晴耕雨読    趣味と生活の覚書

  1953年秋田県生まれ。趣味は、山、本、音楽、PC、その他。硬化しつつある頭を柔軟にすべく、思いつくことをなんでも書いています。あわせて、江戸時代後期の紀行家菅江真澄の原文テキストを載せていきます。

はしわのわかば① 菅江真澄テキスト

はしわのわかば はしわのわか葉


   はしわのわか葉はしがき


このひとまきは、卯月のつきたちごろ、みちのくの大原の里新山(ニヒヤマ)川のあたりにて初桜を見、また鶴がね、亀がね、かまくら山なンどを見やり、あるは山吹ノ柵、大さくら、検断(ケムダム)桜を見、中尊寺の田楽祭、また、さるがう、また葉室中納言の処女(ミムスメ)を達谷麿(タカヤマロ)がぬすみしものがたり、土御門泰邦卿のこゝろ葉の詠歌(ウタ)、時鳥の物語リ、また配志和(ハシワ)の式社(ミヤシロ)、安日ノ社、また神星社のゆゑよし、また黒介(クロダスケ)といふ里の百歳(モゝトセ)の老妷(トシ)が物語、また石手(イハ)堰(ヰ)ノ式社(カミヤシロ)にもうでしなンど、水無月は小にしあれば、廿日まり九日という日、つゞき石とて座(マセ)る石神ノ式社(ミヤシロ)にまゐり、安倍ノ比羅夫、虫麿朝臣、黒麿朝臣のものがたりを聞キ、かくて河ノ辺に御祓せしまで、けふに書(カキ)をへたり。こは、つたなきものから、いまだ行見ぬ人しあらば、その分ケ見ん栞(タヨリ)ともならむかと、こゝにしるしおきぬ。


  天明八年戊申六月廿九日             菅江真澄


はしわのわかば

いにしやよひのころより花まちて此大原の里に在りて、(天明六年)卯月ノ朔/日、よべより雨のいやふりて、巳(ミ)ひとつばかり晴たり。

新山(ニヒヤマ)川とて渓河(タニカハ)あり、また、砂金とるてふ濁川なンどみなどよみ流れて、それにかけわたせる橋どもはみな落流れたれば道遠くめぐりて、人行なやみ語らひ彳(タゝズ)む。

きのふまでは見つる室根山の残雪(ノコムユキ)も、夜の間の雨にけちはてて今朝は見えず。

はや初夏(ナツ)のはつ空(ゾラ)ながら、はつ花桜の、はつかにも色なき梢どもを、ねたしとうち見やりて、


   花の咲ころも経してぬぎかふるたもとは夏の名のみきぬらし


けふは此里に肆市(イチ)たちて、なにくれとものうりありくに、みちもさりあへず。

群れわたる人の中におしまじりて是を見ありくに、並ならぶ家の切垣の内に、紅梅の、けふを盛リと咲たり。

 
   あき人の花に馴れたるよき衣(キヌ)もおはぬものとて今朝はかふらし


ニ日 近隣(チカドナリ)の家の中垣のあなたに、桜の一ト本ト生(タテ)るが、きのふよりふりたる雨にうるひて、下枝のみ咲初(ソメ)たり。


   めづらしなけふは卯月のはつざくら暮(ク)れにし春の色をこそ見れ


近きあたりに行まくおもへど、けふは日はしたなればやみぬ。


三日 人にいざなはれて、此里に遠からぬ片山里にいたれば、軒近くやゝ萌出(ヅ)る麻苧(アサヲ)の畠に、うすはなだ色なる麻衣(アサギヌ)着(キ)たる老(オユ)の、枯(カレ)尾花を束ね持(モチ)て、それをひし/\とさしありく。

そは某(ナニ)の料にかしかせりと問へば、こは、麻生(アサフ)に虫のゐざる咒也といらふ。


   山賤が短き裙の麻衣をばなの波を分る涼しさ

此畑中にさゝやかなる柴桜の咲たり、そを一枝といへば、老の折てくれたり。

ある家(ヤド)に入リてしばしとて休らひ、湯づけくひ肘を曲(マグ)レば時鳥鳴ぬ。


   めづらしな折りえてうれし初桜聞えてうれしやまほとゝぎす


四日 童あまた、此地(コゝ)に云ふ紙鳶(テンバタ)と方言(イフ)ものを、この紙老子(シラウシ)の糸曳(イトヒキ)あひ、ひこしらふ。

時ならぬ風巾(イカノボリ)やとおもへば、雄鹿の嶋なンどは七月十三日を始とし、秋田の久保田は極月(シワス)の末を初めとし、三河ノ国ノ吉田は正月の末より始め五月の五日を止禁(ヲハリ)とし、五月五日を紙嶋節句(タコセク)といふ。

うるまの国(琉球)は、十月をはじめといふよし『琉球誌』に見えたり。

河岸(キシ)に大桜の咲たる根(モト)に此天幡(テンバタ)てふものゝ糸を引むすび、すまひなンどしてうち戯れあそぶ。

また桜に燕の囀るもいまだに春の心地す。

人々、花にうかれ酔(ヱヒ)ふしぬ。

 

   うつばりのふるすわすれてつばくらめ夏と岩根の花に鳴なり

 

ついたちごろの月あか/\とさし出て、花を照す影水の面にうつるなレど、雁の鳴たり。

ふりあふぎ見れば、ひとつら、ふたつら月に横たふさま、風情ことなり。

 

   皈る雁雲の通路分クるとも霞まぬ月の空は迷はじ

 

かくて、タ月にみちもたどらで大原(東磐井郡大東町)に来る。


五日 芳賀慶明〔長左衛門といへる也〕が家(ヤド)に在れば、朝とく、けふ此花折て来(キ)しとて、朝露に身もそぼちて、物ならふ童の手毎のつとにせり。

あるじ、此山づとをうちまもらひをりけるが、筆をとりて、

 

   たが為に咲のこりけむ桜花露おくふかき山に隠れて

 

と。見つゝおのれも、

 

   浅香山なにあさからじこゝろざし色香もふかし花の家づと

 

こは花の真(マ)盛りにあらめ、いざ花見ありかむ。

樏子(ワリゴ)用意せよ、ふくべに酒つめよ、火繩わするなと云ひ捨て家(ヤ)を出て、鶴が嶺、亀が峯、鎌倉山(ヤマ)なンどいふ高根/\を遠方タにかぞへて、行/\て八幡ノ神社(ミヤシロ)あり。

ぬさとり奉れば花あり、まだ、なから咲たる桜もたちならびたり。

 

   花の枝に卯月のいみをさしそへてまだ春風のにほふ神垣

 

慶明。

 

   神垣に咲そふ花をみしめ繩かけて久しく神もみそなへ

 

こゝに行キかしこにうつりありきて、永き日もくら/″\に皈り来つれば小雨ふり出ぬ。