晴耕雨読    趣味と生活の覚書

  1953年秋田県生まれ。趣味は、山、本、音楽、PC、その他。硬化しつつある頭を柔軟にすべく、思いつくことをなんでも書いています。あわせて、江戸時代後期の紀行家菅江真澄の原文テキストを載せていきます。

かすむこまかた②  菅江真澄テキスト

十二日 つとめて、小雪ふりていと寒し。

午うち過るころより若男等(ワカヲラ)あまた、肩(カタ)と腰とに「けんだい」とて、稲藁(ワラ)もて編(アメ)る蓑衣(ミノ)の如なるものを着(キ)て藁笠(ワラガサ)をかヾふり、さゝやかなる鳴子いくつも胸(ムネ)と背平(ソビラ)とに掛けて、手に市籠(イヂコ)とて、わらの組籠(クミコ)を提(サゲ)て木螺(キガイ)吹キたて、馬ノ鈴ふり鳴し、また銜(クチワ)、鳴リがねといふものをうちふり、人の家に群れ入レば、米(ヨネ)くれ餅(モチ)とらせぬ。

うちつヾきかしましければ、「ほう/\」と声を上ゲて追へば、みな去(イ)ぬ。

また、ものとらせて水うちかくるならはし也。

こはみな村々のわかき男(ヲノコ)ども、身に病(クワンラク)なきためにする、まじなひといへり。

追へば、「けゝろ」と鶏(トリ)の鳴まねして深雪(ミユキ)ふみしだき、どよめき、さわぎ、更るまでありく。

是を鹿踊(カセギトリ)、また挊鶏(カセギトリ)といへり。

また南部路(ミナブヂ)の挊鳥(カセギトリ)は、やゝにてことなり。

か、ふる藁笠(ワラガサ)を鹿(シカ)の角形(ツノサマ)に作(ツク)り、それにさゝ竹をさし棒をつき、手籠(イチコ)もて餅もらひありく。

此餅くれゝば祝(イハヒ)の水とて、うちあぶせける。

また此挊鳥等に家の主、にくまれては、その家におし入り厩(マヤ)の前(サキ)に立て、木櫃(キツ)とて、馬の抹咋(ㇵミ)てふもの入(イ)る舟のごときものを伏せて、「すはくへ/\」と口のうちにものとなへて、此木櫃(キツ)の底(ソコ)を杖にてうちつゝきたりしが、今は、さる唱へ事ももはらとは知リる人もさふらはず。

たヾ、しらぬ方より挊鳥来れば、雌鳥(メドリ)か雄鳥(ヲドリ)かと問ふに雌鳥(メドリ)といへば、さらばその卵(タマゴ)とらんとて、集め得し餅を奪(ウバ)ひとらんとし、また雄鳥(ヲンドリ)なりといへば、さらば、くゑ鳥せんといひて闘鶏(トリアヒ)のふるまひをして打合摑合(ツカミツキ)て、力立(チカラダテ)あらがひのみぞ今はしけると八十ノ翁の語(カタ)レり、あやしき事もありけるものか。

此挊鶏等が姿(サマ)を見れば、田に立(タテ)るおどろかしの人形(ヒトガタ)に似たり。

また鳴子附たるは鳥追ひ、猿(マシラ)追ひ、鹿(シ)ゝ追ふ鳴竿(ナルサヲ)のごとし、さりければ年の始めの田祭(マツリ)ともならむかし。

さて、かの翁がものがたりに「すはくへ/\」と云ひつゝ■詛(ノロイ)しはいかなるよしかと、考おもふに、保食ノ神は馬祖(ウマノハシメ)とし、又建南方ノ命を先牧(マキノハジメ)として、此ノ二(フタ)神を厩(ウマヤド)の神と祭る。

此由来(ヨシ)をもて諏訪(スハ)と唱へ、また、くへは久比にて、■■(クヒ)は馬牛(ウマウシ)なンどの皮肉(ミノウチ)に生る虫にて、あるは腹やませ、また此虫ゆゑに、うまうしの斃(タフ)れ死事あり。

さりければ須波の建御名方ノ御神にまをして、此■■(オホムシ)を起さしめ給へと、黒心(キタナコゝロ)もていのり奉りし事になむ。

ゆくりなう雨ふれば、此挊鳥ら門(ト)の外に逃出(ニゲイ)で、あるは、十一日ノ日、物ノ始メに作りたる田の面なンどに群れたてり。

さて今の世に山田の曾富豆(ソホヅ)といへるは久延毘古(クエビコ)にて、くえびこは即チ曾富騰(ソホド)也といへり。

此事古事記伝十ニノ巻十四葉に精(ツバラカ)なり。

 

春雨にぬれて會富騰(ソホト)のたつか弓山田にあらぬ雪の仮田(カリタ)に

 

十三日 あしたより雪零れり。

 

泡雪のふり来るほどもなかぞらの光に消る春の長閑さ

 

挊鶏ら、雪にまみれてありく。

 

十四日 よさりになりて戌ひとつばかり、れいの挊鳥ら桐木貝(キガヒ)吹キたて笛吹キ鈴ふり、馬の鳴輪(ナルワ)、鳴るがね、鳴子うちふりて誼■(カマビス)し。

筒子(ツゝコ)といふもの、また樽もて来るには、家々の手作(テツクリ)の酒やる也。

去年は死(シヌ)べう病にふして、明なば挊躍(カセキトリ)してもの奉らんと、稲倉魂(ヲガノカミ)、あるは村鎮守(トコロカミ)にねぎ事して、三十四十ととしねびたる男(ヲノコ)も交レど、多くは村々の若キものの、戯れぞめきにこそあンなれ。

 

十五日 けふは粟(アワ)ノ餅(モチヒ)を黄金(コガネ)ノ餅(モチ)とて喰ふためし也。

家々の嘉例(シツケ)とて、祖(オヤ)よりのをしへのまに/\仕つれば、ものはたちに田佃ラず、けふにうゝる家あり。

日の西にかたぶくころ、田うゝるとて門田の雪に、わらひしひしとさしわたし、また豆うゝるとて豆茎(ガラ)をさしぬ。

また山畑の雪の中に長やかなる柱を立て、此柱のうれより繩を曳(ヒキ)はえ、その縄に匏籆(ヒサグワク)とて、麻苧(アサヲ)の糸巻瓠(マクフクベ)をさしつらぬいて、其縄の末(ハシ)を杭(クヒセ)にむすび付ケ、また、その杙頭(クヒカシラ)に、ふるきわらのふみものを、いくらともなう、とりつかね縛(ユヘル)処あり。

そはそのむかし、神ノ道をになう尊み、あが国の神のみをしへ如(ゴト)なる事は、こと国には、えもあらじと、あけくれ神をゐやまひまつり、父母にけう(孝)をつくし、ひたぶるにうち耕(タガヘシ)て、業(ナリハヒ)に露のいとまなくくらす男(ヲノコ)あり。

また其近隣(チカトナリ)に、あけくれ経よみ、仏の法式(ミノリ)をになう尊み、仏のみをしへにこゆる尊き事はあらじといひて、此二タ人リ男出会(イデアフ)ごとに、いつもものあらがひやむときなし。

あるとし両人(フタリ)の男、またものあらがひしていふやう、さらばことし稲田(イナダ)を佃(ツク)れ、その田の能ク登(ミノリ)たらむかたこそ、そのみをしへの勝らめといふに、さらばためし試(ミン)といふ。

此、親にけうなる男は、あしたよりくるるまで、わら沓つゆの間もぬがず鋤(スキ)鍬(クワ)とり耕(タガへ)し、うゑにうゝれば、苗高う茂り、秋のたのみ八束にたり、八重(ヘ)穂(ホ)にしなひて家とみ栄たり。

仏のをしへ尊める男は田も作らず、経典(ミノリ)をとなへ香を炷き、花奉りて、ゐやびぬかづき尊みける。その秋、その男の千町田の面に夕顔ひし/\と生ひ、此蔓のみ延(ハ)ひまどふ。

やをら花のしろ/″\と咲て、やがていと/\大なる壺蘆(フクベ)の子登(ミナレ)り。

此男うち見て、何にてまれ仏(ミホトケ)のたうばりもの也、是喰ひて命生(イキ)んとてうち破りしかば、その瓠の中に精米(シラゲ)のみち/\たり。

人みなあきれて、さらば神も仏も、志シのまめなる人を守リ給ふにこそあらめとて、あらがひをとヾめて、むつびたりし。

そのしるしに、今し世かけて、正月(ムツキ)の事始にかくぞせりけるといふ、此事書(フミ)にも見えたり。

さりければ、わら沓と瓠を田畠の中にかざりけるとなむ。

夕飯(ユフイヒ)くひはつるやいなや、白粉(シロイモノ)をわかき男女掌(テ)に付ヶて、是を誰れにても顔にぬりてんとうかヾひありく、是を花をかけるといふ。

しかすれば稲によく花咲(カゝル)なむ。

此花かけられじと心をくばる目づかひを見とりて、いな、さる事せじ、こゝにわれ尋ぬるものこそあンなれ。

さらばその掌ひらき見せよなンど、此花のさわぎに、うちとも、どよみわたれり。

 

 

seiko-udoku.hatenadiary.jp

seiko-udoku.hatenadiary.jp

seiko-udoku.hatenadiary.jp

seiko-udoku.hatenadiary.jp

seiko-udoku.hatenadiary.jp

seiko-udoku.hatenadiary.jp

seiko-udoku.hatenadiary.jp

seiko-udoku.hatenadiary.jp

seiko-udoku.hatenadiary.jp

seiko-udoku.hatenadiary.jp

seiko-udoku.hatenadiary.jp

seiko-udoku.hatenadiary.jp

seiko-udoku.hatenadiary.jp

seiko-udoku.hatenadiary.jp

seiko-udoku.hatenadiary.jp

seiko-udoku.hatenadiary.jp

seiko-udoku.hatenadiary.jp

seiko-udoku.hatenadiary.jp

seiko-udoku.hatenadiary.jp

seiko-udoku.hatenadiary.jp

seiko-udoku.hatenadiary.jp

seiko-udoku.hatenadiary.jp

seiko-udoku.hatenadiary.jp

seiko-udoku.hatenadiary.jp