晴耕雨読    趣味と生活の覚書

  1953年秋田県生まれ。趣味は、山、本、音楽、PC、その他。硬化しつつある頭を柔軟にすべく、思いつくことをなんでも書いています。あわせて、江戸時代後期の紀行家菅江真澄の原文テキストを載せていきます。

いわてのやま⑥  菅江真澄テキスト

ふん月の朔 つとめて、霧こめたるばかり小雨そぼふりて、やをらはれゆけば、

 

   ゆく/\は身にこそしまめ涼しさよ薄きたもとに通ふはつ風

 

巻堀(玉山村)のやかたなる金勢明神のほくらは、むかしもぬさとりしあたり、芋田、川口などの村(岩手町)をくれば、むさしより、くに見めぐらせ給ふのえだち、日あらず至り給ふとのゝしり、そのもふけにとて石ほり、くさ刈り、木こり、枝うち、路造りけるあらおら(荒夫等)、すき、鍬、かつさび、手ごとにとり、ゑぶといふものに土かいいれてひきありくを見れば、それらがぬかにしな/″\の文字をかいて、人あらためのしるしとせりけるも、あせにながれて、いよ、つらぐろに、あつげなり。

 

「吾君のあまねき御代の道作りくぼめる身をも哀とは見よ」

 

といふ信実のながめ給ひしを、ふとおもひ出られたり。
沼久(宮)内(岩手町)、かいらげ(川原木)、ふがね、御堂村(岩手町)になりて日はくれて、御堂もりのうばそく正覚院の宿に、一夜をとこひ、いねたり。
よんべより、かやりたかねば、ましてこのあたりは、蚊帳などたえてあらじ。
かゝる山里めけるほとりなどは、科野(信濃)路の山里にひとしう柾とて、そぎたをさゝやかにし、あるは、いたどりの太く生ひかれたるをくだいて、ちいさき箱に入てかわやのくまにつりて、これを、くぞまるごとにものしてけるは、もろこし人のふりにひとし。
その名を籌木(チウギ)といひ、化巾(クワキン)とぞいふめる、いにしへぶりや残たらんかし。
かゝる御堂のゆへあれど、《けふのせばのゝ》の日記にしたれば、かいもらしぬ。

 

二日 朝たつ空のくもりたり。雨ならんといひもて中山村に来にけり。
こゝにすむくゞつのやうのもの、小蝶の飛来るをとりて、このわらし、かつかべちごめるぞ、といひてやる。
わらは、あやまちてはなちやりて、なきのゝしりけるを母なん来て、ごぼうほるやつかな、いづこへも、いなくなれ/\といひつゝ入ぬ。
姨のさしのぞき、あのめらし、かつかべとりてやれと声いとあららかにいへば女聞て、どす、おほばか、又、くうるうとて猶蝶をひゆく。
かつかべは蝶をいひ、ちごめるはあづけおく、たのむ也。
ごぼうほるは、童の、なきいさちたるをいひ、どすとは癩の病をいひ、くうるうとは、つくるとも、じらをいふともいひて、はらぐろにいひのゝしるをいひ、はた、しぼるこゝろも聞えたりとなん。
火行(ヒギヤウ)(以下一戸町)、小?、笹目子に至れば、さとふりたる雨も、午ばかりならんはれたり。

 

   むら雨の零ほどもなくたび人のさゝめこみのゝひるま来にけり

 

山鳴り谷どよむまで、たぎち流る水の音に、暑もしらでわく。
ときもいま、小麦ふとむぎ、はつきよりおろし、まとりとて、またぶりしてうちたゝく女あり。
苧生に麻刈る男は、科あめる前だれとて、むねより腰にみのゝごとくまとひ、雪袴を着て、かしらは布につゝみて、笠着たるも沓ふみたるもまれに、いとなう見えたり。
小鳥谷(コジヤ)といふ村にものくひ、ひるねしてくれば故将堂(小姓堂)といふあり。
ことどころにも聞えたれど、こゝには秀衡を祀たるとか。
猪の袋、女鹿ロ(メガクチ)、白子坂、関屋、洲輪の村に来り、母屋山、鳥越(トコエ)山など遠かたに見つつたゝずめば、ぬまくないのこなたに、ひとつ屋のあり、そこは馬羽松(マハマツ)(御堂の北一キロ余)といへり。
いにしへ義家のきみ、こゝにおもむき給ふの頃、はたごうまの料にとて?もたまへるが、ながぢにくちはてて、つゆ馬のくはざれば、そこの名を馬はまずともといひし。
その?捨たる処を腐?(スエヌカ)となんいひきなど、きつれかたる友のあり。
かくて磐手を放て一戸の里になれば、なべて二戸郡とよべり。
わけゆかば、波うち峠(ここまで一戸町)の坂中に日やくれなんといへば、こゝに宿る。

 

三日 一戸をたつ。
つち(土用)は、きのふにあきて、朝戸出いと涼しく浪うち坂になりぬ。
盛岡に松が坂といふ処あり。
そこの本の松、きのふ過来し中山はなかの松にて、こゝなん末の松山といふがうべなりと、人のもはらいへり。
宮城の郡に在りしとはいづら。

 

「波に移るいろにや秋の越ぬらん宮城が原の末の松山」

 

といふ、俊成女の歌ありけり。
むかしみしところながら、いとおかしう、

 

「をのがつま浪越しつとや恨らん末の松山をじか嗚也」

 

とずんじ、やすらひて、

 

   わけ来ればあつさも波のこゆといふすゑの松やま秋風ぞふく

 

峠になれば、れいの山よりいづる?貝、松の皮貝、はまかづらなどのくだけたる(化石)を、人々ひろひもて、つとにぞしける。
うべ、波のうちよりしあとあり。
さりければ山坂の名におへり。
はた、末の松とは、もはらにはいはじなど語つれて、村松(二戸郡福岡町)といふ処におり来て、福岡にぞなりぬ。
呑香稲荷といふ額の鶏栖あり。
此みやどころのほとりは、天正のころ、九戸政実のほろびたる館の址ありけり。
なべて此あたりを九戸郡といへり。
南部路の十郡といふは、喜多郡二戸郡三戸郡九戸郡鹿角郡、閉伊郡、岩手郡、志和郡、稗貫郡、和賀郡とぞ聞えける。
いにしへ、みちのくの郡たりしとは、いまはいさゝかことなれり。
此あたりの人のくちぐせとて、かきねかいだまといふことをいへば、そのころ、みやこぢよりも軍いだして、人さはに入来るをりしも里の翁が、しか、かきねかい玉といひたるを聞て、このいくさの、はとうち笑ふを、翁、兵どもにうちむかひ、いかに、そこたちは


「蛛の巣におく籬根かいだま」


てふ歌ありともしらざりけりなど、都人をわらひ返したる物話あり。
こゝに■(木+黨)綱(カイタマ)の塚とてありと聞て、尋てもしれざりけるは、いづこならんか。
八戸の海におつといふ白鳥川の橋に立て、ゆんでをのぞめば、竜巌寺に行にかけはしありて、巌をほりうがちてみほとけをすへて、こうしさせり。
松島の雄嶋に見しにひとし。
めてにも橋ありて、これも、観世音の堂を岩のうつぼに作ぶて、いとおかしきところなれば、行かふ旅人はまづとゞまり、あせのごひて休らひ、ながめやるところ也。
山ひとつ越れば、長沢といふ処の橋落たりとて、ことどころなる土橋の大なるを渡りて前(米)沢村にかゝりて過る。
このあたりの山岨みなはたけにて、粟、稗のみを作りて、あげ田、くぼ田はひとしろもなく、うるしの梢しげりあひて、みちも畑もいとくらし。
まとりふりもて、うちたゝく麦秋に女うたひ、あるよ男女集ひて斧ふりあげてむぎ穂うつ里もあり。
そのあたりを遠う見やれば、夕日のさしかげろひ光りて、いなづまにことならず。
金田市(金田一)といふ里に金田山長寿寺あり。
小野、川口、釜の沢をくれば杉のむらだてるあり。
田村将軍の、こゝに月よみのみことをいはひ祀り給ふのいはれ、大同の物語あり。
かくて此くれつかた、三戸(青森県三戸郡三戸町)といふ処に宿かる。

 

 

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