七日 ひんがしよりしほ風のはげしう吹ば、けふも又やませの吹てと、ゆもりの、あさゆあみしてけり。
みちは山路ありて馬かよひ、浜路ありて、かち人磯づたひしたり。
うたうまへ(善知鳥崎)のかけはしを渡る。
国人は、とうまへのかけはしともはらいへり。
高岸の岩つらに、尋(ひろ)斗の板をわたしてあやうげ也。
ふりあふげば木の中に婀岐都が窟とて、むかし、あら蝦夷人のこもりて、行かふふねをうちとゞめて宝をうばひたりしと、げにやさかしき処に、人さらに至らぬいはやど也。
「おくの海夷がいはやのけぶりさへおもへばなびく風や吹らん」
など聞えて、蝦夷はかゝる処に多く栖たらんを、むかし人もしかながめ給へり。
蛇塚の浦に来つれど、うらのながめのいとおかしければ、ふたゝびかけはしをふみて、さいのかはらをゆんでに千貫石のあたりより馬みちをわけ、山にのぼりて見やる。
うべも清少納言の、浜はそとがはまと、名さへめづらしう、かいなし給へるもあはれ也。
ゆのしま、かもめじま、はだかじまなど波の中にたゞよへり。
わけ/\て蛇塚のやかたをそなたに、潜戸川をわたり笊石の浦に出たり。
又の名を根井といひ、くゞり(久栗)坂とよぶ。
うづきよりさつきをかけて、くゞりざかの海栗(カゼ)(きたむらさきうに)てふものをとりて、しほからとせり。
こは、あはび、さだおか(さざえ)にならびて、催馬楽にうたふのひとくさ也。
旅人、さかどのにしりうたげして、これをさかなにゑひ、ほうしばらは海味噌と名附て、ひたなめになめ、たうびゑひたり。
いそのかみは小豆沢のほとりより山路をめぐり、あるは、童子山中をわけ神木の坂といふをおりて、ふしたる岩の、はざまをくゞりて行かひをせり
そこを潜戸といひ潜坂といひし名をこゝにうつして、磯辺の不動尊の岡のしたつかたなる石を、わらはべくゞり通へば、しか浦の名におへりと。
その神木の坂のほとりより、むかし、雌雄の槻とて、大なるみや木のふたもとたてるを、都にひかれて、お木を、いづれのみかどにや、ゆんでの御柱とし給ひしと、杖にかゝりたる翁の、しらぬむかしをつばらに伝へかたりぬ。
こゝは何の庄とかいふととへば、横内組といらふ。
おほむかしに津軽の郡の名たれど、今はなに組、かぐみと、親村の名をもて組とさだめて、庄とおなじう聞え、なかむかしより津刈(軽)の五郡といふあり、田舎郡、平賀郡、花輪郡、馬郡、入馬郡、庄ととなへしとも、今はもはらとはせざりけり。
峠越れば雄元の形をせし大石の立たり、浦島森といふ。
大浦、小浦、冠山とておもしろき磯山也。
関のこなたの、みさかいと高う、社のあるにまうづれば、神ぬし、御前をきよめけるがかたりて、これは山城の貴船の神を、いにしへうつし奉る。
弁財天といはひまつる末社あり、これなん鬼が女十郎姫のみたまなりとも、又義経のをんなめにてやあらん旭の前といへるが、此君をしたふのこゝろせちに、寄りたる船の中におもき病をして身まかり給ひしを、こゝにけぶりとなし、しらほねは山おくの玉清水といふ村に埋み、塚してしるしをたて、その寺を朝日山安養寺常福院といふ。
又神の社あり、神明をあがめ奉る。
貴布禰(貴船)の御前にかしこまりて、
「おく山のたぎりて落る滝つ瀬の玉ちる斗ものなおもひそ」
とずんじて、かみぬしとともにみさかおりく。
その鬼が娘とはいづこの鬼にてか。
云、蝦夷などのたけきをいひしにや。
朝日の前も、いづらの人ともさらにつたへもさふらはず。
こなたへとて径にさしいざなへるに、あやしうさし出たる岩どものあり、名を竜(タツ)の口といふ。
とは、あら垣を波の中までもうちめぐらせてまもりたり。
磯山かげに、けさもりといふあり。
むかし、すぎやう(修行)者のけさかけたるいはれあり。
艮のかたに、自呂左久といふ蝦夷人の栖し家のあとあり。
たゝみ石、わしり岬、はた祖母石といふは、その立石の又の名也。
じろさくが妻の老たるころ、わが子の遠島わたりしたるをこひわび、山にたてるが石とくゑ(化)したるすがたなりと、望夫石とおなじ物話をせり
はた、水江の浦島が子のふるごとをこゝにひいて、むかしがたりあり。
網屋場(アジヤバ)といへる処に、義経の車にのりて、真くだりに磯にくだり給ひしふるあとあり。
はた、よしつねのこゝに船つながせ給ひし巌を、はなぐり岩とて猶あり。
山の名もしかり。
かくて野内の関のくいぬきに入て、せきて(関手)わたして越ぬ。
かみぬし柿崎なにがしがもとに休らふ。
あるじの云、乃南以(のない)とはもと蝦夷の辞にして、まことは鷲の尾の港といふ。
むかしこゝに、鷲の尾羽落したるためしもありてなど聞えき。
「人とはぬ太山の鷲も哀なり誰にむくひの羽おとすらん」
といふ歌のこゝろにも、かなひつらんかしとおもひ出て、ずんじ、風のいやたつに、
なれも来て身をやぬらさん鷲の尾のこはみなと風うしほふくなり