廿八日 朝戸出に見れば、軒をつらねたる屋の上に、わらをくみて、月の輪のやうにわがねて、ふたつみつあげたるは何の料にてかと人にとへば、むつきの氷餅(シミモチ)を、みな月の朔のあした歯固の祝にくひて、つゝみわらを屋根になげあげて、火よけとぞしけるとなん。
ゆく/\小川あり、名をとへば多具那(滝名)河とこたふ。
又河あり、とへば、たぐな河といらふ。
うべ此川は、志和の稲荷の神籬のほとりをへて、こゝにてふたつにわかれたり。
しは(紫波)のいなりのおましこそ、まことの志賀理和気の神(式内社)のふるきみあとになれとは、かねてきゝつ。
河の流に、人あまた足あらふを、
おなじ瀬をあ昱のたくなはくり返しいくたびぬれてかち渡りせん
村ふたつみつ来れば、つゞみうち、貝、かねをならして人さはにむれて、
「なにむしぼふよ、嶽からふりくだった、こせ虫ぼふよ、こさいむしばふよ、ばら/\にまつられて、たけのぼりせうものを」
と、あまたの声にうちはやし、小田のくろみち、ふみしだきありく。
桜町村(紫波町)に来て赤石明神をふたゝびをがみ奉りて、みちしばらくへて、郡山にさし入るべうあたりとおぼえて、人のかうべきりてさらされたり。
こは十六文すまふとて、すまひ(相撲)とりありきしわかものながら、寺のきぬわたなどぬすみて、きのふ、この河原にてきられたりと、見る人のかたる。
人のいふ、此五郎沼は、比爪の五郎俊衡、宮古浜(宮古市)にやきたる塩をもてはこばせ、人をなみたゝせて筑たる塘なり。
こゝに、はなちかふ牛のたかはぎに、うるしのいたくつきて来りしを、いづこともしらざりし。
はた、
「旭さす夕陽かゞやくそのもとに、うるしまんばい、こがねおくおく」
など、平泉に聞し物語のこゝにもせりけり。
そのころ称徳天皇の建させ給ひしは、そのたけ一丈に高き観世音也。
そのころほひは、もとも大なる仏閣たらんかし。
金堂の壁の、その板十二枚をはなちたる。
糺明せられしかば、そのもの、宇佐美の平治実政がつぶねたりしなど、しるし残たるふみ(吾妻鏡、文治五年九月九日)見てもしりき。
此寺は今、盛岡にうつしてけるとなん。
盛岡にいたるに、上川のふなはしかけかふるとて、はたあまりなる小舟をひきみだし岸べによりたるを、つがり(鎖)してつなぎ、くろがねのつなを、きしよりきしに引延(ハ)へ、駒ふみの板ならべたれば、ひし/\と人のおし渡るにまじり、めしゐの男女ふたり、たづさへて行は、びはほうしならんか。
この女は盲巫女(イタコ)といふものなり。
里の子の句に、
「ふなはしの板子夫婦や秋の風」
と聞しは、いとおかしかりし。
いたこてふことを、いかにと、誰にとへど、しれるはなう。此ものや神おろしをし、いのりかぢ、すゞのうらとひをし、あるは、なきたまよばひし、みさかをしらするは、神の移託(イタク)てふことをや、しか、いたことはいへらんかし。
けふはくもりて、岩提(手)山の尾上斗見えみ見えずみ、やをら晴たるを見たゝずむに、よそまり(四十余り)の法師ひとり、みじかき衣をまくりでに菅笠ふかくきて、ゆくりなう、しりより、こや旅人、松前の島渡りしてけるよしみちにて聞つれば、ともなひてよと名のりしけるは、浪速なる袁邇奇治とて、わざおぎ(俳優)やうのかたりしてける人なりとか。
ひとりのみ、おくのなかみちを分いかんよりはとて引連て、こよひは検断の宿にとまる。
廿九日 つとめて出たつ。
もはらこゝのつちけとて、夏引の糸あまたくり返しもて、つむぎ、しまをりをし、黄精を蒸してぞ沽(う)る宿の、軒をつらねたれど、偏精(日本産)やいと多く、正精(唐種)や、まれならんかし。
この市中にながれたる中津河を橋よりわたれば、鹿角郡へわかれたる巷ありて、西にわかれては猶黄精(アマトコロ)をぞうるめる。
黄精膏もあり、つとにせよなどよばふ。
さゆりの根は、大なる人の掌ふたつにのせつべう、あまたとりつかね、鶉は、名だたるふかくさの野辺にまさりて、引(ヒキ)声、ふくみ、こは明仄、尾花、袖籬など名づけて、とりこを軒のはしらごとにかけならべて、人にもうり、あがものと聞つつ、あきなひものしてける宿のいと多かる。
こゝに近きあだたらやまは、いま踏鞴(たたら)山ともいふとか。
きけば、此山に鹿(シゝ)の宮といふがありと人の話る。
うべ、あだたらの根にふすしかの、こゝろあらんとおもはれたり。
なべて此あたりは、《狭布のせば布》につばらにしるして、こゝにはことそぎたり。
岩提山の雪の、いまはたけち残りたるをうち見れば、翁ひとり、わらは.への手をとり木のもとにたち、あのおいわしの雪といへり。
嵩(頂上)に鷲のすがたしたる岩の在れば岩鷲山(ガンジュサン)ととなへ、おいはわしといふべきを、もはら語路あしく、はぶきていへり。
いはては岩手(シュ)の文字なれば、岩鷲(ガンジュ)のこゑに、いまし世の誰かいひたがひけん。
人のいふ、岩城判官のきんだち、津志王丸のみたまを神とこの山にいはひ、津刈路に在る岩樹(木)山の頂には安寿の姫のみたまを安珠比哮(ヤスタマヒメ)と祀り、岩木山大権現とあがめ奉る。
又いふ、此野鷲山のいたゞきの霧が嶽といふには、いまも鬼のすめり。
はた、あやしのもの、むかし埋しところ也。
こなたさまには見えねども、いはでの森とて、ひがさふせたらんやうなるやまありなど話りて、此翁、いはで山の句やあらん、たうびてと、こゝろありげに聞えしかば、否とこたへて、たゝう紙のはしに、
こゝろにはそれとおもへどおもふことことの葉にえもいはでやまなん
とかいてとらすれば、こは歌なりけりなどて、くりかえし/\見もて去ぬ。
「おもへどもいはてのやまにとしをへて朽やはてなん谷の埋木」
とずんじて過ればいまはた時鳥の鳴たるを、
「思ふこと磐手の杜の霍公鳥終には声も色に出にけり」
と、いにしへ人のこゝろばへも、かつ、あらはれたるはおかしかりけり。
ゆく/\片岨の梢より、あら鷹の、つばさをならしてとぶに、林の鳥は、うちひそみたり。
げにや、このあたりには島渡りの鷹ありて、すがたもいとよげ也。
其むかし、
「みちのく、いはて(岩手)の郡よりたてまつれる御鷹、世になくかしこければ、になうおぼして御手にし給ふてけり。
名をば、いはてとなんつけ給へりけるを、それを、みちにこゝろありて、あづかりつかふまつり給ける大納言に、あづけ給へりける。
夜るひるこれをあづかりて、とりかひ給ふほどに、いかゞし給ひけん、そらし給ふてけり」
など、『大和物語』にも見えたりとぞ。
おもひ出られたる。
むら鳥の声うちたえてならし羽にいはでのたかの行衛をぞしる
このくれつかた渋民の村(岩手郡玉山村)につく。
こゝを、むかしは枯杉とかいひしと。
麻の葉をきりにきりても、とずんじて、
いくばくの旅にしつもるうきことをけふのみそぎにいざはらはなん