はしわのわかば はしわのわか葉
はしわのわか葉はしがき
このひとまきは、卯月のつきたちごろ、みちのくの大原の里新山(ニヒヤマ)川のあたりにて初桜を見、また鶴がね、亀がね、かまくら山なンどを見やり、あるは山吹ノ柵、大さくら、検断(ケムダム)桜を見、中尊寺の田楽祭、また、さるがう、また葉室中納言の処女(ミムスメ)を達谷麿(タカヤマロ)がぬすみしものがたり、土御門泰邦卿のこゝろ葉の詠歌(ウタ)、時鳥の物語リ、また配志和(ハシワ)の式社(ミヤシロ)、安日ノ社、また神星社のゆゑよし、また黒介(クロダスケ)といふ里の百歳(モゝトセ)の老妷(トシ)が物語、また石手(イハ)堰(ヰ)ノ式社(カミヤシロ)にもうでしなンど、水無月は小にしあれば、廿日まり九日という日、つゞき石とて座(マセ)る石神ノ式社(ミヤシロ)にまゐり、安倍ノ比羅夫、虫麿朝臣、黒麿朝臣のものがたりを聞キ、かくて河ノ辺に御祓せしまで、けふに書(カキ)をへたり。こは、つたなきものから、いまだ行見ぬ人しあらば、その分ケ見ん栞(タヨリ)ともならむかと、こゝにしるしおきぬ。
はしわのわかば
いにしやよひのころより花まちて此大原の里に在りて、(天明六年)卯月ノ朔/日、よべより雨のいやふりて、巳(ミ)ひとつばかり晴たり。
新山(ニヒヤマ)川とて渓河(タニカハ)あり、また、砂金とるてふ濁川なンどみなどよみ流れて、それにかけわたせる橋どもはみな落流れたれば道遠くめぐりて、人行なやみ語らひ彳(タゝズ)む。
きのふまでは見つる室根山の残雪(ノコムユキ)も、夜の間の雨にけちはてて今朝は見えず。
はや初夏(ナツ)のはつ空(ゾラ)ながら、はつ花桜の、はつかにも色なき梢どもを、ねたしとうち見やりて、
花の咲ころも経してぬぎかふるたもとは夏の名のみきぬらし
けふは此里に肆市(イチ)たちて、なにくれとものうりありくに、みちもさりあへず。
群れわたる人の中におしまじりて是を見ありくに、並ならぶ家の切垣の内に、紅梅の、けふを盛リと咲たり。
あき人の花に馴れたるよき衣(キヌ)もおはぬものとて今朝はかふらし
ニ日 近隣(チカドナリ)の家の中垣のあなたに、桜の一ト本ト生(タテ)るが、きのふよりふりたる雨にうるひて、下枝のみ咲初(ソメ)たり。
めづらしなけふは卯月のはつざくら暮(ク)れにし春の色をこそ見れ
近きあたりに行まくおもへど、けふは日はしたなればやみぬ。
三日 人にいざなはれて、此里に遠からぬ片山里にいたれば、軒近くやゝ萌出(ヅ)る麻苧(アサヲ)の畠に、うすはなだ色なる麻衣(アサギヌ)着(キ)たる老(オユ)の、枯(カレ)尾花を束ね持(モチ)て、それをひし/\とさしありく。
そは某(ナニ)の料にかしかせりと問へば、こは、麻生(アサフ)に虫のゐざる咒也といらふ。
山賤が短き裙の麻衣をばなの波を分る涼しさ
此畑中にさゝやかなる柴桜の咲たり、そを一枝といへば、老の折てくれたり。
ある家(ヤド)に入リてしばしとて休らひ、湯づけくひ肘を曲(マグ)レば時鳥鳴ぬ。
めづらしな折りえてうれし初桜聞えてうれしやまほとゝぎす
四日 童あまた、此地(コゝ)に云ふ紙鳶(テンバタ)と方言(イフ)ものを、この紙老子(シラウシ)の糸曳(イトヒキ)あひ、ひこしらふ。
時ならぬ風巾(イカノボリ)やとおもへば、雄鹿の嶋なンどは七月十三日を始とし、秋田の久保田は極月(シワス)の末を初めとし、三河ノ国ノ吉田は正月の末より始め五月の五日を止禁(ヲハリ)とし、五月五日を紙嶋節句(タコセク)といふ。
うるまの国(琉球)は、十月をはじめといふよし『琉球誌』に見えたり。
河岸(キシ)に大桜の咲たる根(モト)に此天幡(テンバタ)てふものゝ糸を引むすび、すまひなンどしてうち戯れあそぶ。
また桜に燕の囀るもいまだに春の心地す。
人々、花にうかれ酔(ヱヒ)ふしぬ。
うつばりのふるすわすれてつばくらめ夏と岩根の花に鳴なり
ついたちごろの月あか/\とさし出て、花を照す影水の面にうつるなレど、雁の鳴たり。
ふりあふぎ見れば、ひとつら、ふたつら月に横たふさま、風情ことなり。
皈る雁雲の通路分クるとも霞まぬ月の空は迷はじ
五日 芳賀慶明〔長左衛門といへる也〕が家(ヤド)に在れば、朝とく、けふ此花折て来(キ)しとて、朝露に身もそぼちて、物ならふ童の手毎のつとにせり。
あるじ、此山づとをうちまもらひをりけるが、筆をとりて、
たが為に咲のこりけむ桜花露おくふかき山に隠れて
と。見つゝおのれも、
こは花の真(マ)盛りにあらめ、いざ花見ありかむ。
樏子(ワリゴ)用意せよ、ふくべに酒つめよ、火繩わするなと云ひ捨て家(ヤ)を出て、鶴が嶺、亀が峯、鎌倉山(ヤマ)なンどいふ高根/\を遠方タにかぞへて、行/\て八幡ノ神社(ミヤシロ)あり。
ぬさとり奉れば花あり、まだ、なから咲たる桜もたちならびたり。
花の枝に卯月のいみをさしそへてまだ春風のにほふ神垣
慶明。
神垣に咲そふ花をみしめ繩かけて久しく神もみそなへ
こゝに行キかしこにうつりありきて、永き日もくら/″\に皈り来つれば小雨ふり出ぬ。