晴耕雨読    趣味と生活の覚書

  1953年秋田県生まれ。趣味は、山、本、音楽、PC、その他。硬化しつつある頭を柔軟にすべく、思いつくことをなんでも書いています。あわせて、江戸時代後期の紀行家菅江真澄の原文テキストを載せていきます。

月日の流れを知る

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十月桜

毎月中旬の頃に、妻の母の入院している病院に行く。

入院費を支払うためである。

妻がいっしょの時もあるし、妻が仕事で出てる時は私一人である。

病院から書類が届くと、また一ヶ月経ってしまったのだなと、思う。

昨年の初めに、コロナ禍になって面会中止になるまでは、毎日面会に行っていた。

歩いて5分とかからないので、午後の面会時間に合わせて出かけていた。

仕事のない自由の身なので、それが日課だった。

それが、昨年の2月から、こんなに近いのに病院へ行くことがなくなった。

 

病院からは特に、患者の様子などを知らせてくれることはない。

何も連絡がなければ、特に何事もない、ということだと思う。

こちらから、ナースセンターに連絡すれば、患者の様子を教えてはくれるだろう。

それも、迷惑かなと思うと、なかなか連絡もできない。

これが、介護施設であれば、また違う対応かもしれない。

病院である以上、やれることは限られているのだろう

入院患者を持つ家族は、みんな同じ状況なのだ、と思う。

 

北千住で一人暮らししていた妻の母が、倒れて救急入院したのが、一昨年の夏だった。

容体が安定したということで、我が家の近くの病院に転院した。

考えてみると、88歳の誕生日の一ヶ月くらい前だった。

会話もできなくなっていて、誕生日どころではなかった。

そして、半年くらいで、コロナ騒動である。

面会もできなくなった。

今年の誕生日で、90歳になったはずである。

もう、一年半も面会できていない。

90歳って、すごいよね。

旦那さんは、もう30年も前に亡くなっている。

 

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支払いを終わって、病院を出た。

買い物をして帰ろうと、団地のマーケットに向かう。

病院の隣に公園があって、その一角に、十月桜が咲いていた。

春の桜は、せいぜい咲いているのは、2週間くらいのものだと思うが、十月桜はずっと咲いている気がする。

今が満開なのかなと思うが、一輪、二輪と咲き始めたのは、もう一ヶ月以上前だった気がする。

でも、長く咲いているのは、なんかうれしい。

そういえば、私の母が入院していた時も、この桜が見える南向きの部屋にいたことがあった。

何年前に、なるだろう。

 

桜の木の下のベンチに、老夫婦が座っていた。

今日は私一人だけど、私と妻も老夫婦なんだな。

あらためて、そう思った。

 

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後ろに病院が

 

 

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流山もホームタウンということになるかな

「出没 アドマチック天国」が、「千葉 流山」だった。

私にとっては、身近な街だったので見入ってしまった。

番組で取り上げられた20ヶ所は、次のとおりだ。

1 森 2 白みりん 3 おおたかの森S・C  4 流山本町 

5 うなぎ 6 近藤勇 陣屋跡 7 レタンプリュス 8 お得なショッピング 

9 流鉄 流山線 10 オステリア シャーラ 11 小菅 製パン 12 すず季 

13 赤城神社 14 有機農家 吉田篤 15 Kiriya  16 流山キッズ急増中 

17 鷹の庵 18 和食すずき 19 切り絵行灯 20 千葉の二子玉川

取り上げられた20ヶ所のうち、私が知ってたり、行ったことのあるのは、半分くらいだった。

まったく聞いたこともないものもあった。

 

流山は、どこが街の中心部か分かりにくい街である。

古い街並みが残っている流山街道は、松戸から野田へ行く途中である。

そして、江戸川の流山の河岸はそのあたりにある。

東武鉄道野田線の沿線もあり、流山おおたかの森駅初石駅江戸川台駅、運河駅である。

北部には、利根運河があり野田市との境である。

つくばエクスプレスによってできた「流山おおたかの森」は、新しい街並みである。

 

私の住む所は柏市であるが、流山市松戸市との境界に近い。

流山市は3、4分、松戸市は10分も歩けば行くことができる。

我が家の子どもたちが通った小学校は、柏市の学校であるが、学校の住所は流山市である。

そんなことがあるのかと思ったが、現実にあるのだ。

向小金という地名なのだが、従前は向小金新田だったのが、新田が取れたものだ。

通常は、新田開発した村の名前に新田をつけるので、向小金村が開発したものだろう。

しかし、近隣に小金村はあったが、向小金村は見あたらない。

明治22年の町村制施行の際に、なぜか向小金は小金町ではなく、八木村とされている。

八木村は、その後市町村合併によって、江戸川町、流山町を経て、流山市になっている。

小金町は、いったん市町村合併によって柏市の前身である東葛市となるが、その後合併を取り消し、松戸市編入している。

しかしその際に、光ヶ丘、光ヶ丘団地だけは、柏市に残った。

合併にあたって分裂してしまって、結果的に飛び地ができるなんてことも、あったようだ。

市町村合併について調べると、こんなおもしろい話がいろんなところで出てくる。

 

3月頃に、流山市の中央図書館まで歩いたが、1時間半くらいだった。

そこは、流山街道沿いで、しかも江戸川に近く、流山市役所も近くにある。

もっと近く、30分くらいで歩くと、「森の図書館」もある。

どうして、こんなに境界が入り組んでいるのか、不思議である。

あまりにも、流山市との境界が近いので、普段はほとんど気にしていない。

 

この番組で、江戸の味は、野田の醤油と流山の味醂でできていた、と言ってた。

私は、江戸川の土手を自転車で、何回か北上した。

流山の「万上みりん」の工場も、野田のキッコーマンの醤油工場も、たしかに江戸川の土手のすぐ近くにあった。

かつては、江戸川の船に味醂も醤油も積み込んで、運んでいたのだろう。

 

流山は、この数年「住みたい街ランキング」の上位にあるらしい。

最近は、「子育てにいい街ランキング」の第1位なのだそうだ。

地味めな街だった流山が、変わったのはやはり「つくばエクスプレス」の開通が大きいだろう。

それまで、流鉄流山線というローカル鉄道と東武鉄道野田線に頼っていたのが、都心と直結することになった。

2005年のつくばエクスプレスの開通によって、流山市には、「南流山駅」、「流山セントラルパーク駅」、「流山おおたかの森駅」が誕生した。

なかでも、東武鉄道野田線との乗り換え駅である「流山おおたかの森駅」周辺には、モールなどの商業施設や、高層マンションなどが次々に建設されている。

駅名にある「おおたか」は、絶滅危惧種である「オオタカ」が近くの「市野谷の森」に生息することから命名されたものだ。

20年以上前に、私は何回か駅の近辺に行ったことがあるはずだったが、うっそうとした森があったあたりは、今はどのあたりになるのか、まったくわからない。

新しい道ができて、新しい街ができて、別世界になってしまっている。

 

 

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AM放送はなくなるのか

何ヶ月か前に、「AM放送の団体がAM電波による放送を停止することを申請した。」というような記事を見た。

その時は、あまり詳細は知らず、見出しを見ただけだった。

きっと、音質の良いFM電波に切り替えるのかな、と思っていた。

後日、車で走っていてTBSラジオの「伊集院光とラジオと」という番組を、聞いていた。

自宅に帰ったのだが、番組の続きが聴きたくなった。

我が家には、AMラジオが聴けるラジオというものはない。

AVアンプで、FMなら聴けるかもしれないが、AMも聴けたかな。

インターネットラジオで、radikoというアプリがあったことを、思い出した。

探したら、他にもAMを聴けるアプリはあった。

さっそく、スマホにダウンロードしてみた。

ラジオ番組の続きを、聞くことができた。

 

放送の初めに、FM電波とAM電波の案内をしているようだった。

どうも、すでにFM電波でも、AM電波と同じ放送をしているのか。

調べてみたら、次のことがわかった。

AM放送の別名が、「中波放送」であること。

AM放送と同じものが、すでに難聴対策や災害対策として、2014年からFM電波で放送されていること。

日本民間放送連盟は、2028年をめどに、FM放送への転換を目指すと発表したこと。

つまり、AM電波での放送を停止しようとしていること。

2028年以降も、AM放送を続けるのは、北海道のHBCラジオSTVラジオ秋田県のABS秋田放送の3局で、既存の放送エリアをほぼカバーするための設備投資に多額の費用を要することを理由としている。

そういうわけで、たぶんAM放送がまったく無くなることにはならないけれど、ほぼ無くなってしまう。

 

AM放送の利点は電波が遠くまで届くことであり、弱点はノイズが多く音質が悪いことだろう。

私も、高校時代はAM放送も聴いていたが、音質の良いFM放送の録音を主にやるようになってからは、ほとんどAM放送を聴かなくなっている。

高校時代に聴いていたが番組で、よく覚えているのは、まだラジオDJだった「みのもんた」さんがやっていた「オールジャパントップ20」である。

洋楽にとても興味があるころだったので、私とっては音楽情報を得る貴重な番組だったのだと思う。

音質がどうのより、情報が大事だったのだろう。

この番組は、文化放送が制作のものだったらしいが、調べてみたらすごい番組である。

放送期間が、1962年から2006年である。

私が聴いていた、みのもんたさんは3代目パーソナリティで、1970年から1976年までやってたらしい。

歴代パーソナリティは、小島正雄、土屋恵、みのもんたせんだみつおばんばひろふみ、梶原茂、川島なお美八木誠小林克也八木誠である。

 

FM電波は、別名が「超短波」というらしいが、なんといっても電波の到達する距離が短い。

そのために、中継局を多く建設する必要がある。

しかし、ノイズに強いことや、高音質のために音楽番組が放送されることが多く、多重技術を利用して、ステレオ放送や、文字放送など様々な放送を実施できる。

radikoのように、インターネットラジオのアプリはいろいろ利用することができる。

スマホアプリは、あくまでも電話回線とインターネットを利用したものなので、災害時などに使えなくなる可能性は高い。

AM放送は、一方向の情報であり、弱点の多い手段である。

しかしながら、いったんAM電波が停止してしまったら、当然AM受信機は作られなくなり、消えてしまうだろう。

ほんとにそれでいいのか、悩ましい問題である。

 

 

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坂川支流の富士川を下る

このところ、あまり歩いていない。

今日は、朝から青空も見えていたので、どこか出かけることにした。

2、3ヶ月前に、坂川の支流である富士川をさかのぼるということをやった。

今日は、富士川を下って、坂川と合流するところまで行ってみようと思う。

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光ヶ丘消防署前を通る

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麗澤大学生涯学習センター

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ひろいけの道

廣池学園の道を行く。

右手が麗澤大学、左手に学園本部、麗沢高校、麗沢中学校、麗澤幼稚園がある。

いつもの、富士川の支流である向小金の森に向かう。

いろいろ調べたが、川の流れの名前がわからない。

地図を見ると、廣池学園第四グランドで流れが消えている。

グランドのまわりは、緑の森なのでそこが水源なのだろう。

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廣池学園第四グランド

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向小金の森

県道の下にトンネルがあり、そこから支流は始まる。

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支流の始まりのトンネル

いつ来ても、気持ちのいい流れだ。

小さな流れであるが、年中枯れることがない。

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流れの反対側には、学園の乗馬クラブの馬場がある。

今日は、サラブレッド2頭である。

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流れに沿って、歩いて行く。

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前方に、ゴルフコースが見えてくる。

学園のゴルフクラブ用なのだろうが、一般の人も利用できるらしい。

私はゴルフの趣味はないので、利用したことはない。

キャンパス内に、自前のゴルフコースのある学校はあまりないだろうな。

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バンカーもある

進んでいくと、藪の中に流れは消える。

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車道に戻って、流れが現れるところに行く。

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学園を振り返ると、鬱蒼とした森だ

この先で、流れは富士川に合流するはずだが、そのあたりに近づくことはできないようだ。
富士川を渡る橋の方に、歩いて行く。

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富士川上流は、うっそうとしている

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富士川下流は、コンクリートの護岸である

富士川は、ウィキペディアの記事によれば、一級水系利根川一級河川である。

一級河川は、国が管理を行う河川で14062あり、都道府県が管理を行う二級河川7082よりも多い。

富士川」という名称は、どのような由来があるのかは調べた限りでは、わからなかった。

川の近隣に「富士」に近いような地名はないように思われる。

ただ、富士川が坂川に合流する地点から、坂川を600メートルほど遡った所に、「富士見橋」がある。

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県道261号線に出ると、根木内城址橋があり、これを越えると根木内城址公園の脇を流れ、河川管理用の歩道を歩くことができる。

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進んでいくと、前方に国道6号線が見える。

流れは、国道下のトンネルへ、隣に歩行者自転車用のトンネルがある。

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富士川国道6号の下を流れる

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歩行者自転車用トンネル

国道6号を越えると、富士川は車道脇を流れる細い水路になる。

用水路という趣である。

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車道を300メートルほど進むと、今度はJR常磐線にぶつかる。
やっと、車1台通れるようなトンネルがある。

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JR常磐線を越える

トンネルをすぎると、それまでは住宅に囲まれていたのが、まわりの風景が変わる。

緑が多くなって、農村の雰囲気である。

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仲田橋というのが見えてきた。

その手前で、平賀川と合流する。

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平賀川合流地点

一見、滝のように見えるが、自然の岩ではなく、コンクリートの護岸のようなところから流れ落ちているのだろう。

正確には、この合流地点から上流は「上富士川」であり、ここから下流が「富士川ということになる。

この川は、柏市松戸市流山市の境界付近を流域としている。

松戸市小金原と柏市酒井根の境界にある「大清水湧水」を源にして、北上している。

水源の標高は20メートルであり、標高は5メートルほどの坂川との合流地点まで3.7km流れている。

この流域は、柏の酒井根、流山の前ヶ崎、松戸の小金原、平賀などの台地に挟まれた低湿地であり、古くから水害に悩まされてきたらしい。

これを解決するために、近年まで護岸工事が行われたようだ。

 

仲田橋から下流富士川は、護岸も緩やかな傾斜の自然土手であり、両側に遊歩道もある。

土手の外側は、畑や田んぼそして農家があって、農村風景である。

いったい、どこの田舎に迷い込んだのだろう、と思ってしまった。

自宅から1時間ほどで、こんな風景があるとは知らなかった。

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鯉もいる

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亀の甲羅干し発見 中央部

土手を歩いていると、買い物帰りの主婦の自転車が通り過ぎたりする。

北小金あたりまで行くのだろうか。

今日の天気なら、自転車も気持ちいいだろう。

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土手を歩いて気がついたのだが、西側の土手の外はほとんど畑で、向こう側の東の土手の外は田んぼが多い。

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栗林にイガの山

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まだこれからのネギ畑

正面に、大きな建物が見えてきた。

流山運転免許センターだけど、何年前にできたんだっけ。

かつては、千葉市郊外まで出かけて、1日仕事だったなあ。

その後、幕張に免許センターできて少し近くなった。

今は、30分くらいで来れる。

 

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ついに、坂川との合流地点に到着した。

このあたりは、コンクリート護岸になっている。

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上が坂川、下が富士川

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坂川上流

「坂川」は、流山市野々下を源流として、松戸市市川市の境の国府台近くで、江戸川の合流する、延長16kmの川である。

逆川」という別名があるらしい。

逆流する川ということだろうか。

確かに、富士川の合流地点で標高は5メートルくらいしかなさそうなので、ほとんど標高差のないところを、10km以上も流れるのだから、無理がありそうだ。

人の手を加えなければ、なんともならないだろう。

 

ひと休みして、帰り道は東側の土手を歩く。

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流山側の土手

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幼稚園があった いいところにあるなあ

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せせらぎの音が聴こえた

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稲刈りの終わった田んぼ

平賀川の合流まで戻ったので、角度を変えて写真を撮ってみた。

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平賀川が流れ込む

さらに歩いて、根木内城址公園である。

先程、対岸から稲干の稲架らしきものが見えた。

近くに、行ってみる。

たしか、観察用の田んぼがあった気がする。

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シンプルな一段掛けの稲架

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根木内城址公園の田んぼ

 

山と川で育った私にとって、遊び場は渓流だった。

山から駆け降りてきた、冷たくてきれいな水、川底は石っころで深くはない。

このあたりの川は、まったく別物である。

川底は、泥だし、子どもが水遊びできるところではない。

それでも、水の近くに行くだけで、気持ちがいい。

そして、緑があればそれで満足である。

 

 

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50年の時の流れが変えたもの

たぶん来年の春で、秋田から首都圏に出てきて50年になる。

その頃、方法は鉄道を使うしかなかった。

国鉄の夜間急行「津軽」である。

急行「津軽」は、青森を出発し、奥羽本線を経由し、14時間かけて上野に着いた。

暗くなってから大館で乗車して、福島あたりで東北本線に入っていたが、秋田、山形を通っていたはずだが、夜中だったのでほとんど風景の記憶はない。

東北新幹線が完成するまで、何度この夜間急行「津軽」に乗ったことだろうか。

 

東北新幹線の大宮ー盛岡間が開通したのは、昭和57年(1982年)で、上野ー盛岡間となったのは昭和59年(1984年)である。

さらに、盛岡ー新青森間が完成して、全線開通したのは平成22年(2010年)のことである。

その後、秋田新幹線山形新幹線の完成によって、1993年には急行「津軽」はなくなってしまう。

現在、急行「つがる」は、青森ー秋田間の急行として残っている。

新幹線によって、上野ー盛岡間は3時間ほどに短縮された。

妻と長男次男、それに妻の両親を連れて、大館の姉のところに行ったことがある。

1990年頃のことであるが、盛岡までは3時間で行けたが、盛岡ー大館間は花輪線というローカル線なので、やはり3時間かかった。

しかも、夏だったのに冷房がついてなかった。

かなり、遠い旅行だった。

 

昭和62年(1987年)には、東北自動車道が全線開通した。

家族みんなが、ゆったり乗れる大きめの車に買い替えていたので、何回か姉の家に遊びに行った。

姉は、生まれ育った村の隣村に嫁いでいたので、山や川や田んぼがすぐ近くにあった。

東北自動車道は、当初は岩槻ICから入ったので、岩槻までは国道16号でけっこう大変だった。

そのうちに、常磐自動車道磐越自動車道が開通すると、そちらを使うようになった。

距離の短縮にはならないが、一般道が短いので走りやすかった。

柏IC〜いわきIC〜郡山IC〜盛岡IC〜小坂ICという具合である。

自動車道の総距離は700km弱なので、朝早く出て休憩とりながら、夕方に大館到着だった。

自動車道の出口は、十和田ICを使っていたが、そのうちにもっと使い易い小坂ICが使えるようになった。

 

高速道路ができたことで、「高速夜行バス」というものが使えるようになった。

秋北バス」という秋田県北部のローカルバス会社が運営していて、夜遅く池袋を出発して、朝早く大館に到着する。

高速夜行バスの利点は、自分で車を運転しなくてもいい、新幹線に比べて料金が安いことである。

しかし、欠点は眠るのが難しいことである。

今は、席も三列なので隣の席と離れていて、リクライニングにはなっているが、ぐっすりは眠れない。

二度ほど、家族で利用したが、家族には不評だった。

もう、乗りたくない、と言っている。

 

昨年2月、秋田に帰郷した。

その時は、私一人だったので、高速夜行バスで行った。

私も、眠れないことが多いが、乗り換えがないのは便利である。

母の一番上の姉の葬儀のための帰郷だった。

父と母の兄弟姉妹は、いなくなってしまった。

父は七人、母は五人の兄弟姉妹だったので、従兄弟と従姉妹は何人かいる。

あとは、幼なじみである同級生たちがいる。

それにしても、これからは、なかなか帰る機会はないかもしれない。

 

現在は、選択できる手段がもう一つあって、旅客機である。

秋田県には、秋田空港が1961年に開港している。

日本海に面する秋田平野に位置していたが、冬になるとよこかぜの影響を受けるなどの問題があり、1981年に、秋田市中心部から南東20kmの丘陵部に移転している。

秋田空港は、秋田県の中央部にあるので、県北部からは山岳地帯が間にあるのでアクセスがむずかしかった。

そこで、平成10年(1998年)秋田県北部の鷹巣盆地中央に、地方管理空港として大館能代空港(秋田北空港)が開港した。

羽田空港から秋田北空港まで、70分である。

空港からは、大館市まで車で25分ほどで、アクセスは申し分ない。

しかし、私はまだ利用したことがない。

運賃を調べてみると、新幹線で盛岡経由で帰るよりも、割安であるように思えるので、機会があれば利用したいとは思うが、なかなかチャンスがない。

 

50年前の夜間急行しか手段がなかった時代を考えると、今はそれぞれの状況に応じて選択することができる。

日本列島は、なんと狭いものになったのだろうか。

 

 

 

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国名について調べてみた⑩ 令制国の終焉

これは、私の日本の歴史の勉強のための覚書です。調べたこと、考えたことを書きとめてます。 令制国というものに興味があって、気が向けば調べたりしています。

 

時代劇の映画やテレビドラマを観ていて、ずっと不思議に思っていたことがあった。

大名や旗本が登場するときの「名乗り」である。

「○□の守」とか「△◎の介」というやつである。

○□や△◎のところに、令制国名が入る。

どう考えても、その国名とはまったく関係なさそうな人物が名乗るのだ。

守や介は、律令制度の国司の職名である。

守は任地に赴任しない遙任が多く、介が実質的な長官だったらしい。

任地の国府にある国衙で勤務するべきものだったのだが、室町時代には国衙は消滅してしまったらしい。

鎌倉幕府が配置した地頭や、室町幕府が配置した守護が国司の権限を奪っていって、令制国は事実上崩壊したのだと思う。

令制国は、なくなってしまったのに、国司の任命は形式的に存続した。

国司は、朝廷が任命するものなので、国司職を求めて朝廷に献金をすることが行われた。

戦国時代には武将が勝手に国司を自称する、僭称というのもあったらしい。

織田信長は、上総守を自称していたらしいが、なぜ上総だったのだろうか。

上総国は、親王任国であり親王だけが任命されることになっていた三国の一つであり、格付けの高い国だったことからくるのだろうか。

私の郷里である秋田に関わる「秋田城介」を名乗るのを、何かのドラマで見た記憶があるのだが誰だったか思い出せない。

秋田国という令制国はないので、秋田城は出羽国の前線基地だったのだと思う。

だから、守ではなく介なのかも知れない。

秋田城介について、調べてみた。

鎌倉時代には、幕府の有力な御家人安達氏の一族が任命されている。

天正3年(1575年)には、織田信長の嫡男信忠が秋田城介に任命されているが、信長の全国統一のための戦略の一環だったのだろうとみられているということなので、「秋田城介」という職名が武家にとってそのような意味のあるものだったのだろう。

 

慶応3年(1867年)、王政復古の大号令が発せられた。

なんと、幕府の廃止だけではなく、摂関政治の廃止し、律令時代に戻すことになったのだ。

役所の名称は、律令時代にならって、「○○省」となり、役所の長は「卿」であり、次官は「大輔」、「小輔」である。

太政官制度が導入され、太政大臣、右大臣、左大臣となった。

令制国制度についても、手直しが行われた。

明治元年(1869年)、戊辰戦争に敗戦した奥羽列藩同盟諸藩に対する処分として、陸奥(むつ)国を、磐城国岩代国、陸前(りくぜん)国、陸中(りくちゅう)国、陸奥(りくおう)国の五国に、出羽国を、羽前国羽後国の二国に分割した。

しかし、この時点で令制国は実態のないものであり、どうしてこれが処分になるか疑問である。

さらに、箱館戦争終結後に、和人地および蝦夷地に北海道11国を新設して、五畿七道から五畿八道となった。

令制国の国数は、それまでの66国から88国になった。

 

明治4年(1971年)、明治政府によって廃藩置県が行われた。

300近い藩が、中央管下の府と県に一元化された。

令制国は、そのほとんどが大小様々な藩に分割されていた。

藩は、そのまま県に置き換えられたので、300近くの県ができたのだ。

その後、統合、編入、境界変更などを繰り返して、明治9年位には3府35県と最小の府県数になる。

しかし、さまざまな問題から分割し、明治21年には現在の都道府県に近い3府43県1庁となっている。

結果としては、令制国と同じ名称の都道府県はない。

また、通常は藩の城下町の名を県名としたが、必ずしも一律ではなく郡名を県名にされた場合もある。

そこで、戊辰戦争での「逆順」によって、県名の命名が政治的意思によってなされたもではないかという説が生まれる余地があった。

 

令制国自体は、法的に廃止されたり使用を禁止されたわけではないが、国司は任命されず実質的な意味を失っている。

しかし、現在でもさまざまなところで、令制国名は使われている。

市町村名や自動車のナンバープレート、鉄道の駅名、銀行名などの会社名など、使われている例は多い。

市町村名の場合は、茨城県常陸太田市群馬県太田市のように、後から誕生した市町村が同名の市町村と区別できるように旧国名を使用している。

これからも、完全に消えることはないかもしれない。

 

 

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住み心地の良い場所

若かったころ、将来退職して自由になったら、どんな所に住んだら良いかなと考えたことがある。

幼い息子3人の子育てに忙しかった頃のことで、退職ははるか遠い未来の話だった。

今まで旅行で行った所、テレビなどで知った所、もちろん今まで住んだことのある所などを考えてみた。

私は、ずいぶんと引っ越しをしてきていて、住んだ所を数えてみると10カ所だった。

生まれ育った秋田で3カ所、学生時代の横浜で2カ所、勤めてからの千葉で5カ所である。

 

私が生まれ育った村は、西と東を山で囲まれて、村の中央を北から南に川が流れていた。

「山と川」というと、何かの合言葉のようだが、私にとっての故郷のキーワードなのである。

同じ秋田育ちの漫画家矢口高雄先生の著書に、「ボクの学校は山と川」がある。

田舎で育ったら、同じような感じなんだな。

この著書のまえがきで、少年時代のボクは、マンガ少年、釣りキチ少年、昆虫少年の三つの顔があったと書いている。

これが、「釣りキチ三平」につながってるんだな。

 

学生時代の4年間は、横浜に住んでいた。

渋谷と横浜を結ぶ東急東横線の日吉に1年、綱島に3年である。

綱島がかつては、綱島温泉として東京の奥座敷と言われたらしいということは、以前にこのブログにも書いた。

住居から歩いて3分ほどで、鶴見川の土手に出ることができた。

河川敷もあるので、歩いていて気持ちよかった。

その頃は、ランニングやサイクリングの趣味はなかったので、それほど頻繁に歩いてなかった。

今になって、良い所だったな、と思っている。

土手を下流に下れば、鶴見で東京湾に出る。

上流へ行けば、途中で支流が合流を繰り返している。

地図を見ると、なかなか面白そうな具合に蛇行している。

綱島」という地名は、「つらなりしま」から来ていて、鶴見川と早渕川に挟まれていて、その中洲や中の島だったらしい。

そういえば、綱島駅の近くには「綱島公園」という小高い山があった。

この辺りは、標高3、4メートル程度の低地であるのに、この公園は30メートルを越えている。

 

就職してからは、千葉県北西部の「東葛飾」に住んでいる。

妻の実家が、船橋から九十九里浜に近い山武町に転居した。

妻の母と弟が住んでいたので、10年以上通った。

山武町(現在山武市)は、九十九里浜に出るまで車で30分以上かかった。

5キロほど行った成東で下総台地が落ち込んで、あとは標高5メートル以下の低地が、九十九里浜まで10キロ近く続くのだ。

水田が続くなだらかな風景だが、もしも巨大な津波が来たらと思うと、それほど高くはない防波堤頼みである。

海が近いといっても、歩いて海に出れるわけではない。

 

山武町を拠点に、家族で房総半島によく出かけた。

九十九里浜一宮町で終わると、何カ所か小規模な砂浜はあるが、多くは磯浜海岸である。

千葉県北部のなだらかな下総台地とは、まったく違う房総丘陵の山が海に迫っている。

山があって、海がある地形である。

場所によっては、川もある。

キーワードを満たしている。

しかも、温暖であり申し分ない。

将来住むとしたら、いいんじゃないかなと思えた。

 

私が育った秋田は、自分とって大事な所である。

私の父は、もう雪の積もるところには帰らなくてもいい、と言っていた。

山で仕事をしていた父とは違うと思うが、私も雪の降る所とはまったく違うところがいいな、と思うようになっていた。

育ったのは海から遠かったが、もっと海に近いところ。

寒いところだったので、もっとあったかいところ。

それも、いいなと思っていた。

 

私の父と妻の父が、相次いで入院して、亡くなった。

そして、子どもたちの成長などをみてるうちに、将来どこに住もうということは、考えなくなっていた。

退職して自由になった今としては、どこに住むというよりも、自分が何をするかが大事かな、と思うようになっている。

母が入院していた時は、毎日会いに行けた。

入院している妻の母にも、毎日会いに行ってたのが、コロナでできなくなった。

近くに住んでいたから、できたことだった。

面会中止になって、一年半である。

いつ解除されるのだろうか。

 

 

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くめじのはし③ 菅江真澄テキスト

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来目路乃橋より 秋田県立図書館デジタルアーカイブ

この神のことも、とはまほしくて、神司上条権頭なにがしといふ人のもとに尋ねてければ、あるじ、しばしのほどに、とより帰り来てかたりて云、そのいにしへに厩戸皇子、このやまをめでのぼり分おましませしに、ひとりの山賤の翁出来りて、くま/\゛残なくおしへ奉るを、いましはいかなるものか、かくぞつばらにしりて、みちびきはせりけるとのたまひ、はた、名はたれとか。

翁の云、

 

出雲路や八雲八重垣たちけちてそのうら薄いまは穂屋野に」

 

とながめたりけり。

こはと、かんつみやのひつぎのみこ聞おどろき給ひて、此やまにおましませる神にてやあらん。

すさのおのみことにてわたらせ給ふらんと、翁にむかひ、ぬかづき給ふとき、おぢは、面影かいけちて、行衛しらざりけるとなん。

薄の社たて初しは、慧日高照山兎川霊端寺とおなじき年に作りき。

はた太子殿といへる処もあり。

その趾は、此神司が居るあたりをいふ。

うまやどの君、みづからの姿を、かたにうつし給ふあり。

それは、ずりやうのくらに、ひめおき給ふとやらん聞つたへ侍る。

此里を薄町とよび、薄河は雄滝の末の流来て、つかまの社のこなたにゆく水也。

こゝをも穂屋野といへど、まことは内田村とか。

この処を今薄町といふも穂家野といふよりつきて、おまします神のみなも、薄とやいふならんなど語るを聞て、ふたゝび山辺の湯あびとのに帰り来て、国仙ぜじに贈る。

別ても吉備の中山かひあらば細谷河の音信てまし

わがあるかたにも、かならずとひ来てなどありて、此ぜじ。

旅衣いつたち出てきびの山莓の莚をはらひまたなん

ひるつかたこゝを出づ。

此処よりは丑寅にあたりて、山おくに御射山といふあり。

この国に、此名ところ/\゛に聞えたるがなかに、須羽の湖の南に、神戸といふ村よりはひんがし、八箇嶽のあたりの原を穂屋野といひて、七月廿七日、すはの御神みかりしたまひたるかん世のふりをまねび、さゝやかの家を造りて、それを薄もてぞふきけるとなん。

そのかりやつくる処を御射山とも、ほや野ともいふ。

 

「科野なる穂家の芒もうちなびきみかりの野辺を別るもろ人」

 

など聞えたり。

かくて、松本の里に出て峨月坊が宿をとぶらへば、蔵六といふ額をかけたり。

こは、亀の六ををさむてふこゝろにやあらんとうち見て、

 

   かくるとも人やしるらん亀の尾のうき世にひかぬ心きよさを

 

といへば、あるじの返しあリ。

 

   かくすとは名のみ斗ぞ亀の尾の引もひかぬも六十ふる身は

 

五日 つとめて、此城の御主、むさしよりのぼりおましますとて、おほんむかへの人々さはに、あけはてぬよりよそひたつに、ところせきまで、その君をがみ奉らんと、村々里々の男女いりみちて、君のいさおしをよろこびあへり。かくて君いなきに入せ給ふの後、はやちふき神なりて、雨のいたくふりぬ。

あなめでた、日ごろ、あまつ水いのりもとめしかど、其しるしもふらざりけるを、けふ、との入せ給ふをまちて雨ふれるこそ、ひとへに、君のおほんとこにこそあらめやと、みな、ぬかをむしろにすりてよろこびあへり。

 

   かしこしなめぐみになでし民草の栄は君をあふぐにぞしる

 

海月上人、儀弁上人、定儀、吉尋、吉遐などとぶらはれて、歌よみてくれぬ。

儀弁上人のすめる宝栄寺は、そのかみ、あが国碧海郡苅屋てふ里より、水野なにがしのかみにつかへ奉りて、この科埜の国に来る。

亦定儀も、むかし三河路よりきける遠つおやの、いにしへを語る。

くるれば、にゐみたま祭る家には、高燈籠をいと長き竹、あるは柱をたてて、うれごとにひきあげたるは、星のはやしと見あざむく斗也。

七日 おなじ宿にけふも暮なんとす。

女童、竹のさえだに糸引はへて、さゝやかなる男女のかたしろをつくりて、いくらともなうかけならべたるに、秋風、さと吹なびかいてけり。

 

   なゆたけの葉風に男女郎花なびくやけふの手酬なるらん

 

このこと、さきの日記にもせしかど、ふたゝび其かたを左にあらはす。

あひにあひて、こよひ庚申にあたれば、

 

   まれに逢夜もぬることは楢の葉のうらみて明ん星合の空

 

あるじのほうし峨月。

 

   さはりある夜をかこちつつたなばたの逢もかたみに丸ねなるらん

 

八日 定儀がすめる秀亭てふ庵にとぶらふに、おかしうかこひなせるあし垣のとは、女鳥羽河とて、さかしき山あひよりながれて、いと涼し。

 

   問よればむすばぬ袖もぬるるかと水の音聞宿の涼しさ

 

いつまでもこゝにあれ、又、砌の竹にながめてなどありしとき、

 

   へだてなく話るも嬉し秀たる宿の呉竹直き友がき

 

女鳥羽川を渉て、大昌寺といふが、むかしやけたるとて、こたびあらため造るを見るとて、てをのうちたる柱に書つく。

 

   栄行法のためとて幾度も造かへぬる里のおほ寺

 

九日 この松本の里に近き浅間といふ温泉に、人々といざなはれて、つとめて小柳てふやに到て、出湯のもとにうち集ひける中に、広恵てふ人。

 

   出る湯のくみてこそしれ語あふ人の言葉の花の色香を

 

といふことをむくひけるに、返し。

 

   花ならぬ言葉を花といづる湯の深き心をそふるうれしさ

 

十日 蔵六亭に在に広恵。

 

   故郷を恋る夜毎に八橋をわたりやすらん旅の夢路は

 

かくなんありける返し。

 

   夢うつつおもひぞ渡る八橋にかかる嬉しき人の言の葉

 

十一日 倉科琴詩のもとへとへば、真砂亭といふ額あり。

亦鶴の画のありけるに、

 

   齢をばここにゆつるのふみならす真砂のやどや幾ちとせへん

 

くるるより月いとおもしろし。

 

   いにしへの人にものいふおもひして見る文月の月のさやけさ

 

 

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「日本人のおなまえ」と世界の名前

「日本人のおなまえ」というNHKのテレビ番組がある。

古舘伊知郎さんがメインMCで、「おなまえ」といっても単に姓氏だけではなく、地名をも含んで、広い視点からとらえていくバラエティ番組である。

あまりにも広い視点からなので、ほんとになんでもありである。

姓氏や地名好きの私は、楽しんで見ている。

通常は、何曜日に放送しているかはわかっていない。

妻が録画してくれたものを、見ることが多い。

 

日本には、苗字と言われるものが30万種類以上あるらしい。

苗字を研究してるウェブサイトがいろいろあるので、そういうところを探していた時期があった。

今でも何か調べたい苗字があったりすると、「日本姓氏語源辞典」というサイトを開く。

このサイトでは、「現在128,007の名字(苗字)を解説しています。」となってる。

該当の苗字を開くと、「由来」、「順位」、「人口」、「都道府県順位」、「市町村順位」を知ることができる。

このサイトは、人名、地名研究者である宮本洋一氏が運営していて、情報量から言っても他に類が無いと思う。

膨大な情報を、どのように収集したのか不思議なくらいだ。

name-power.net

名字を、その由来から「地形」、「事物、「職業」などや、発祥地、経由地、本拠などで分類しているので、そこから検索することもできる。

現在日本で最も多い名字は、「佐藤(さとう)で、人口189万人である。

そして、都道府県順位は、北海道、東京、宮城、神奈川、福島、秋田、、山形、新潟、埼玉、岩手の順である。

日本の名字は、読みが同じでも字が違うのが多い。

佐東、左藤、左東、佐棟、佐当、砂藤、などなど。

2番目は、「鈴木(すずき)」で、167万人だ。

都道府県順位は、静岡、愛知、東京、神奈川、千葉、埼玉、福島、茨城、北海道、宮城の順。

字違いは、須々木、鱸、寿松木、進来、鐸木、などなどである。

名字の分布は、発祥地、そしてどのように広がっていったのか、によって違いが出てくるのだろう。

3位以下は、次のとおり。

高橋、田中、伊藤、山本、渡辺、中村、小林、加藤、となる。

ちなみに、私の名字も、人口70万人で、上位20位に入っているものの読みは同じで字違いである。

それでも、順位は1600番台で、人口9500人となっている。

 

このサイトのトップページから、「名字あれこれ」というコンテンツへのメニューがある。

私が気に入ってるのは、「世界各国姓事情」である。

世界の国々の、姓氏の状況について詳しく記載されている。

もとになっている文献やサイトは様々であり、それを翻訳したものである。

読んでいるだけで、なかなか面白い。

私は、世界で最も名字の種類の多い国は日本かと、思っていた。

ところが、日本ではなかった。

日本よりはるかに、名字の種類が多い国があった。

アメリカである。

2014年の調査では、204万個以上だそうだ。

さすが移民の国なので、世界中の名字を持ち込んでいるわけだ。

 

アメリカの民族構成は、次のようになっているらしい。

ドイツ系 15、2%  英国系 12、5%  アイルランド系 10、8%  

10%以下で続く。

アフリカ系黒人 混血アメリカ人 メキシコ系 イタリア系 ポーランド系 フランス系

そして、その他が、27、2%である。

アメリカで最も多い姓は、2014年の調査では、Smithで297万人である。

2位は、Johnsonで229万人、以下は100万人台で、Williams ,Brown ,Jones ,Miller ,Davis ,Wilson ,Andersonと続く。

10位が、Taylorで92万人である。

 

アメリカがで出たところで、まったく違う文化圏の中華人民共和国はどうなっているのか。

2006年発表の調査によると、姓数は4100となっている。

人口の割には、姓の種類はとても少ない。

民族構成は、人口14億人のうち、漢民族が92%を占めていて、残り8%が54の少数民族となる。

チワン人満州人、回人、ミャオ人、ウイグル人、イ人、モンゴル人、チベット人、ブーイー人、と続く。

最も多いのが、王 9255万人、次に 李 9102万人、張 8669万人と続く。

以下、劉、陳、楊、黄、趙、呉、10位の周が、2433万人である。

張、劉ときたら、張飛劉備三国志になるが、関羽の関は100位までのリストに見つからなかった。

漢民族は、ほとんどが一字姓のようだが、数少ない二字姓が、「司馬」、「諸葛」、「欧陽」らしく、いづれも見たことのあるものだ。

 

ここで扱っているのは、いわゆる「ファミリーネーム」である。

英語では、“Last Name”とも言うらしい。

でも、日本など「姓+名」と、反対の並び方の国も多い。

“First Name"についても考えたら、また違ったおもしろさがありそうだ。

日本の場合を考えても、「姓」は固定されているようなものだが、親が子どもにつける名前は、時代とともに変わっている。

私たちの世代の名前とは、今の子どもたちの名前は大きく変わっている気がする。

時代の雰囲気などを、反映しているのかな。

これは、姓とはかなり違った範疇の問題なのかも知れない。

 

 

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秋の手賀沼を走る

天気もいいので、手賀沼を走ってきた。

暦の上では秋なのだろうが、天気が良すぎて暑すぎるくらいだった。

走るのはしばらくぶりなので、手賀沼近くまで車で行った。

車を止められるところは、何ヶ所かある。

道の駅しょうなん、大津川河口のヒドリ橋、北千葉導水路ビジターセンター、柏市中央体育館とあるが、最も手賀沼西端にある中央体育館の駐車場にした。

ここから、手賀沼最東端にある曙橋を目指すことにする。

 

走るのは、江戸川を走って以来で、ひと月くらいになる。

このところ、運動が足りてないので、とにかくゆっくりと走り始める。

体育館の最寄駅は、JR北柏駅である。

それから、我孫子駅東我孫子駅とあるが、目的地の曙橋は、位置的には東我孫子駅湖北駅の中間くらいだ。

総距離にして9キロくらい、手賀沼南岸の遊歩道は、かなり曲線が多いので、10キロくらいあるかも知れない。

私は、走る時にはあまり時間は気にしないで走る。

ゆっくりでいいから、長く走るのが、目標である。

 

10キロというと、オリンピックのマラソン選手は、30分くらいで走る。

40キロを、2時間で走るのだから、そんな計算になる。

ラソン選手が、どれくらいのスピードで走るのか計算したことがある。

10キロつまり10000メートルを、30分つまり1800秒で走るので、100メートル18秒である。

私も、300メートルとか400メートルくらいなら、それくらいのスピードで走れるだろうが、それ以上は無理だ。

そのスピードで2時間走るのは、想像を超えている。

 

しばらく走っていると、稲刈りの終わった田んぼが見えて来た。

ところが、所々にまだ稲刈りしていない田んぼも残っている、

どういうことだろう。

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稲刈りの終わった田んぼ

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まだ稲刈りしていない田んぼ

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すでに、稲刈りをやったところは、数週間前に終わっている。

どうして、稲刈りがまだなのか、考えてみた。

稲刈りが早いのは、新米の出荷ということを考慮してるのではないか。

今年の新米です、というのは経済的に有利なのかな。

それにしても、刈り入れの時期がかなり違っている。

収穫の時期が、早すぎても遅すぎても、それぞれに品質の低下につながってしまうので、なかなか難しいらしい。

やっぱり、収穫時期の異なる品種を組み合わせてるのかな。

 

ゆっくりペースで走っていたが、暑さがひびいてバテてきた。

息が苦しいわけではないが、体が重くて歩き出す。

全体の、三分の一くらいを歩いて、目的地の曙橋に着いた。

ずっと走れば、1時間ちょっとくらいのものだが、途中から歩いたので2時間近くかかってしまった。

いつもは、橋の手前の東屋で休憩するのだが、橋のたもとの手賀沼フィッシングセンターまで行って、そこの自動販売機で水分補給をする。

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手賀沼フィッシングセンター

手賀沼フィッシングセンターは、手賀沼漁業協同組合が経営している施設である。

かつては、釣り堀が中心で、レストランがあって、宴会もできた。

私も若い頃に、ここで「すっぽん鍋」を食べたことがある。

現在は、バーベキュー、カフェ、ドッグランがある。

「ヌマカフェ」は、2度ほどきたことがある。

自家焙煎コーヒーとこだわりのスパイスと地元の野菜を使ったオリジナルカレーが売り物のお店である。

月曜日は、定休日らしく橋正面の入り口は閉まっていた。

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遊覧ボートの船着場より湖面を見る

東屋まで戻って、休憩をする。

帰りは、走ったり、歩いたり、まわりの景色を見ていた。

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芙蓉の花、つぼみがいっぱい

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これは、公園などでよく見るミツバチの集まる花。名前がわからない。

稲刈りが終わった田んぼに、近寄ってみた。

草に覆われた細い水路に、靴ごとはまってしまった。

片足が、泥だらけだ。

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切り株からこんなに青い茎と葉が伸びている。

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遊歩道で、バッタを発見。じっと見ていても逃げない。

道の駅で休憩しようとよると、「キンモクセイ」の強い香りがしてきた。

建物のまわりをキンモクセイが、とりかこんでいた。

今まで、気がつかなかったのは、この時期に来たことがなかったということだな。

道の駅をふらふらしていたら、「チーバくんグッズコーナー」があった。

チーバくんは、千葉県のキャラクターだが、柏市の「カシワニ」と我孫子市の「うなきちさん」もあった。

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チーバくんグッズコーナー

ついでに、道の駅増築がどうなっているか、見ていく。

たしか、12月に拡張オープンとなっていた。

建物の工事はほとんど終わっているらしく、駐車場や樹木の整備が残っているらしい。

完成が楽しみではあるが、オープンしてもしばらくは近づけないだろうが。

駐車場はかなり広くなりそうだが、問題はアプローチだろう。

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道の駅しょうなんから、3、4分歩いたところに、「手賀カフェ」がある。

しばらく、来てないので近くを通ることにした。

こじんまりとしてお店で、手賀沼を見ながら、ゆっくりとくつろげる。

何回か、モーニングの時間に来たことはあるが、今度はランチに来よう。

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手賀カフェ

帰り道は、走るより歩く方が多かった。

運動不足のせいか、足の裏が痛い。

以前は、週一回くらいは走っていたが、最近は月一回くらいのペースである。

歩くことはやっているが、やはり走って、もう少し体に負荷をかけないといけない。

思いつきで行動しているのが、実態だからな。

もっと、計画的に運動をする必要があるんだな。

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この送電線は、どこから来て、どこへいくのだろう 

 

 

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