率土が浜つたひ
天明8年7月6日から、同月14日までの日記である。
真澄は、南部領から津軽に入り、関所のある狩場沢(東津軽郡平内町)を越えて、青森に着き、さらに津軽半島を東岸沿いに北上し、宇鉄(三厩村)から乗船し、松前へ渡る。
小型本で、全三七丁、図絵は二六図である。
菅江真澄全集第一巻の巻頭にも、多くの写真が掲載されている。
柳田国男の文章でも、「此一卷は殊に沿道の寫生畫が多い。」となっている。
なるほど、巻頭の写真は、旅の途上で描かれた多くの図絵がある。
そのなかに、その土地の産物や農具の写生画あって、いかにも真澄らしいと思わせるものもある。
小さな集落のたたずまいを描いたものなどは、見ていてほっとさせるものである。
惜しむらくは、これが白黒の写真であることだ。
真澄の図絵は、色彩鮮やかなものであるはずなので、それを見たくなった。
たしか、秋田県立図書館で菅江真澄の著作を原本をデジタル公開していたはずである。
探していたら、リニューアルしているようだったが、残っていた。
実際使ってみたら、とても使いやすく、菅江真澄の自筆の著作が89作品見つかった。
「率土が浜つたひ」のページを検索してみた結果が次の写真である。
図絵入りの真澄の作品を、楽しむには最適のサイトである。
図絵は精細なので、拡大しても細部までしっかりと確認できる。



天明3年春に、郷里の三河を出発した菅江真澄は、信濃、越後、羽後の国々を経て、北上した。
蝦夷地に渡るべく、青森に到着したのは、天明5年の夏であった。
しかし、青森には着いたものの、蝦夷地は飢饉が続いていて、渡ることができなかった。
時期を待つために、真澄は陸奥の国の各地を、放浪していたことになる。
この夏に蝦夷地に渡った真澄は、4年の歳月をそこで過ごすことになる。