとて、いさゝか人手をもからず、ひねもすあせし、日にくろみてける、この極楽寺の老法師なりとか。
鐘の声のいと近う山谷にひゞきわたれるは、まうでし人やつきたらん。
やがて洪鐘のもとにいたり、かくてへよこたふはしごにのぼれば、三間を四面の堂を、そびへたる岩の上に柱つき立て、いとたかやかに、かみ河にのぞんでつくりたれば、大なる松杉などの生ひ茂りたる、木のうれのみふむこゝちせられてあやうげなり。
おましませる観世音は、かしこくも円仁の作り給ふて、くにうどたふとめり。
うち見やらるゝ山々嶽々、北上の河くまを見れば、水上は見えねど、むかしいふ狭布の郡、いまいふ鹿角の郡よりもおちそふるが、岩手郡をながれては江刺、岩井(磐井)をめぐり、鹿股(又)のほとりにてふたつにわかれて、本吉の海に入はつるまで、布、たく繩などをひきはへたらんやうに、見えみ見えずみめぐり、めぐれり。をばしまによりたる翁、見たまへ、あなたのひんがしの木の中には、金福山定楽寺とていにしへ大寺ありて、寺てふ寺のをさたりし址なり。
北は口吸森、西は三鈷が嶽、男岡、女岡、午王坂はた岩脇山ともいへり。
宝塔山には八幡の社、大日の堂あり。
南は髙森山にて神明の社あり。
八王子、尖(トゲ)が杜、そのひんがしに釈迦ぶちの堂、その南に?沙門天、岩入リの観音、わかれ山、?風石、とっこ水、こは、みな近きさかひなり。
丑の方には稗貫郡内川目村の早地(池)峯山、薬師がてんじやう、池上山、これを三の山とはいふ也。
亥のあはひに見ゆるは田茂山の姫が嶽(姫神岳)、この山は岩手郡にぞ在ける。乾は斯(紫)波郡にあたり栗谷(ヤ)村(矢巾村)の南昌山、この山なんむかしは徳が杜なりしを、人もはら毒が森といひあやまれば、しか、くにのかみの名づけ給ふるとぞ人のいへる。
いはで(岩手)山、いま人の岩鷲山と唱ふ。
しはの郡の吾妻峯、とやが森ともいふ、これなん片寄村(紫波町)に在り。
ところの新山権現、よねが森ともいへり。
真酉に仙人峠、かの水沢山(和賀郡和賀町)にては銅ほり、この千人たふげを越れば沢内とて、いとひろき村里のあり。
坤に三笠山、前塚見山、鞍懸山、土倉山、鳥坂山、駒が嶽、この山は南部、仙台をさかふとか。
経塚、若柳、横峯、小檜山、高日山、酸川峠、高檜山、こは午未にあたれり。
かしこはととへば、南部路の飯豊杜にて侍る。

 

 

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