旅
小澤征爾さんが、亡くなった。 言うまでもなく、日本を代表するクラシック界の音楽家である。 若い頃から、クラシック音楽を愛好してきた私にとっては、身近な存在だった。 とは言っても、彼の演奏会に一回も行ったことはない。 私がクラシックのコンサート…
菅江真澄は、それほど知られている人ではない。 私の学校生活の中でも、彼の名や作品は教科書などでは扱われていなかった。 現在は、どうなのだろうか。 だから私は、二十代になって,菅江真澄の研究者である内田武志氏の新聞記事を読むまでは、その名を知ら…
近隣(チカドナリ)の翁の訪来(トイキ)て、都は花の真盛(マサカリ)ならむ、一とせ京都(ミヤコ)の春にあひて、嵐の山の花をきのふけふ見し事あり、何事も花のみやこ也とて去ぬ。 数多杵(アマタギネ)てふものして餅搗(モチツキ)ざわめきわたりぬ。 …
廿八日 毛越寺のふる蹟見なんとて田の畔づたひして、礎の跡なンどにいにしへをしのぶ。 廿八日 毛越寺の衆徒某二人、日吉(ヒエ)ノ山に登り戒檀ふみにとて旅立ければ、此法師たちに、故郷に書(フミ)たのむとて、 ふる里を夢にしのぶのすり衣おもひみだれ…
「是はもろこしのごかん(後漢)のめいてい(明帝)の御代に、かぶむと申ス老人にてさふらふ也」 と老翁(オヂ)、老嫗(ウバ)両人(フタリ)出(デ)て、己(オノ)がむすめの死(ミマカリ)し事をなげき、塚にをみなへし、おしこぐさの生たるを記念(カタミ)…
此事終(ハツ)れば、れいの優婆塞出(イデ)キて法螺を吹キ太鼓(ツヾミ)うてば、もろ/\の神供(ヒモロギ)をおろし、円居(マドヰ)しける衆徒(ホフシ)の前に居(スヱ)るをいなだき、神酒(ミキ)たうばりなンど、やゝ此直会(ナホライ)はてて、衆…
また康元、正嘉のころならむ、相模守時頼、最明寺して落飾(スケシ)たまひて、法ノ名を覚了房道崇と号(ナノリ)て国々めぐり給ひ、こゝにもしばし杖を曳(ヒキ)とめられしといふ庵の跡あり。 また舞鶴(マヒヅル)が池も雪に翅(ツバサ)のふり埋れ、梵字…
四月(ウヅキ)ノ初午ノ日は白山神の祭にて、七歳男子(ナナツゴ)を馬に乗(ノセ)て粧ひたて、白兎(シロウサギ)の作り物あり。 此白兎は従者(スンザ)にてもろこしより神のぐし給ひしまねびといへり。 此処(コゝ)に斎奉(イツキマツ)る白山ノ神霊(…
最寄駅である東武野田線の新柏駅前に、新築マンションが建築中である。 そのチラシを見ていたのだが、8階建114戸で完成は2025年3月となっている。 東武鉄道と大和ハウス工業のコラボレーション・プロジェクトである、とチラシには書いてある。 完成はまだ、…
二十日 けふは磐井ノ郡平泉ノ郷(サト)なる常行堂に摩多羅神の祭見ンとて、宿の良道なンどにいざなはれて徳岡の上野を出て、はや外(ト)は春めきたりなンど語らひもて行ク。 遠かたの田ノ面の雪の中にこゝらたてならべたる鶴形(ツルガタ)は、まことにあ…
白粉(シロイモ)の、さはにあらねば、近き世には山より白土(シラツチ)を掘り来(キ)て、三四日(ミカヨカ)も前日(サキツヒ)より、花白物(オシロイ)よ/\と肆(イチ)にうりもてありくを買ひ、水に解(トカシ)たくはひおきて是を塗(ヌ)る也。 む…
十二日 つとめて、小雪ふりていと寒し。 午うち過るころより若男等(ワカヲラ)あまた、肩(カタ)と腰とに「けんだい」とて、稲藁(ワラ)もて編(アメ)る蓑衣(ミノ)の如なるものを着(キ)て藁笠(ワラガサ)をかヾふり、さゝやかなる鳴子いくつも胸(ム…
夕づゝのかゆきかくゆきゆきくさまくら旅にしあればそことさだめず 雲ばなれ遠き国方(クニベ)にさそらへありき、ことしもくれて、みちのくの胆沢(イサワ)ノ郡駒形(コマガタ)ノ荘(サウ)ころもが関のこなた、徳岡(トクオカ)(胆沢郡胆沢村)という里…
これは、私の日本の歴史の勉強のための覚書です。調べたこと、考えたことを書きとめてます。 令制国というものに興味があって、気が向けば調べたりしています。 近所の市立図書館分館で、久しぶりに本を借りた。 「事典 日本古代の道と駅」という書籍だが、…
広島でのG7に参加する各国の首脳が、原爆資料館を見学したというニュースを見た。 それぞれが、さまざまな思いを持って、見たことだろう。 私も、若い時に広島の原爆資料館に行った。 夏休みの2ヶ月間のアルバイトを終えた後の旅行だったから、9月になってい…
廿八日 あるじにいざなはれて、阿部(安倍)のふる館のあと見にとて行ぬ。 加志といふ処に、黒沢尻四郎政任のありしいにしへを偲ぶ。 北上河をへだてて、国見山のいとよく見やられたり。 国見てふ名はところ/″\に聞えたり。 神武の帝八十梟を国見丘に撃給ふ…
十日大瀬河(石鳥谷町)といふに土橋かけたるを渡る。 この流は藤原朝臣盛方の、 「ほどもなくながれぞとまる逢瀬河かはるこゝろやゐせきなるらん」 とながめ給ひしは、これと、もはらいへり。 八幡(ヤハタ)(石鳥谷町)を過て宮部(花巻市)をくれば、花巻とい…
これは、私の日本の歴史の勉強のための覚書です。調べたこと、考えたことを書きとめてます。 令制国というものに興味があって、気が向けば調べたりしています。 ひさしぶりに、車で遠出をした。 行き先は、いろいろ考えたのだが、房総半島にした。 ゴールデ…
八日つとめて寺林(岩手郡玉山村)、河口(岩手町)をへて、巻堀(玉山村)といふ村に斎ふ金勢大明神といふかん籬あり。 こは名にたかふ、石の雄元の形あまた祠にをさめたるはいかにととふに、近きころ盗人とりうせたるを、もとめいだし奉りてのちは、此里のこと処…
五日 とのしらみゆけば、女戸おし明て、こは水霜〔露をしかいふなり〕しろ霜まじりふりたりとて、真柴折くべ物にるにあたりて、出たつよそひす。 けふは末の松山見にいかんとおもひて、とく/\と出ぬ。 梨木坂のこなたよりは二戸郡といへり。 保登(戸)沢…
二日 朝たつ。 をりしも恵音ほつし(法師)、とよりさしのぞき、又いつかなどいへるに、 昨日来てけふの細布たちさらばむねのひがたき別ならまし とて、やを出て、小豆沢村(鹿角郡八幡平村)になれば、いかめしき大日如来の堂あり。 そのゆへは、そのかみ田…
鶴田村(花輪町)の辺になみだ河といふめるは、あはぬ夜毎/\を根み、ながるゝなみだの顔をあらひたるより川の名におへりとも、又いつまで世にすみありつとも、あがおもふ女を見ることこそかたからめとや思ひけん、深き林に入て此男くびれ死けり。 又、その…
天明五年(一七五八)の秋、つがろじをへて南陪の鹿角郡になりて錦木のむかしを尋ね、岩手郡、和賀郡を過て仙台路にかゝり、江刺郡に片岡邑に宿りたるまでをかいのせたり。 其言葉みじかういひもたらされば、《けふのせはのゝ》と名づく。 (天明五年―一七八…
津軽から矢立峠を越えて、秋田藩に入り大館の街を通り、山中の沢尻という宿で、「そとがはまかぜ」の日記は終わっている。 大館は、私の郷里であるが、天明5年(1785年)というから250年も前に、菅江真澄が通り過ぎたと思うと、感慨深いものがある。 大館は、…
廿二日 あさとく、せきて(関手形)わたして越たり。 このあたりの郡はいかにととへど、しらじ、たヾ白河庄とのみいらふ。 みちの左右に白糸滝、登滝、無音滝、日暮し滝、二見滝、折橋の番処を右の沢へおりて温泉あり、鬼湯なり、大人の入湯の故事。 銀山あ…
十六日 あるじ行徳の云、みちのこゝろは露も思ひはなれずよなど、まめやがに聞えて、 立帰る雲措は遠く隔ともこゝろを渡せ天のうきはし 寄るなみのたち帰るも絶ずたゞ三河の水の音信てまし となんありける、ふたくさの返し。 雲井路をたちへだつとも忘れずよ…
私の手元にある「菅江真澄全集」は、1981年に「未来社」が刊行したもので、第三刷である。 しかし、第一刷は1971年に出ている。 奥付を見ると、第一巻の定価は6500円であり、全巻十四巻を揃えるといい金額になった。 菅江真澄は、それほど知られた人物ではな…
十二日 川ひとつわたりて百田邑(弘前市)を過て、名によぶ津軽野に出たり。 いまはつがのといひ、村あり、つが野邑といへり。 「みちのくのつがろの野辺の萩盛こやにしき木をたつるなるらん」 大久保(以下弘前市)、撫牛、堅田、和徳、広崎(弘前)の里に…
八日 又牛島に至り川におりたち、こなたかなたとあさせもとむれど、水とふかければ身もうき、足もながれ、すべなければ岸辺にあがり休らふを旅人二人来て、われ、さいだちて瀬ふみしてん、つゞきたまヘ。 たか石をふんであまち侍るな、流に隋ひてわたりてよ…
柏市の図書館本館に行く機会があったので、「鳥瞰図」を見てきた。 何ヶ月前かに、このブログに、「千葉県市街鳥瞰図」というのが蔵書としてあることを書いた。 この地図セットは、冊子ではなく、大小様々な大きさの地図を復刻したもので、折り畳んでA4ほど…