天明6年(1786年)、菅江真澄はそれまでの仙台領胆沢郡から、東磐井郡大原に移り、芳賀慶明邸に滞在する。
天明3年に郷里を出てから、3年目であり、真澄は33歳である。
「はしわのわかば」は、4月から6月までの日記で、付近を巡遊し、正方寺、黒石寺、そして一関の配志和神社に詣でる。
大型本で、全三五丁であるが、残念ながらこれにも図絵はない。
大館市立粟森記念図書館の蔵本となっているが、これは後年秋田滞在の際に、改写したものだとされているが、この日記を記していた頃に描かれた図絵はどうなったのだろうか、気になるところである。
滞在中に、郷里の三河から恩師の植田義方氏から手紙を受け取っている。
この日記のなかでも、彼はこの3ヶ月ほどの間に、多くの人たちに出会い、歌の贈答を行っている。
その地の名士の邸宅に居留し、主人の知人たちと交友を結んでいたのである。
和歌を贈り、またそれを返すのは大事なことだったのだろう。
多くの歌が、おさめられている。
桜を見るために、先の滞在地だった前沢を訪ねて、旧知の人たちと再会を果たしている。
また、近隣の神社仏閣を訪れていて、それらにまつわる歴史などを聞き、日記に記載している。
大原では芳賀慶明、前沢では村上良知というその地の庄屋にそれぞれ数ヶ月居留している。
そこで、多くの人たちと知り合う機会があったことだろう。
そのようにして、次の目的地やお世話をしてくれる名士を紹介してもらっていたのではないだろうか。