晴耕雨読    趣味と生活の覚書

  1953年秋田県生まれ。趣味は、山、本、音楽、PC、その他。硬化しつつある頭を柔軟にすべく、思いつくことをなんでも書いています。あわせて、江戸時代後期の紀行家菅江真澄の原文テキストを載せていきます。

ロックの時代⑩ 太陽のあたる場所

「リズム・アンド・ブルース」といわれていた黒人音楽が、いつからか「ソウル・ミュージック」と呼ばれるようになっていた。

「ソウル・トレイン」というアメリカの音楽番組を、夜遅く放送していたのを見ていたのは学生時代だったと思う。

「ソウル」ということばが、黒人音楽を呼ぶことばになっていた。

 

スリー・デグリーズという女性3人組のグループが、日本でも人気で来日して日本の音楽番組にもよく出演していた。

たしか、日本語の曲も発売していた。

 

思い出したけれど、「アンディ・ウイリアムズ・ショー」という音楽番組も、日本で放送していた。

毎週ゲストの歌手を迎えて、話をしていっしょに歌ったりする。

音楽番組としては、オーソドックスな作り方だったんだろうけど、坂本九さんもそんな番組をずっとやってたと思う。

家族みんなで見れる番組だったなあ。

今は、そんな番組あるかな。

 

スティービー・ワンダー A Place in the Sun  太陽のあたる場所

 

 高校生の時に、スティービー・ワンダーという歌手を知って、ローカルのFM番組にこの曲をリクエストしたら、かけてもらえた記憶がある。

その頃のスティービー・ワンダーは、ハーモニカを吹きながら歌っていた。

まだ、彼も10代だったと思う。

私が、学生になって、何年か後に聴いたスティービー・ワンダーは、キーボードを弾きながら歌っていた。

「迷信 Superstition」という曲で、あっという間にスーパースターになってしまった。

https://www.youtube.com/watch?v=O-CHTObKCPs

 

Sly the Family Stone   Everyday people「エブリデイ・ピープル」

 

高校時代に、「ヒットポップス」という音楽雑誌を買っていた。

そのレコードプレゼントに、葉書を出した。

そしたら、このレコードが送られてきた。

特に、アーチストや曲を指定した訳ではなかった。

この、グループは知っていたが、曲は知らなかった。

独特なカッコよさのあるグループだ。

この場合の、everydayは、「ありふれた」、「平凡な」ということらしい。

 

Everyday people Sly the Family Stone TKV - YouTube

 

ジャクソン5  I Want You Back

 

ジャクソン5は、マイケル・ジャクソンと4人の兄さんたちのグループだった。

この頃の、マイケル・ジャクソンは歌は上手いし、かわいい。

兄のジャーメイン・ジャクソンや 妹のジャネット・ジャクソンもすごかった。

日本でも、フィンガー5というのは、もちろんジャクソン5の日本版である。

アメリカのオズモンド・ブラザーズというファミリーグループも、ジャクソン5を意識して、オズモンズとなって曲もかなりブラックぽいものをやっていた。

 

 The Jackson 5 - I Want You Back - 1969 - YouTube

 

 

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すわのうみ⑦ 菅江真澄テキスト

廿五日 やをいづ。

むまやのをさなる根沢なにがしがやに、しばらく尻かたげしてものかたらふに、あが遠つおやは甚平といひてたけきものゝふにてありつる世に、君の御鷹それ行たるをあやいづこまでもと追めぐりて、みのゝ国の山中にていきつきはてゝ、たヾ空をまほりてほとともにしにうせ侍る。

くはしくは其郷の記見えたり。

この頃武蔵国八握の翁とてひげいと長き人の、としは七十にあまるが、たをやめ一人をぐしてこゝにしばらくいこひて、これかき給ふとて見せける。

 

「おもひかねつれぬるうなひめもしのべ手がひのたかやいぬのむかしを」

 

こゝを尾花が崎といひてさくらいと多くあるひきゝ岡なり。

県の御司とし毎の能うへさせ給ひて、盛なるころは見給ふとなん。

小黒河といふありけるに、

 

   せきとめてたねやまくらん小山田のをくろの河の水あせにけり

 

小出嶋の西なる山際に犬房丸の墓あり。

むかし曾我殿夜討はてゝ、時致に縄をかけていでたりしを、祐経が子なる犬房まろ、扇にて五郎がつらをしたゝかにうちけるを君見たまひて、武士のふるまひにあらじとて、貞永のころとかや、こゝにながされ給ひしが、つゐにこのところにて身まかりけるとなん。

寺に犬通院殿覚翁常輪大居士としるしのこりぬ。

唐木といふ処に水のながるゝを青木のしみづといふ。

行人けふのあつさよ、夏のこゝちすとて水むすびてすぐる。

 

   見し花のいろさへ今はなつ木立青木のしみづかげをふかめて

 

天の中河をわたりて外嶋邑に行。

飯嶋何某がやにとまる。

廿六日 とのしまをたちてしばらくくれば、貝沼が原といふあり。

いとひろき野にてあゆみもつきじ。

真菰が池といへるは、たかむらの中へむかしかり人をしのおどりを火矢にてうちはたし、ほどへて又めどりをころしたるに、そがはねのしたにいとかはきたる鳥のかしらありけり。

おもへば、あがむかしかしらうちおとして鳥のむくろのみもて来りしを、此めどりのしたへてかくならんと、むねうちさはぎて身の毛いよだちて、そのわざやめててらを造りぬ。

鴛鴦山東光寺とよぶ。

こゝも貝沼里也。

古き歌に、

「日暮ればいざとさそひし貝ぬまの真菰がくれのおしのひとりね」

下野国阿曾沼の池にもこのふる事あり。

いづれをたゞしとやいわんと、ある書に見えたり。

 

   をし鳥のおのがなみだもふるごとの真菰が池にひかれてやこし

 

桜井の森といへるを見つゝくれば、この杜の松みなふたまたにわかりたるはいはれありといへり。

世にことなる松がえなり。

 

   春深きいろこそ見ゆれ花はいま散てさびしき桜井の杜

 

いとよき水のながるをくみてをれり。

 

   さく花の色こそなけれむすぶ手に匂ひはふかし桜井の水

 

けふは駒が嶽も雲がゝりて見えざりけり。

 

   しら雲のたな引ひまの駒がだけしばしとゞめよなぐさめにせん

 

高遠にいたる。

左に三峯川のながるゝを見つゝむかふ方は御城なり。

名を甲山といふ。

山本勘助のつくりたるといへり。

西はさかしき山々、甲斐駿河信濃のかぎりよるわかるゝゆへ三峯河とはよべり。

御城は青やかなる木々のなかよりあらわれておかし。

さくらが馬場などいふめる処を過るに、みなちりはてゝ其いろもなき梢あまた立ならびたり。

ひんがしにちいさき山のあなるあなたより小鳥むら/\と立いづるはいかに。

 

   うちはぶき鳴やあらたか遠つ世にしゝまき声のさはぐ村鳥

 

此夕、井野岡何某といふ神司の家にやどる。

あるじなにくれの物語りしけるに、いにしへ世中しづかならざるころ、小松重盛きみの甥ぎみ刑部大輔なにがしのうし、此山おくにかくれ住給ひしとなん。

処をまへうらといふ。

いまも太刀、鉾、よろひなど持つたへ侍ると、ところのものかたりき。

昔家七ツありしが、はや五十あまりにて、人もたやすく行がたき道にて、なか/\おそろしき山里也けり。

廿七日 鉾持の御社を拝ミ奉る。

やね三ツありて、伊豆三嶋箱根、文治のころよりあがめ奉るといへり。

 

   露雫社のしたゝり嶋となる栄をたのめほこもちのかみ

 

みぶ河を見つゝくれば、いと長きかけはしに手だすけありて、かたへはさかしき岩むらにて、河ぎし高くはげしくおそろし。

なかばに橋ありて、こゝをのぞむはうすき氷をわたるこゝちして、木曾路に見たらんよりはあやうし。

井野岡氏こゝまでおくりす。

またといひてわかれぬ。

はるけき山のいたゞきに、大なる石のまろきがおちかゝるべく見ゆるを、小?石といふ。

水の面に菰のながるゝを見る。

 

   みちのくのとふならねども三峯河にねこじながるゝ水のわか菰

 

あし沢を過て仲壺の左を六道原といふ。

文月七日、地蔵祭とてちいさき堂に人多くあつまりてをがみけると、処の人かたりぬ。

こゝは安太師野山といふ古き名処也けり。

名寄のうたに、

「よとゝもにたのまれぬかな信濃なる名に立にけるあたしのゝ山」

笠原といふ村あり。

いにしへの牧にや。鶯の鳴けるを、

 

   花はちりぬ何をかざしの笠原やぬゑてふ鳥の来つゝ鳴らん

 

卯ノ木村にいたりて、うの花のかきねありければ、

 

   いまだのこる雪とこそ見れ春かけてさくや卯の木の里の柴がき

 

駒ケ嶽いとよく見えたり。

此山は春近ノ庄上穂村の西なり。

まさしき名処にはあらじ。

寛永のころ余田の城の主脇坂淡路守安元のうしとやらん聞えし、箕輪の陣屋に一夜とゞまり給ひてよみ給ひしといふ歌、

「尾も白しかしらもしろし駒が岳かんの御よさにゆきのはやさよ」

此夜は三日町にとまる。

不動祭とて高岡の御堂に人々あまたまうづ。

此ものにまいるともし火、夕ゐる螢のごとくつどひぬ。

みちの左右には男まくり手に眼をいからかして、あしいだしてかちまけをわざにてこくしいくらもともしたり。

こゝを見てくだりてふしたり。

 

 

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私のお気に入りサイト③ 映画編

高校生時代の私は、映画少年だった。

毎月、一回は必ず映画館に通っていたのだから、そう言えるだろう。

高校卒業後は、そこまで映画館に通うことはなくなった。

それでも、年に何回かは行っていた。

 

映画についての記事を読むことは、好きである。

俳優や女優についての記事も、好んで読む。

ネットの時代になって、映画についてのサイトはいくらでもある。

新しく公開される映画について情報は、いろんなところで手に入れられる。

いろいろ見てるうちに、映画情報についてのデータベースサイトがあることを知った。

そこのあるデータをもとに、電子書籍を作ったりしていた。

もちろん、自分が利用するだけの、自己満足的なものである。

 

いろいろな映画情報サイトがあって、データベース的に使えるものがあった。

Yahoo!映画というサイトがあるが、ここのデータは「シネマトディ」のサイトのものを利用している。

「all cinema」というサイトもあるし、「キネマ旬報映画データベース」という老舗を受け継いだ「kinenote」というサイトもある。

他にも、同様なサイトはあると思う。

ところが、これらの日本の映画サイトは、一長一短がある。

映画サイトなのに、ほとんど写真が使われていない。

作品情報は充実していても、人物情報がほとんどない。

作品や人物の情報ページの一覧性が悪く、使いにくい。

何度も、クリックしないと情報にたどり着けない。

 

英語のサイトで、"Internet  Movie Data Base"(IMDB)という映画情報サイトがある。

私が知ってる限りでは、最高の映画サイトだと思う。

バランスが良くて、使いやすい。

作品や人物を開いただけで、全体を見ることができる、詳細についてはみたければワンクリックすればいい。

日本のサイトと違って、写真も多く、充実している。

肖像権などの法的なものが、日米で違っていているのだろうか。

もちろん、日本の作品や人物も収録されている。

 

 「kinenote」 キネノート

 

私が、映画のデータベースに興味を持っていた頃、「キネマ旬報映画データベース」というサイトがあった。

日本を代表する映画雑誌である「「キネマ旬報」社が、長年蓄積した映画に関するデータベース・サイトだった。

使ってみて感じたのは、映画作品についての情報はとても充実しているように思えた。

しかし、人物情報については、経歴などの人物についての解説はまったくなく、出演作品の一覧があるだけだった。

しかも、映画という映像を扱かうものなのに、作品や人物に関する写真がまったく掲載されていなかった。

これは、映画情報としては致命的な欠陥のような気がしていた。

その後、「キネマ旬報映画データベース」は、キネマ旬報社の持つもう一つのデータベース「kinenote」と統合された。

現在のデータベースを見ると、かつてのものと少しは変わっている。

作品については、次のとおりである。

基本情報として、ジャンル、製作国、製作年、公開年月日。

スタッフとして、監督、脚本、製作、撮影、キャストとして俳優名である。

あとは、解説、あらすじ、関連するキネマ旬報の記事。

www.kinenote.com

人物については、次のようになっている。

氏名のあとに、スタッフ、キャストの表示、本名、出身地、生年月日、没年月日。

あとは、略歴、キネマ旬報の記事、フィルモグラフィーである。

写真については、作品・人物ともほとんど使われていない。

作品によっては、新しいものには写真や動画が使われているものもある。

人物については、写真はほとんどなく、略歴も空欄のままであるものの方が多い。 

 

www.kinenote.com

 

IMDB   「Internet  Movie Data Base  」

「インターネット・ムービー・データベース」は、1990年に創立されているが、1998年にAmazonの傘下に入っている。

このサイトが、写真や動画をふんだんに掲載しているのは、Amazonが関わっていることが大きいと思う。

著作権や肖像権の問題が、どのようにクリアされているかは興味のあるところである。

作品についても、人物についても最初のページですべて項目について一覧できる。

たとえば、人物については、氏名、写真、経歴、写真、動画、代表作品、出演作品をすぐに見ることができる。

リンクを貼った、フレッド・アステアの場合は、730の写真、28の動画を見ることができる。

www.imdb.com

 作品についても、同じように作品名のあとに、動画、写真、キャスト、スタッフ。

そして、あらすじ、最後に製作についての基本情報というところである。

申し分のないサイトであるが、すべて英語である。

なぜか、日本の作品の作品名は日本語で表示されている場合もある。

このサイトが、日本語化されることはないだろうか。

www.imdb.com

音楽CDが、売れなくなって久しい。

日本だけで、なんとかCDが売れてるらしい。

映画のDVDだって、同じなんだろうな。

もうネットなしでは、音楽も映画も考えられないのだろう。

そういう意味では、AmazonIMDBというサイトを持ってるのは、正解なんだな。

日本の企業は、そういう先見の目がないのだ。

日本は、アナログとデジタルが共存するところだから、難しいのかな。

 

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田代岳の思い出

田代岳は、私のとって原点となる山である。

中学一年生の時に、初めて登っている。

夏休みに、男性教師が参加者を募集して、有志の生徒が参加して登っている。

たぶん中学の二年生、三年生の男子生徒十数人だったと思う。

男子教師が数人引率して、9合目の湿原あたりで幕営した。

営林署から借用した業務用の大型テントだった。

翌朝には、頂上に登って360度の雲海を見た。

雲海に浮かぶ雄大岩木山を見たのである。

この経験がなかったら、後年山に登ることを繰り返すことはなかったと思う。

 

この2年後、中学三年生の夏に、クラスの活動として何かやろうという話し合いがあった。

みんなで、田代岳に登ろうということのなった。

クラスは全員で36人くらいだったが、参加者は男女で20人くらいだったと思う。

2泊3日の行程だったが、1日目は営林署の宿舎を使わせてもらった。

宿舎は、車道をかなり歩いた沢の奥にあった。

クラス担任は、年配の男性教師だったが、寡黙な方であまり発言はせず子どもたちを見守っていた。

2日目は、長時間の登りである。

今回も、テントは営林署の大型テントなので、かなりの荷物だった。

途中で、雨が降り始めたが、予定どおり歩きつつけた。

担任は、大丈夫かなと、心配そうだった。

9合目の湿原に着いた頃は、雨も止み、大型テント二張りで幕営した。

数多くの池塘が散らばる湿原や雲海の素晴らしさは、変わらなかった。

 

高校生になって、私は生まれ育った村を離れて、高校のある隣の街に転居した。

私の高校では、例年行事で夏休みに入ってすぐに、「強歩大会」があった。

ラソンと同じ距離を、走ったり歩いたりして、学校へ戻ってくるものだった。

2年生の時、この大会直前に、私は急性盲腸炎で入院してしまった。

手術後だったので、ひと夏静かにしていた。

夏休みが終わる頃、田代岳に登ろうと郷里の父の実家へ行った。

幼なじみの従弟は3歳下で、まだ中学生だったが、さそって登った。

幕営したかは記憶がないので、日帰りだったのだろうか。

 

その後、進学して横浜で暮らしていた。

3年生の夏、2ヶ月のアルバイトの後、広島から九州一周の旅行をした。

その頃は、就活は4年になってからするものだったので、まだ就活の段階ではない。

九州をまわって、秋田によってから帰ることにした。

田代岳に登りたくなったのだ。

郷里に帰って、高校生だった従弟とその友人の3人で登った。

湿原でテントを張っていたら、単独行の女性もやって来て近くで幕営したのを覚えている。

どこかの国立大の学生だと言ってた。

この時は、カメラを持っていたので、山の写真を撮っている。

探してみたら、写真が見つかった。

 

数年前に、古い写真をスキャナーでデジタル化した。

デジカメにする前の数十年間分である。

古い山の写真が見つかった。

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田代岳9合目湿原 右側に黄色いテントが見える 1974

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奥羽山脈からの御来光

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岩木山が雲海に浮かぶ

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五色の滝

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生まれ育った村 神社の森から見る

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就職して、千葉に移り、いっしょに山に登る友人ができた。

グループで、定期的にいろんなところに出かけた。

ときには、2人だけで出かけたり、単独で出かけることもあった。

20代の頃、山形県福島県の県境にある飯豊連峰を縦走したことがある。

その時は、メンバーのひとりの実家がある新潟市で解散した。

私は、田代岳に登るために秋田に向かった。

田代岳は、東側の岩瀬川と西側の早口川という二つの川に挟まれたように位置してる。

早口川の方は、行ったことがないので、そちらの登山道を使うことにした。

大館の旅館に泊まって、始発のバスに乗った。

バス終点から歩いて、薄市沢登山口から登り始めた。

岩瀬川からの登山道はかなりアプローチが長いが、早口川からの方が歩程は短いようだった。

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池塘群にミツガシワ 1979

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田代岳山頂

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登山の記録については、詳細についてほとんど記録といえるものを残していない。

山岳雑誌を購読していた頃は、付録に登山手帳があって、それに記録していた時期はある。

むしろ、写真がけっこう残っているので、これから整理してみた方がいいかもしれない。

山へ行って、写真を撮ってないというのは、ほとんどないと思う。

友人たちと鳥海山に登ったことがある。

下山後は、象潟の町に泊まった。

この時も、象潟で解散後、田代岳に登ったような気がするが、他の山行の記憶とごっちゃになって曖昧である。

秋田駒ヶ岳や岩手の早池峰山も行ってるはずだ。

 

何年前になるだろうか、私たちを山を登ることに導いた恩師の先生が亡くなった。

私が郷里に帰った機会に、同級生たちとお線香をあげに行った。

その後で、同級生たち5、6人で田代岳に登った。

中学生の時に、先生たちがどういう思いで子どもたちを山登りにさそったのか、詳しいことはわからない。

山で育ったからといって、山に登るようになるわけではない。

父も母も、山で働いていたから、山がどういうものかは知っていた。

でも、父は私が山に登ることを、楽しみとして、趣味とすることは理解できないようだった。

父にとっては、山はあくまでも仕事の場だったからである。

先生たちは、君たちが育ってるこの山には、違う姿もあるよ、ということを知って欲しかったのかもしれない。

中学一年生のあの山行がなかったら、その後の私はずいぶんと違った生き方をしたのかもしれない。

 

 

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サーカスがやって来る

数年前、市内の大型モールの近くにサーカスがやって来た。

モールの近くの空き地に、巨大な白いテントが建設された。

何だろうと思っていたのだが、サーカスのテントだった。

秋ごろに、2ヶ月半ほど公演していた。

孫娘が、ママとばあばといっしょに観に行くのを、送り迎えしてた。

今は、ディズニーランドのようなテーマパークはあるが、まだサーカスもがんばってるんだと思った。

 

私も、子どもの頃にサーカスを見たことを思い出した。

私は、秋田の山奥の村で育ったが、大館の市民会館の広場でやってたサーカスを見に行った。

家族で行ったと思うが、その辺はよく覚えていない。

広場に大きなテントのあったことは記憶にある。

象使いがいて、本物の象を初めて見たと思う。

空中ブランコや綱渡りも、見ている。

でも、私の記憶にしっかりと刻まれたのは、「バイク曲芸」である。

鉄骨で組まれた直径何メートルかの鉄球の中を、バイクが駆け回るのだ。

左右上下、自由自在に駆けるというよりも、くるくる回っていた。

ただただ、ぽかーんと見ていたと思う。

今思うと、あんな狭い鉄球の中を、ぐるぐる回るのはどんな世界だったのだろう。

ドライバーが、どんな人だったかは、覚えていない。

 

柏でやっていたサーカスは、「木下大サーカス」だった。

その時のポスターには、次の三つのショーが描かれている。

ホワイトライオンの猛獣ショー

地上15m新空中大車輪

ロシアン空中アクロバットショー

そして、「世界三大サーカス」の一つであることも書かれている。

三大サーカスは、ロシアのボリショイサーカスとアメリカのリングリングサーカスであるらしい。

リングリングサーカスは、2007年に解散したとある。

 

ボリショイサーカスは、わが家の子どもたちが小さい頃、見に行ったことがある。

毎年、千葉市で公演していた。

 はるばる、電車を乗り継いで千葉市まで出かけていた。

サーカスは、大人も子どもといっしょに楽しめた。

バイク曲芸もやっていたと思う

なんと、鉄球もかなり大きくて、2台か3台のバイクが駆け回るという、恐ろしいことになっていた。

あんな狭い中を、複数のバイクが入るなんて、想像を超えてしまっている。

 

「日本三大サーカス」というのも、あるらしい。

札幌を拠点とする「キグレサーカス」は、2010年に解散している。

私が、子どもの頃に見たのは、この「キグレサーカス」だと思う。

そして、大阪の「ポップサーカス」と岡山の「木下サーカス」である。

ポップサーカスというのは、名前も聞いたことがなかったが、たぶん東日本にはあまり来ないのだろうか。

地域的な、住み分けがあるのかな。

 

自分がまだ勤めていた頃、職場の親睦会で「シルク・ド・ソレイユ」を見に行ったことがある。

会場は、舞浜あたりだったが、ランチをみんなで食べてから、ショーを見た。

ランチで、ちょっとアルコールをいただいたので、ショーの途中で睡魔におそわれた。

恥ずかしい話だが、「シルク・ド・ソレイユ」の「シルク」がサーカスのこととは気がつかなかった。

「シルク・ド・ソレイユ」の本拠地は、カナダのケベック州なので、フランス語だったのだ。

Cirque  du  Soleil   太陽のサーカスだった。

私は、「シルク」のように優雅でおしゃれなショーだとばかり、思っていた。

一世を風靡した「シルク・ド・ソレイユ」もその後、経営困難に陥っているというニュースは聞いていた。

今の世の中は、サーカスのようなものが存在するには、難しいことが多いのだろう。

 

 

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音楽を聴くのも才能だろうか

YouTubeを見るのは、習慣化しているので、とりあえず開いてみる感じである。

それまで見ていた履歴などが反映されるのか、おすすめらしいものが表示される。

たまには、今まで見たことない、面白そうなのを見ることもある。

お気に入り登録するようなマメさはないので、いつのまにか表示されなくなって、忘れられたりする。

そういえば、子犬、や子猫ものとか、赤ちゃんものとか最近見てない。

見てるだけで、いやされるというのか、おもしろい。

おすすめに出てこなくてなってしまった。

かといって、検索して探すほどではない。

 

YouTubeを見るようになったきっかけは、バンドのライブ映像だった。

いろんなバンドが、オフィシャル・ビデオを提供している。

かつて、まだインターネットがない頃に、MVとかいうのがあった。

あれは、いわゆる宣伝用にマスコミやメディアに提供していたのだろう。

それを集めたテレビ番組もあったような気がするが、いつ頃のことだったろう。

YouTubeを見てるうちに、ただビデオを見るだけではなく、ふつうの人がビデオを見ている映像を見るようになった。

いわゆる「リアクション・ビデオ」というやつだ。

 

音楽を聞くということは、受動的な行為だと思ってきた。

音楽を作ったり、歌ったり、演奏したりすることは、能動的というのかな、外に出て行く行為だ。

でも、それを聞いていることは、受け身だと思っていた。

でも、「リアクション・ビデオ」というやつを見るようになって、少し考えが変わってきた。

同じ音楽を、ビデオをいろんな人が聞いている。

それを、聞いている様子はそれぞれまったく違っている。

その音楽を、どこが素晴らしいかやたらと解説しようとする人がいる。

ただただ、感動して、音楽が終わってから、感想を話す人がいる。

異国語がうけいれられなくて、どうしていいかわからない人もいる。

歌い方や、演奏について、技術的な問題を伝えようとする人がいる。

とにかく、人によって、いろいろな受け取り方がある。

まあ考えてみたら、リアクション・ビデオをつくろうとすること自体が、受動的な行為ではない。

そのリアクション・ビデオを見ている私の行為は、受け身であるとは思う。

 

同じように、文章を書くことは、能動的な行為だけど、その文書を読むことは、受け身の行為だと思ってきた。

どこかで、学ぶということは、まねることからきている、というのを読んだような気がする。

ということは、歌うためには、聞くことが必要なのだ。

書くためには、読むことが必要なのだ。

とてもあたりまえのことを、今ごろに思いついている。

 

 

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平将門王城跡を訪ねる

手賀沼の南岸に、「平将門の相馬の大王城跡」という看板があるのを、何年前からか見ていた。

今日は、そこを訪ねようと出かけることにした。

朝から、天気もよく気温もかなり高くなりそうである。

水分を充分にとることに気をつけて、歩くことにする。

 

平将門は、下総国猿島・豊田(現茨城県)を勢力範囲としていたといわれる。

しかし、王城跡がある柏市大井には将門神社がある。

これは、将門の次女如春尼か三女如蔵尼によって創建されたそうだ。

また、我孫子市日秀にも将門神社があり、将門の母が相馬出身だったので相馬のこの地で育ったのではないかという伝説があるようだ。

茨城県坂東市には「国王神社」があり、参拝したことがある。

ここは、将門を終焉の地に祀る神社である。

 

新柏の桜並木は、緑を濃くしていた。

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新柏桜並木

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名戸ケ谷から大津川に注ぐ川は、コンクリートで護岸されたただの用水路になってしまっている。

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大津川に向かって、青々とした田んぼを見ながら歩く。

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大津川の土手に出ると、釣り人が作ったであろう桟橋がいくつかある。

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大津川を、沼南方向に向かう県道282号に中の橋が架かっている。

水質改善の施設があるあたりで、葛の花が咲いているのを見つけた。

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葛の花

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河川敷に降りてみる。

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葛の葉に覆われた木

さらに進むと、国道16号で、ここは橋の下を潜る。

次に、市道の二子橋である。

この橋の上から、上流下流を眺める。

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大津川上流方向 大津ヶ丘団地が見える

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大津川下流方向 柏市街が遠くに見える

大津川の東側の土手を、進んでゆく。

右手に水田、左手に大津川の流れだ。

ねむの花が、咲いていた。

なぜか暑い気温に似合う花である。

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ねむの花

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ねむの木

今日の目的地である、大井の森も見えてきた。

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大井の森

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向こう岸に、コブハクチョウを発見する

大津川手賀沼に合流する。

その辺りの南岸は、ヨシが生い茂って水面を覆っている。

遊歩道を歩いて行くと、「王城跡」の看板を見つけた。

初めて見てからずいぶん経っていて、気にはなっていたのだが、まだ行ったことがない。

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王城跡の看板

看板の案内図だと、近いしわかりやすそうである。

城跡方向に、大規模な墓地や福満寺という寺もあるので、それを目印に行けばいい。

とりあえず、歩いてみた。

ところが、城跡方向への分かれ道が見つからない。

歩いているうちに、とんでもない方向まで進んでしまったようだ。

たまにあることだが、遭難状態である。

 

てきとうに歩いてるうちに、福満寺の案内板があった。

どうも、お寺の裏側に出てしまったようだ。

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お寺の隣にあった香取神社

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福満寺の鐘楼

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福満寺は、平将門ゆかりの寺らしいが、詳しことはわからない。

「大井の七人衆影武者伝説の里 平将門大明神」

いったい、何のことだろう。

ここから、下り坂になっていて本堂はその先にありそうである。

今日の目的は、「王城跡」である。

案内板では、福満寺の手前にあったので門前の坂を下ってみた。

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庄屋だろうか、屋敷門があった

ずっと下ってみたが、「王城跡」の入り口はなかった。

思い当たったのは、先程の福満寺の入り口は裏門だったのかもしれない。

もう一度、戻って境内に入って表門があれば、そちらから出れば「王城跡」にたどり着くかもしれない。

 

歩き始めてずいぶん経っていて、アプリを見たら既に二万歩である。

元気は残ってないので、今日は「王城跡」は、あきらめることにした。

また次の機会に、しっかり準備してこよう。

そういうわけで、平将門王城跡に行きつかなかったという結末です。

 

 

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私のお気に入りサイト② 日本文学編

小学生の頃に、「義経物語」というのを読んだ記憶がある。

なぜ、義経だったのだろうか。

著者名は覚えていないし、内容についても細かくは覚えていない。

たぶん、「義経記」を少年向けに、現代語訳したものだった、と思う。

その後、中学校や高校で、「徒然草」や「平家物語」などの古文と言われるものに出会うのだが、それにのめり込むということはなかったが、拒絶することもなかった。

普通の文学作品と同様に、興味の対象だった。

 

 「古典テキスト一覧」 Taiju‘s Notebook

www2s.biglobe.ne.jp

 このサイトには、物語、日記、紀行、随筆などの日本の古典文学といわれるもののテキストが、多くの置かれている。

ところが、何という人が運営しているのかわからない。

Taiju‘s Notebookというサイトの中のページである。

どこかの大学の先生なのかな、と思うのだが手がかりがない。

他のサイトでは、あまり見かけない作品があるので、ありがたいサイトである。

テキストの内容は、「作成中」という表示があって、久しぶりに見たらそのままのようなものがあったり、第一巻だけで終了したようなものもある。

たしかに、人間の興味、関心は、次々に移っていくものだから。こんなものかもしれない。

 

 「菊池真一研究室」

www.kikuchi2.com

これは、とてもすごいボリュームのテキストが掲載されているサイトである。

菊池眞一さんと荒山慶一さんというお二人の記名のある作品とテキストがある。

お二人について調べてみたのだが、どのような方かは、わからなかった。

菊池眞一さんは、江戸から明治の頃の芸能関係のものである。

円朝全集」、「幕末の江戸風俗」、「宮武外骨」などである。

荒山慶一さんは、中世の物語をテキスト化していて、ほとんど全巻を、HTMLファイル、テキストファイルで提供している。

平家物語」、「義経記」、「源平盛衰記」、「承久記」、「太平記」、「曽我物語」などまだまだあって、書ききれない。

並大抵ではない作業だと思うと、頭が下がる思いである。

 

源氏物語の世界」 渋谷栄一

www.sainet.or.jp

国文学者であり、藤原定家源氏物語の研究者である渋谷栄一氏のサイトである。

源氏物語」、そしてその作者である紫式部の日記である「紫式部日記」、歌集である「紫式部集」が、掲載されている。

それぞれについて、本文、ローマ字版、現代語訳、翻刻資料が収められている。

渋谷栄一氏は、このサイトにあるコンテンツを自由に使ってくださいと言っている。

それは、源氏物語のような古典は、共有の財産である、と言ってるのだと思う。

渋谷氏の文書は、次のとおりである。

 

【ご利用の皆様へ】
わたしは、インターネットの最大限の利点を活かして、日本の代表的古典文学作品である「源氏物語」を、誰でもが、何時でも、何処からでも、自由に、読むことができて、しかも、使い易く、信頼できる、内容のあるコンテンツを提供したいと念じています。併せて、メールによって利用者との相互交流を大切にしていきたいとも思っています。したがって、わたしはweb上に公開したわたしの著作物に対して、著作権知的財産権などを主張しようとは考えません。利用者の良識によって、広くいろいろと利用されさまざまに活用されることを願っていますので、わたしの著作物に関するダウンロードや加工なども自由です。生物が一つの生命から発生してさまざまな形態に進化を遂げていったように、わたしの作成したコンテンツからさらにより優れたコンテンツが生まれ出てくることを期待しています。一人の人間の力、一個の個体にはおのずと限界があります。このコンテンツがもしこの世に有益なものであれば、これを時空を超えて次の世代へと受け継いで永遠に発展していってもらいたいと願っているのです。(2001年1月1日)

 

 

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オリンピック 1940 1964 2020

ほんとに、オリンピックをやるらしい。

あとで、後悔することがないことを、願うしかない。

世の中には、希望的観測というのがあるが、これはあくまで「希望」である。

冷静に予測したようになるのが、現実である。

 

東京オリンピックというと、私の子ども時代の東京オリンピック1964が思い浮かぶが、それよりも24年前の1940年に開催されるはずだったということは、ずいぶんと後になって知った。

東京オリンピック1940は、昭和15年9月21日から10月6日まで、開催される予定だったという。

1935年のオスロでのIOC総会で、ローマ、ヘルシンキを破って開催が決定した。

同時に、冬季オリンピックも札幌で開催することが決定している。

しかし、1938年には日中戦争の勃発により、実施を返上した。

その結果、代替地として、次点だったヘルシンキに決定したが、第二次世界大戦のために中止になった。

そういう思いがあっての、1964年のオリンピックだったんだなあ。

 

さかのぼって、東京オリンピックの開催が決まった頃を思い出すと、開催に賛成する意見や反対の意見は、半々くらいだったような気がする。

やらなくてもいいんじゃないのとか、やる必要があるの、というのが正直なところあったと思う。

オリンピックって、都市が立候補するけれど決まってしまえば国の事業になってしまう。なんとも、よくわからないものである。

さらにさかのぼると、青島幸男さんという方が、現職の東京都知事が推進している「世界都市博覧会」の開催に反対を掲げ、知事選に立候補して勝ってしまって、博覧会を中止にしたことがある。

1995年のことだった。

さらにさかのぼって、1964年の東京オリンピックの開催前の世論調査では、半分くらいは、開催反対だったらしい。

「大変な費用がかかるのを、国民に負担させる。

オリンピックに多くの費用をかけるくらいなら、ほかにやることがたくさんある。

オリンピックはけっこうだが、私には関係ない。」

今と、あまり変わらない。

 

東京オリンピック2020の開催が決まった時、そんな暑い時にやって大丈夫か、ということのなって、たしかマラソンは札幌でやることになった。

1964年のオリンピックは、10月の気温的には申し分のない時期にやっている。

次のメキシコオリンピック1968も、やはり10月に行っていた。

7月8月という、バカンスの次期に開催するようになったのは、1972年のミュンヘン大会からである。

これはやっぱり、オリンピックが商業化していったことと無関係ではないだろう。

今回の大会でも、夜に組まれている競技があるらしい。

テレビの放映権を握っているアメリカの、ゴールデンアワーに合わせてるなどということは、ずいぶん前から言われていた。

 

 

小学5年生の時に、東京オリンピック1964が開催された。

我が家には、まだテレビがなかったので、オリンピックの中継はよその家で見たのだと思う。

東京大会の前は、ローマ大会だったということだったが、4年前は騒いでいた記憶がない。

テレビも普及していないし、新聞ラジオくらいだったのだろう。

金メダル16個というのは、記憶に刻まれている。

市川崑さん記録映画も全校で町の映画館に見に行った。

あと記憶にあるのは、メダリストに秋田県出身者がいることだった。

なぜか、体操チームに4人もいた。

金メダルの男子体操に、小野喬選手と遠藤幸雄選手がいて、銅メダルの女子体操に、小野清子選手と虻川吟子選手がいた。

体操で有名な高校とかあったかな、不思議である。

はるか昔の記憶である。

 

 

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いろいろ考えてしまった

梅雨も明けそうとか、言っているし、天気もいいからどこか出かけようと思う。

どこか出かけるとしても、私の場合、自転車で走ることになる。

それから、もう少しがんばって、自転車を置いてランニングするか。

考えてみたら、コロナのワクチン接種をしてから何日も経っていない。

もちろん、接種の第一回目である。

私に住む柏市は、まだそんなペースである。

私は67歳なので、いちおう高齢者である。

第二回接種は、3週間後の予定になっている。

それが終わって落ち着くまでは、静かにしているべきだろう。

おかげさまで、第一回の接種では、特に異常はない。

 

接種は、近所の病院でやった。

歩いて、3分ほどで、指定時間の15分くらい前に着いた。

30分ごとに、3つのグループになっていて、1グループは12人だった。

10分くらいで、グループ全員が終わって、15分待機で様子を見て、大丈夫だったので帰った。

帰って妻に、1グループ12人だったよと、言ったら、じゃあ2本分だねと言われた。

なるほど、そういうことか。

柏市医療機関は、ファイザー社製のワクチンを使ってると、市のサイトにあった。

 

今回のようなワクチン接種は、今まで類を見ないものなのだから、こんなものだと思っている。

全国民に対して、こんな短期間にやるなんてことは、今までの歴史上ないことだったのだから。

柏市の人口は、43万人を越えるのだが、高齢者だけでどれくらいになるだろう。

柏市は、2005年(平成17年)に沼南町と合併してこの人口になったのだが、当初は隣接する流山市我孫子市も合併研究会に加盟していた。

流山市は人口に20万人、我孫子市は人口13万人である。

これが、もし実現していたら、80万人近い町ができてしまっていたことになる。

町の規模が大きければ、行政的には効率が良いのだろう。

しかし、住民からすれば町が大きくなればなるほど、町という組織が遠くなってしまう。

私は、我孫子市の住民だったこともあるので、我孫子市が合併研究会から離脱した時に、正直ほっとした。

柏のように、倍以上に大きい市と合併してしまったら、大きい町の何分の一になってしまう。

どんなに、歴史を持った街でも、一部分になってしまうだろう、と思ったのだ。

柏市の隣接市である松戸市は、人口49万人で千葉県では、千葉市船橋市に次ぐ第三の都市である。

都道府県で、最も人口の少ない鳥取県の人口は57万人だそうだ。

船橋市は、人口64万人だというから、鳥取県よりも多い。

これで、いいのかなと思わざるを得ない。

そのような規模の大きな都市が、通常の業務ではないことを、10万人単位の住民を対象としてやらなければならないのだから、簡単なことではない。

これが、今年限りだったらまだいいのだが、そういう訳ではないかもしれない。

 

都道府県の人口一覧を見ていたら、私の郷里の秋田県が人口100万人を割って、 94万人で人口減少率が日本一だという。

私が子供だった頃は、140万人くらいあったらしい。

1年間で、人口減少率が6%を超えてしまうって、どういうことなんだろう。

日本全体の減少率は、0.22%なのだから、国内での過疎化が進んでるということなのか。

38の道府県が減少して、1%以上増加しているのは、千葉県、埼玉県、神奈川県で、沖縄県が2.44%、東京都が4.07%って、いったい何が起こってるんだ。

日本全体としても過疎化が進んでるけども、一つの県とかの中でも、過疎化が進んでるだよな。

人の住まない、人の気配がないところがどんどん増えている。

それで、野生の動物たちが、行動範囲を広げているんだろうな。

将来的に、それはいったいどういうことになるのだろう。

 

 

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私のお気に入りサイト① 千夜千冊とバルバロイ

毎日、iPadYahoo!YouTubeをながめている。

最近は、今日の大谷選手はどうだろう、という感じである。

思うのは、日本ハムじゃなかったら、エンジェルスじゃなかったら、、ということだ。

彼は、何があっても二刀流を通したんだろうな。

 

さて、お気に入りのサイトのことであるが、テキスト好きなので、そういうサイトが多い。

あとは、データベースサイトのようなものがあると、気になってしょうがない。

しばらくぶりでみると、いつのまにかリンク切れになってたりする。

ときどき、気になって見てしまうサイトはいくつかある。

 

松岡正剛の千夜千冊」

1000ya.isis.ne.jp

いつ頃、何がきっかけでこのサイトを見つけたのかは、覚えていない。

いわゆる書評サイトということになるのだろうが、並大抵の書評サイトではない。

今日現在では、1776夜になっていたが、第1夜は2000年2月23日だった。

私が、このサイトを見つけたのはまだ千夜にはなっていない頃だったが、ほとんど毎日と言っていいくらいのペースで記事をアップしていたような気がする。

たしかに、千夜に到達したのが2004年7月7日なので、それに近いものだったと思う。

本を読まなければ書けない文章を、毎日書き続けるというのは信じられないことである。

千夜以後は、少しペースがゆっくりになってるのかも知れない。

1夜に、1冊の書籍を紹介する。

松岡正剛さんの文章は内容が濃く、ボリュームも充分で読みでのあるものである。

第1夜は、「中谷宇吉郎 雪」だった。

第千夜は、「良寛全集」である。

最新夜は、「クルト・ルドルフ グノーシス」となっていて「古代末期の一宗教の本質と歴史」という副題がついている。

とにかく、あつかう本の範囲が広い。

何でもあるのだが、自分があまり興味や知識がなくても、おもしろく読めてしまう。

だから、狭くなってしまった自分の世界を広げるのには、とても役に立つかも知れない。

リストをちょっと見ただけでも、「つげ義春」や「高橋竹山」の名前もある。

松岡さんは、どのような読書生活をしているのだろうと、不思議である。

1000ya.isis.ne.jp

 

バルバロイ

web.kyoto-inet.or.jp

バルバロイ」とは、古代ギリシャ人が、異民族を呼んだ言い方だそうだ。

「意味のわからない言葉を話す人」ということらしい。

これは、ギリシャ古典の翻訳と研究についてのサイトである。

富田章夫さんという研究者の方が、運営されているらしいのだが、サイトのどこにも本人についての記載が見つからない。

これもまた、どうして見つけたサイトか覚えてない。

ギリシャ神話についてちょっと興味がある程度だったのだが、とんでもないサイトだった。

サイトのトップページに、サイトに収録されている全容が載っている。

見ているだけで、気が遠くなりそうである。

哲学、歴史、神話などが、読みやすい日本語に翻訳されている。

ソクラテスなど知ってる名前もあるし、イソップ童話もある。

幅広い範囲で、収められている。

とにかく、ちょっとした図書館分ありそうなボリュームである。

末尾に、「野次馬小屋」という付録があったが、これもとても中身の濃いものだった。

 

web.kyoto-inet.or.jp

 

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私の日本酒コレクション③

お酒を買いたいと思ったら、銘柄にこだわらなければ、今はどこのコンビニでも買える。

いろんな、種類の中から選びたければ、スーパーの酒類売り場へ行けばいい。

それでも見つからなければ、酒類の量販店である。

むかしは、酒屋に行かなければならなかった。

難しい条件の免許がなければ、酒を販売できなかった。

「人口基準」と「距離基準」というのが、あったらしい。

これが、廃止されたのは、平成13年(2003年)だそうだ。

 人口基準は、大都市は1500人に1店、中都市で1000人に1店、小さな町村等では750人に1店という枠があったようだ。

さらに、「距離基準」があって、既存の販売店との距離が、100mから150m以上離れてないといけないという、ことだったらしい。

基本的に、既存店を保護するというのが、最も重要だったのだろう。

酒類取扱の免許のある酒屋が、コンビニになる例が昔多かったのは、そういう事情があったからだろう。

 

 越の雪椿 純米吟醸酒  雪椿酒造

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純米吟醸酒 越の雪椿 精米歩合60%

雪椿酒造株式会社 新潟県加茂市仲町

新潟県加茂市ってどこにあるのか、わからない。

自分の地理の知識の貧弱さを、思い知らされた。

市内を貫通する加茂川の名から来ていて、平安時代からの青海神社の鳥居前町として栄え、「越後の小京都」として知られている、とあった。

裏のラベルを読んでいたら、次のような文があった。

「雪椿酒造は昔ながらの手作りにこだわり高品質な酒を醸し続ける全国でも数少ない純米蔵です。」

この酒造会社は、純米酒しか作っていない。

醸造用アルコールを使った酒は、作ってないのだ。

そういう会社が、日本に他にもあるということを知って、ほんとにうれしい。

 

60%まで磨き上げた米と清冽な水だけを原料とし、手造りで醸し出した純米酒です。優良な品質でお客様にご高評いただき、雪椿酒造で一番人気のお酒になりました。口当たりが良く、凛としてのどごしの良い淡麗中辛タイプです。(ウエブサイトより)

 

香醸 菊正宗 純米酒

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純米酒 香醸 菊正宗 精米歩合70%

菊正宗酒造会社 神戸市東灘区御影本町

菊正宗酒造は、江戸時代前期、万治2年(1659年)創業という老舗酒造会社で、灘五郷の御影郷に本拠を構えている。

生酛造りという伝統的な手間のかかる製法にこだわっているそうである。

印象的なテレビCMなどもあり、「菊正宗」という名前は、もっとも知られている酒造会社かもしれない。

 

 「キクマサHA14酵母」により引き出された華やかでフルーティーな香りと純米酒らしいうまみと余韻のある味わいが特徴の純米酒。キリッと冷やして華やぐ香りと冴えるうまみをお楽しみください。」(ウエブサイトより)

 

 高清水 純米大吟醸 秋田酒類製造

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純米大吟醸酒 高清水 精米歩合45%

秋田酒類製造株式会社 秋田市川元むつみ町

すばらしいフルーティな香り、そしてきりっとした飲み口である。

秋田酒類製造株式会社は、昭和19年に完全企業合同で発足しました。

江戸、明治、大正、昭和と、秋田、男鹿、飯田川で酒造りをしてきた12の酒造家が参加して会社ができたそうだ。

合併する前は、どれくらいの規模で、どのようにして酒造りをしていたのだろうか。

 

秋田県酒造好適米「秋田酒こまち」をひと粒ひと粒丁寧に45%まで磨き、秋田流寒仕込みで醸しあげました。程よい酸味と上品な旨みが口の中でやわらかに広がります。華やかでふくよかな香りが際立つ、純米大吟醸です。(ウエブサイトより)
 

 浦霞 純米酒 佐浦+Y

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純米酒 浦霞 精米歩合65%

株式会社浦佐+Y 宮城県塩釜市本町

浦霞」は、友人とよく行っていた居酒屋にある銘柄だったので、馴染みの酒だった。

東北宮城県の酒であることは、知らなかった。

香りはそれほどないが、飲みやすくじわじわのしみてくる酒である。

ラベルには、源実朝の歌がプリントされていた。

 

塩竈の 浦の松風 霞むなり 八十島かけて 春や立つらん

 

米の旨味と酸味が調和した、すっきりとした味わいの純米酒。(ウエブサイトより)

 

辯天 愛山 純米大吟醸原酒 後藤酒造店

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純米大吟醸酒 辯天 愛山 精米歩合48%

合資会社後藤酒造店 山形県東置賜郡高畠町糠野目

この酒は、父の日のいただきものである。

高畠町はワインの町でもあるらしいが、米沢へ行くときに通りかかっただけだった。

ワインも飲んでみたいし、蔵元も訪ねたいものだ。

酒造好適米の「愛山」を100%使った蔵元自慢の原酒となっている。

とても、香りがフルーティである。

そして、飲み口がさわやかである。

合資会社となっているので、きっとこじんまりした酒造会社だろうと思う。

山形に行く機会があったら、ぜひ訪ねたい。

 

「愛山」は非常に柔らかく溶けやすい性質を持っているため、蔵人は仕込むのに大変気を使います。しかし、まったりとした巾のあるその味は他の酒米の追従を許さないものがあります。このお酒しか飲まない、という方もいらっしゃるほどファンの多いお酒です。(ウェブサイトより)

 

銀嶺月山 純米酒 月山酒造株式会社

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銀嶺月山 純米酒 精米歩合80%

月山酒造株式会社 山形県寒河江市谷沢

 出羽三山の主峰月山の万年雪の雪解け水が、地下にしみ込み約400年の時を経て山麓に湧き出る「ロマンの水」は、月山酒造の酒に使われています。

1972年に、豊龍蔵と白菊蔵と一声蔵という三つの蔵元が合併して、創業したそうだ。

月山酒造のある寒河江の町には、何年か前にさくらんぼ摘みのまねごとをしに、ことがある。

最上川も近く、果物の豊富なところだった。

香りはそれほどないが、すっきりした飲みごごちのお酒です。

 

山形県産米を丁寧に自家精米し、低温発酵させた純米酒。お米の旨みがきいている自然な味わいがお楽しみいただけます。(ウェブサイトより)

 

日本酒の4合瓶は、720mlである。

1合が180mlなので、1日に1合のペースで飲むと、たったの4日で無くなってしまい、とても1週間はもたない。

小さなカップで、3杯ほど味わっていただいている。

酒は好きだけど、酒飲みではないという姿勢である。

それでも、1日、2日、切れてしまう。

その日は、休肝日ということで、次にどの銘柄にするかを、楽しむことにした。

近所に「やまや」というお酒の専門店がある。

世界のいろいろなお酒の揃っている仙台発のチェーン店である。

しかし、歩いていくにはちょっと遠いので、車になってしまう。

どうしても、スーパーの酒類売り場になってしまうが、これが品揃えがかなり違っている。

同じチェーンのスーパーでも、店舗によってちょっと品揃えが違ったりする。

やっぱり、担当者の個性が出るのかも知れない。

 

 

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青空文庫と電子書籍

青空文庫について、先日のブログに書いた。

青空文庫のことを、ネットで調べていたら「青空WING」という電子書籍が見つかった。

この電子書籍には、青空文庫文庫に収録されている作品が網羅されている。

最新版は、2021年3月15日版で、何と1055作家、16310作品がひとつの書籍に納まっている。

その他に、作家別作品リストという作家の概要、公開中の作品、作業中の作品の一覧がわかるものが収められている。

さらに、作品ごとの図書カードがあり、作品データ、作家データ、底本データ、工作員データ(入力・校正)もわかる。

この電子書籍は、大久保克彦さんという研究者の方が作成したものである。

これは、EPWINGという電子書籍の規格で作られている。

この規格は、どちらかというと電子辞書のためのものであり、かつては多くの辞書が発売されていた。

とにかく、1万を越える作品が、一つの電子書籍に収録されているのである。

紙の印刷物にしたら、どれくらいのものになるだろうか。

 

EPWINGという規格は、岩波書店が 1987年に「広辞苑」のCD-ROMを制作したところから出発したらしい。

その後に、電子出版物の共通フォーマットにしようと、1991年に岩波書店大日本印刷凸版印刷富士通ソニーが参加して「EPWINGコンソーシアム」を結成している。

一時は、多くの電子辞書が発売されたようだが、近年はほとんど存在感がなくなっている。

しかし、電子書籍作成ツールの「EBStudio」というのがあったので、いろんなサイトで古典作品のテキストを探していた私は、このソフトに興味を持った。

hisidaさんという方が、開発したシェアウェアだったが、フリーライセンスもあったので使わせていただいた。

考えることは同じようなものというのか、私もやはり青空文庫電子書籍にしていた。

「青空WING」はあくまでも、研究者が研究のために役に立つものとして作ったものであるが、私が作ったのは単に作品をまとめただけだった。

それでも、「作家名+作品名」を見出しにしたので、作家名で検索するとその作家の作品がズラーっと出てきた。

 

その頃私は、ソニーのクリエというPDAを使っていた。

OSは、palmOSだった。

と言っても、今となっては死語かも知れない。

電話通信機能のないスマホみたいなものである。

私の好きなミニコンピュータだった。

クリエで、電子辞書が使えるということを知って、どうしてもやってみたくなった。

日立が「マイペイデア」という電子辞書を発売していた。

それは、独自規格なのでEPWINGに変換しなければならない。

「マイペイデア」は、デアゴスティーニが付録で付けていた。

それを、苦心惨憺して、EPWINGに変換した。

それをクリエで使うためのソフトは何だったかな。

調べてみて、わかった。

Buckingam EB Player だった。

なつかしい名前である。

それを、メモリーカードに入れるのだが、ソニーなのでメモリースティックだった。

容量は、128メガバイト(MB)だった。

ガバイトではなく、メガバイトである。

いかに、ファイルのサイズを小さくするかが、最重要だった。

そんなに辞書があってどうするのか、というくらいにいろんな辞書を手に入れて変換していた。

ひと頃は、集めたテキストで辞書をつくってばかりいた。

我ながら、「テキストおたく」だなと思ってた。

 

青空文庫創始者の一人である富田倫生さんが、青空文庫を構想したことのきっかけのひとつは、電子書籍にかかわったことであるらしい。

著作者としていろんな書籍にかかわってきて、その書籍が絶版になってしまって、自分の著作が人に読んでもらえなくなってしまう。

そのことが、とても納得できないことだった。

文章を書く人にとっては、最も大事なことは人に読んでもらうことなのだろう。

電子書籍なら、読んでもらえるのではないかと考えたようだ。

紙に印刷した書籍は、いろんなハードルがある。

一冊の本を、出版するのは簡単なことではない。

印刷して、販売ルートに乗せて流通させなければならない。

電子書籍ならば、ネット上のサーバーに置いて、サクセスさえしてもらえれば読んでもらえる。

現在の青空文庫に収録されている作品のうち、著作権のある作品、つまり著作権が消滅していない作品は359だけである。

これからは、これら著作権のある作品を増やすことが重要だろう。

 

その頃、富田さんはボイジャーという企業のエキスパンドブックという規格に期待していたようだ。

エキスパンドブックは、私も使ったことがあるが、たしかに紙の本のように読むことができた。

初期の青空文庫ボイジャーがサーバーを提供していたという。

だから、初期の青空文庫が提供している文書の種別は、「テキストファイル」「HTMLファイル」「エキスパンドブックファイル」の3種類になっている。

その後、電子書籍のファイルとしては、アドビ(adobe)が開発して無料提供したPDFが存在感を増していった。

現在は、青空文庫の新しい文書提供から、エキスパンドブックは消えている。

むしろ、青空文庫形式というテキストファイルの形式に対応するソフトウエアが増えているので、もしかすると中心的なファイルになっているかも知れない。

最も単純なテキストの方が、容量も小さく扱いも容易で、ビュアーの方でいろいろと工夫ができるので、現実的かも知れない、というのはおもしろいと思う。

 

 

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ぶらり サイクリング&ウォーキング

ひさしぶりに、江戸川でも行こうと、自転車を引っ張り出して出かけた。

しばらく走って、忘れものに気がついた。

マスクがないし、地図もない。

ベランダから自転車を出すことに、気を取られて忘れてしまった。

家まで戻るのもめんどうなので、計画は変更で、このままふらふらと走ることにした。

とりあえず、麗沢キャンパス裏の小川に出た。

先日、通った時は、草が伸びきって流れが見えないくらいだった。

今日見たら、草はきれいに刈られて、きれいな水が流れていた。

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きれいに草刈りされた小川

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きれいだったけど写真ではわからないか

このところ雨も降ったので、気持ちいいくらいの勢いで流れていた。

下水路が整備されているからだろう、生活排水が流れ込んでる気配は全くない。

こんなにきれいなせせらぎが、身近にあることに感激した。

 

流れの沿ってゆくと、川幅が広くなる。

長い水草が流れに揺れていて、よく見るとかなり大きな鯉が泳いでいた。

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川の深さは、せいぜい30cmか40cmくらいだと思うが、鯉は50cm近くありそうだ。

音に敏感で、すぐに姿を隠してしまった。

水草の陰が、隠れ場所みたいだ。 

麗澤大学のゴルフコースのあたりで、流れは草むらの中に見えなくなってしまった。

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この流れは、上富士川に合流するはずなので、いったん車道に出て、流れを探す。

ここまでは、流れは南西に向かっている。

車道の下を横切って、流れているのを見つけた。

草むらのから現れて、草むらに消えている。

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草むらから現れる。

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草むらに消える。

合流するところは、見つけられなかった。

合流した後は、護岸のある川になって、北西に向かって流れていた。

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合流して、上富士川となる。

富士川の上流を探して行って、旧根木内東小学校の校舎の脇を流れているのを見つけた。

かなり以前に合併によって廃校になっているが、校舎はそのままある。

ここで、県道を渡り川から離れて住宅地を進むが、先日茂侶神社を訪ねた時に、小金原団地に入った道路に出た。

ここで、団地の方ではなく、団地の高台が落ち込んでいる縁沿いのみちを進む。

高台からだいぶ落ち込んでいて、急な斜面がある。

ところどころには、コンクリートで斜面が補強されている。

斜面の上は、住宅地になっている。

斜面の下も、住宅と工場などがあったが、突然緑の樹林になって、小さな小川が現れた。

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コンクリート壁と樹林

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きれいな流れ

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富士川の源流と思われる流れは、住宅地にぶつかって消えた。

次はどこへ行こうか考えながら、まわりを見て走ってると30mくらいはありそうな巨木の森が見えた。

そこを、目指すことにした。

同じ30mでも、水平にあるのと、垂直にあるのでは人間の目には同じには見えないらしい。

垂直だととても、高く見えるようだ。

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巨木の森

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野中の森

「野中の森」という里山だった。

最近は、このような里山を残そうという取り組みをいろんなところで見かける。

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森の中に竹林を見つけたが、見たことがないくらいに太い竹だった。

 

さらに走って、森を探した。

「囲いやまの森」というのを見つけたが、立ち入りできないようになっていた。

コロナの関係だろうか。

その入り口の向かいに、大きな農家があった。

参道のような長い道のはるか先に農家の建物が見えた。

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お屋敷のような農家

その隣に「松戸市営金ケ作育苗圃」という看板があった。

苗圃(びょうほ)という言葉を、50年ぶりくらいに見た。

秋田の田舎にも、秋田杉の苗を育てる苗圃というところがあった。

すごく、山奥らしく、名前は知ってるが、行ったことはなかった。

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育苗圃の看板

さらに進んで、「金ケ作自然公園」につきあたった。

ここは、いつも車で通り過ぎるところだが、足を踏み入れたことはなかった。

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金ケ作自然公園

今日は、江戸川に行くつもりだったので、簡単な弁当を用意していた。

どこで食べようか考えていたが、「21世紀の森と広場」が思いついた。

あそこは、広くて気持ちいい。

たしかに広い、東京ドーム11個分である。

だいぶ距離はあるが、通ったことのない道を適当に走った。

いつもは、「森のホール21」がある南口の駐車場に止めて、公園に向かう。

今日は、使ったことのない北口から入った。

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21世紀の森と広場北口

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気持ちいい森の道を歩いていくと、大きなバーベキューハウスがあった。

平日なのにけっこう賑わっていた。

予約制であるらしい。

下り坂を歩いていくと、水場がある。

この公園は、もともと千駄堀という谷津だったので、まわりの高台の斜面から湧水が流れ込んでくる。

流れで鴨が遊んでいたので、写真を撮ろうと構えた。

親子3羽くらいだと思ったら、こちらに気がついて水の中から小鴨が次々に出てきた。

合計5、6羽になって、すばやく逃げてしまった。

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広場に出ると、平日のせいもあって、人はちらほらだった。

小さい子供を連れたお母さんが、何組か歩いていた。

かつてなかった、すべり台やアスレチックがいくつか出来ていた。

芝生は広くて気持ちいいし、小川が真ん中を池まで流れている。

小川は、浅いので子どもでも遊べる。

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公園の中央には、千駄堀池が残っている。

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水鳥のオブジェ

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広場を取り囲むように、遊歩道がある。

今日は陽射しが強かったので、樹木の日陰になってちょうど良かったのでぐるっと歩いた。

南口の森のホールに出た。

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森のホール21

ここから車道を歩けば、自転車を置いた北口まで行ける。

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車道より公園を見る

今日は、半分くらいは自転車を降りて、押して歩いていた。

そのわりには、そんなに疲れなかった。

自転車よりも、歩いた方が「ぶらり」するには、いいかも知れない。

 

帰ってから、思ったこと。

自分はやっぱり、緑と水が好きなんだな、ということ。

それがあるだけで、うれしい。

育った環境なんだろうな。

緑と水に囲まれて育ったからな。

 


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下総台地の高低差を行く

ひとりで出かける時は、基本的に歩いて行く。

買い物でも、図書館や城址城郭そして寺社仏閣も、歩いて行く。

妻や、家族と一緒だとなかなかそういうわけにはいかない。

車と違って、歩くと時間がかかる分、目的地までの経過を楽しめる。

 

意識して歩くことにこだわるようにしたのは、この数ヶ月である。

歩いていると、土地の高低差というのがとても気になる。

もちろん、車で走ってても土地の高低差が気になる人間だった。

私の住んでるあたりには、山と言えるようなものはまったくない。
高低差と言っても、最高でも30mあるかないかである。

でも、歩いていると、人間の生活にとって、わずか数メートルの土地の高い低いがいかに重要かがわかる。

 

今は、空き地があれば、どこでも住宅を建ててしまう。

でも、昔の人たちはどういうところに住居を作ったのか。

どういうところに、集落があったのか。

明治初期の地図を見れば、はっきりとわかる。

集落は、高台にあり、低地は「水田」となっている。

集落の近くに、「畑」があり、それ以外が「松」や「椚」と表示されている森林である。

神社は、集落と森林の境にあり、森林を背後に背負う形で存在している。

きれいに、住み分けをしていた。

水田のあるような低地は、大雨が降れば水があふれるだろうから、そのような土地に住居は作らない。

 

東葛飾郡というのが、私の住む柏市の周辺のかつての地域名だった。

今は、その地域内は野田市流山市松戸市浦安市我孫子市柏市鎌ヶ谷市市川市船橋市と、すべてが市に昇格したので、郡名を必要とする町村はなくなった。

私が、この地に移ってきた1970年台は、関宿町、沼南町はまだ、野田市柏市と合併してはいなくて、浦安も東葛飾郡浦安町だった。

浦安が浦安市に昇格するのは、1981年で、その2年後1983年に東京ディズニーランドが開業している。

千葉県北部には、「下総台地」又は「北総台地」と呼ばれる台地がある。

標高は概ね20m〜40mであり、なだらかな起伏が続くが、東部は香取市香取郡東庄町などでは50mを越えるところもある。

この台地が、長い年月の中で、雨風に削られて谷になり川になり、低湿地ができたり、湖となっている。

なだらかな台地なので、川は東西南北いろんな方向に流れる。

他の大きな流れと合流して、さらに流れるのである。

 

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アプリ「スーパー地形」 下総台地

かつては、低湿地は田んぼにするしかない土地で、住宅は作らなかった。

雨が降れば、台地から集まった雨水は低い方に集まっていって、場合によっては田んぼを水浸しにしたことだろう。

そのような心配のない高台に集落をつくり、その周辺で畑作をした。

畑作ならば、水田のような用水の確保の心配をしなくてもいい。

わかりやすい問題だったのだ、と思う。

しかし、私の住む周辺では、かつて水田だった土地がどんどん住宅地になっている。

台地の森から流れ出る小川だった流れは、フタされて暗渠になって、川の面影はない。

降雨量によっては、排水が追いつかなければ、行き場を失った雨水が住宅地を水浸しにするかも知れない。

 

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日本の地形千景より 下総台地

八街市まで出かける用事があって、車で出かけた。

妻の実家が、かつては八街市の先の山武市にあったので、ずいぶん長いあいだ、たぶん10年以上通った道である。

八街といえば、最近子どもを巻き込んだ悲惨な交通事故があった。

ニュースを聞いた時、あのあたりだとすぐに思いうかんだ。

両側に広大な落花生畑がある中を、真っ直ぐな道が続いていた。

考えたら、下総台地の西端にある柏から、だんだんと標高が高くなっていく台地の中部に向かうことになる。

総距離は、55kmくらいになるが、国道を避けて通行量の少ない県道を選んで走った。

ほとんどが、緑に囲まれた道である。

ところどころで、低地に出て、水田の緑があざやかである。

小林牧場、印旛捷水路、順天堂大キャンパス、など久しぶりで近くを通った。

住宅地化が進んでいるとは言っても、まだこんなに緑が残ってるのだ。

緑の森が徐々に減っていくのを間近で見ているので、すこし安心した。

 

 

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