十一日 松前の島の、浪の上に遠う見やられて、しほせさしのぼる、あさ日のてりみちたるころたちて三馬屋(三厩)の浦につきたり。
かの、みたりのおほんまふけとて、三のふなよそひして磯近くつなぎ、脚艇などいつくしう見えたり。
此浦やかたに神明のみやどころあり、養信庵といふいほりあり。
御厩石のまとりよりのぼりて観世音の堂あり。
こは、むかし、越前の国足羽なにがしといふ人の夢に、われとし久しくこゝに在り、ねがはくばみちのおくの三馬屋にいたり島わたりの舟をまもり、浦のまもりとならんと見おどろきて、いそぎこの浦にをくり奉らんとおもへど、よるべなければ、すべなう月日をふるに、そのくにうど久末なにがしといふもの津軽にいきて、檜原の杣に宮木伐らせ、おほぶねにつみくとて、ふなでしけると聞て、これにたぐへて、みほとけを奉れば、久末、としごろ宿りつる問丸伊藤五郎兵衛がもとにもりいたりて、しか/″\のことありといふ。
あるじは、ひんがしのみてらのながれをくみて、ことのりのをしへにはかたぶかで、をりもあらんとて、からうづ(唐櫃)に、ふかくをさめぬ。
としへて足羽がもとより出たりける円空といふすけ(出家)、島わたりせんとてすぎやうし来りて、これも夢をしるべに、みちのくの国にいたれば三厩のほにつきてそのほとけのおましませる宿ともしらで伊藤がもとに泊りて、この浦にさることやあらん、いづこならん。
あるじこたへて、わが家にこそあなれ。
こは、ゆくりなうさちなるかなとよろこび、猶たふとく、われ御堂を建んと
此法師かくて、三厩岩の上なる磯山をひらきて、そのみほとけをおかん。
この観世音は源九郎義経のきみ、かぶとにをさめて、そのたゝかひに、しかまのかち(飾磨の搗布)をえ給ふのとこのましませし、一寸二分の、しろがねの、みかたしろなりけり。
それに、足羽がもとへのもんじやう、花押あるをそへたり。
円空みづから観音の像を斧もてつくり、しろがねのみかたしろは木のみかたしろのむねにこめて、そのもんじやうに、円空法師、ありつるゆへをかきそへて伊藤がもとにいま猶あれど、いたくひめて、この浦人すらゆめしりたるものもあらねど、ある法師のこゝにとしをへて、なりむつびたるとて、そのあるじが、このほうしにのみみそかに見せしとて、かのほうしの人にかたりていふ。
いとふるめける紙のあつ/\としたるにかいて、義経とあり。
又円空法師が書そへたるかみは新しけれど、ところ/″\しみのはみて、文字のさだかならざるもありきと。
その円空が作れる観世音を、一とせ、みとばりひらいて人にをがませ奉れば、雨風しきりにして海あれ、ひかり、かんどけしたれば、此たゝりにやと、いそぎとざしてより、いまは住僧のほか、さらに拝み奉りし人もあらじとかたり、春の末は三宝鳥もかならずきなく、もともたふときところなど浦人の話りたり。
「けふもかもみやこなりせば見まくほりこしの三馬屋のとにたてらまし」
と、ずんじぬ。
人もしかおもふにや、松前のきみの贐に、
「船うけて月をみまやの浦辺行らん」
と、太気能綾太がながめて奉るかた歌てふものを、かのきみ、盞の皿にかゝせ給ひしとなん。
この三厩の、新谷勘兵衛といふものゝ砌に在つる梨子のいとよければ、おほんつかさとやらんめして、めで給ひしあまり紅梅瓶子と名づけ給ふを、われも人も接換、寄枝とし、あるは嫩なるをうつして、いま三厩梨子とて、その果、津刈のくぬちにいと多し。
そのもとは、此宿なりしと人のいひて、その門をすぐ。
宿てふ宿にすゝとり清め、そのもふけなべてならず。
いつ/\の日、むさしをたちてこゝに至り給ふなど、人さはにいりみちて、しばしとて休らふかたもあらねば、烏銕(宇鉄)の浦にいざ行てんとて、三馬屋(三厩)のはしなる中浜といふところにしばし休らへど、此あたりも屋根ふきかへ、さうじはるなどいとなければ、磯辺にたち、渚なる冑石とてたてるを見たゝたゝずみ、朝川わたりて算用師といふ村に来けり。
この山河をさかのぼれば、小泊の浦にいづといふ山越のみちあり。
六丈間といふやかたをへて藤島といふがあり、そのやかたもありき。
あかわしりのみちに行なやみ休らひて、
春は咲く花のすがたを寄る波に見せてぞかゝる浦の藤島
此あたり、過来しかたも、柴ふける屋に木の皮の戸さして、磯辺にかりの栖居して、夏ばかり、ひろめからん料にぞせりける。
真砂地にほしたる昆布をのしたゞし、ゆひつかねて、男女いとなう見えたり。
巌の上にのぼりて四枚橋とて、細き木をいはのはざまごとにかけわたしたるを、うちよる波のうへあやうげにふみて竈の沢村になりぬ。
このやかたの辺に、田村将軍の、ゑみしをうちたまひしころ、すへたりし釜のあととてありけり。
旧(モト)烏銕(宇鉄)川をわたりて、上烏銕(宇鉄)の浦といふやかたに巳のとき斗につく。
此浦人はもと蝦夷の末ながら、ものいひ、さらに、ことうらにことならず。
近きむかしとやらんに鬚そり頭そりて、女も文身あらでそのけぢめなし。
うらのをさ四郎三郎といふがもとに宿かる。
むかしは浦/\に蝦夷や多かりけん、にぎえぞ、あらえぞなどもはらいへり。
猶ありたりし母衣月の弊岐利婆が末の子を又右衛門といひ、松が崎の加布多以武、その末を今は治郎兵衛といひ、藤島の牟左訶以武、いまその末は清八といひ、宇?通(宇鉄)の久麼他可以武が末なるは、此宿のあるじの四郎三郎なり。
此四人の保長(ヲトナ)とて、浜名浦の七郎右衛門をいまもおやかたといひとしのくれなどには刀万府てふ、海狗(とど)にたぐふ、うなのけものを小島のあたりにとりて、その浜名のをとながもとに土毛にをくりたりしよし。
この、うてつのうらよりは家居もたえて、率土(外)の浜輪のはてにこそあらめ。
なべてうらわに、あか玉とつくるべき石のあれど、委万弊都(今別)の浜にくらぶれば、あるがあるかは。
しばしは、ひぢををりて休らひ、ふたゝび、海べたに出てあたりを見めぐり、
「到合浦者不求裹宝珠、登摩嶺者不染有衣香」
とか、家づとにもとひろひたり。
かく宝石のところ/″\に在れば、外がはまべに合浦の名をいひわたり、からうたなどに孟嘗がふるごとをひいて、もはらいへり。
やをら日の海に入て、さしのぼるタ月をたどりておきべ/\へとこぎゆく小舟は、網させりといふが、ほのかに遠ざかる。
浜風の寒ければ入て枕とる。
浦づたひそことたつきもなみまくらかゝるたびねのよる/\ぞうき





